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zoom RSS 『<子ども>のための哲学』 永井均

<<   作成日時 : 2007/03/26 19:40   >>

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タイトルに「子ども」なんて語が使われているから平易な本だろうと気楽に手に取ってみたら、あにはからんや、こんな難しい内容とは。
著者が「自分の問題」として長年考え続けてきた、「なぜぼくは存在するのか」「なぜ悪いことをしてはいけないのか」の二つの問いをめぐって哲学する本。この問いについて、論理的に説明できる/したくなるひとが哲学的なひとなのだろう、きっと。わたしなら、面倒くさくなって放り出してしまうでしょう。

内容についてあれこれ書く前に、著者の哲学観に触れておく。
著者は、哲学とは「自分にとっての問い」を自分の頭で考え続けることだ、という。この「自分の問い」を自分で考えずに、知識としてプラトンやデカルトやカントやハイデガーや…そういった過去の哲学者たちの著作を読み耽る行為は哲学するとはいえない、それは哲学とは何の関係もない行為だ、という。

他人の哲学を理解することは、しばしば退屈な仕事である。そして、どんなによく理解できたところで、しょせんは何かまとはずれな感じが残る。ほんとうのことを言ってしまえば、他人の哲学なんて、たいていの場合、つまらないのがあたりまえなのだ。おもしろいと思うひとは、有名な哲学者の中に、たまたま自分によく似たひとがいただけのことだ、と思ったほうがいい。


哲学は向こう側にあるのではない。哲学史の本の中に「哲学」として登場してくるものは、もう哲学ではない。向こうにある哲学を学ぼうとすれば、哲学した人の残した思想を読んで理解し、共感を感じたり反感を感じたりできるだけだろう。哲学はこちら側にある。自分自身の内奥から哲学をはじめるべきだ。


永井さんのいう「子ども」とは、ソクラテス的な「無知の知」をもっている存在のことだという。子どもは自分が世界について何も知らないことを知っている、だから不思議に思ったら何でも大人に質問する。これに対して大人とは、「自分が世界について何も知らないということを忘れてしまっている」存在であるという。
であれば、この本が「子供のための」と謳っていても、それが難解な内容になるのは不思議なことではないだろう。
「子どもの問い」といえば、ミラン・クンデラは『存在の耐えられない軽さ』にこんなことを書いていた。
本当に重要な問いというものは、子供でも定式化できる問いだけである。もっとも素朴な問いだけが本当に重要なのである。問いにはそれに対する答えのない問いもある。答えのない問いというものは柵であって、その柵の向こうへは進むことが不可能なのである。別ないい方をすれば、まさに答えのない問いによって人間の可能性は制限されていて、人間存在の境界が描かれているのである。


冒頭の二つの問いに、永井さんはどう決着を着けたのか。「なぜぼくは存在するのか」という問いはウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」の概念から解かれていくが、これがまあ入り組んでいて、途中で幾度か欠伸してしまった。これは「わたしの問い」ではなかったらしい。「なぜ悪いことをしてはいけないのか」のほうの問いも、わたしはあまり関心がもてなかった…論の進め方は面白いと思ったけれど。

もし、わたしの中に<子ども>がいたとしたら、何を哲学しようとするだろう。「時間ってなに?」とは思うかもしれない。突き詰めて考えるかどうかは別として。


読み終えた思ったこと。
結局哲学というものは(わたしはこの道に無知ですが)ひたすら問い、考え続ける行為なのだろう。少なくとも、永井さんにいわせると難解なものではありえないらしい(「哲学が難解なのは、それが他人の哲学だからだ」)。安易に「答え」を求めることなく、自分自身の問いを生きること。哲学というと大仰なイメージを抱いてしまいがちな自分のような人間には新鮮に感じられた。
(講談社現代新書)

4061493019<子ども>のための哲学 講談社現代新書―ジュネス
永井 均
講談社 1996-05

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それはそうと…本書を読んで、ウィトゲンシュタインの本がずいぶんの間積んだままになっているのを思い出して恥ずかしくなった。あの有名な、
「およそ語られうることは明晰に語られうる。そして、論じえないことについては、人は沈黙せねばならない」
という一節に「かっこいいなあ」と憧れて読んではみたものの、ここ数年で数ページしか読んでいないというていたらく。だって難しいんだもの。とすると、もしかしたらこれはただの憧れに過ぎなくて、ウィトゲンシュタインの問いはわたしとはぜんぜん無縁の問いなのかもしれない…という気もしてきた。
この永井さんの主張は、もっと広く詩についても適用できそうな気がする。萩原朔太郎の、「難解な詩などありえない」という言葉が併せて思い出される。

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