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zoom RSS 『マルテの手記』 リルケ

<<   作成日時 : 2007/04/15 20:38   >>

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ようやく読了。重い、重すぎるよリルケ。大都会の孤独と貧窮。その中でひたすら「見ること」を学び続ける若き詩人の手記。深夜のパリ、隙間風の吹き込む粗末なアパートで、蝋燭の弱々しい光のもと、貧しい身なりの青年が寒さと空腹に震えながら、机に向かって憑かれたように何かを書いている、その背中が見えるようだ。想像するだけで胸が苦しくなるような光景が。

人々は生きるためにこの都会へ集まってくるらしい。しかし、僕はむしろ、ここではみんなが死んでゆくとしか思えないのだ。

この有名な書き出しから始まる。ここから早くも不穏さが漂う。生きることの不安と、常に寄り添う死の影。若い詩人マルテの綴るこの手記には怪談めいたエピソードが頻出する。

ボリュームは決して大したことはないのに、とにかく読むのに時間がかかった(訳文が古いのも影響していると思う)。主人公マルテの感じた印象や回想の書かれた部分は集中して読まないと何を読んでいるのか分からなくなる。以前、詩は散文と違って集中していないと読めないと書いたことがあったけれども、この小説も散文形式とはいえ詩を読むときの目で読んだ。そうか、それでやたらと時間がかかったのか。詩人の目は非常に細やかに現象の奥へ奥へと分け入り、描写していく。印象は晴れやかな思い出を懐かしむ心で書かれていても常に曇っている。靄の向こうに霞む風景を見るように。そこには死の影も濃い。

福永武彦は本書に強く影響を受けたという。愛されることより愛することに価値を置く点で、この二人には通じるところがあるのだろう。福永の『愛の試み』を読んだ読者は、以下の文章にそれを見るだろう。
愛せられるための、いささかの技巧や才能があったとて、所詮それは灯の消えた冷たいランプにすぎぬ。愛を待つことでは、決して救われはしないのだ。

ただ人から愛せられるだけの人間の生活は、くだらぬ生活といわねばならぬ。むしろそれは危険な生活といってよいのだ。愛せられる人間は自己に打ち勝って、愛する人間に変わらねばならぬ。愛する人間にだけ不動な確信と安定があるのだ。

(愛されることは、ただ燃え尽きることだ。愛することは、長い夜にともされた美しいランプの光だ。愛されることは消えること。そして愛することは、長い持続だ)

『ドゥイノの悲歌』で歌われる「愛する女たち」についての言及もある。

リルケは本書を執筆したあと書けなくなり、スイスの田舎に引きこもって15年もの間、ほとんど翻訳の仕事に専心し、沈黙したという。同じく沈黙を経て詩作に戻ったヴァレリーと並べて、訳者は「あとがき」にこう書いている。
「十年二十年、文字どおりほんとうに沈黙する勇気をもつ作家は、すでにそれだけで高邁な真実な作家であると言ってよいのかもしれぬ」。
もしかしたら沈黙の最中のリルケの脳裏を、本書中の以下の一節がかすめる夜もあったかもしれない。
詩はいつまでも根気よく待たねばならぬのだ。人は一生かかって、しかもできれば七十年あるいは八十年かかって、まず蜂のように蜜と意味を集めねばならぬ。そうしてやっと最後に、おそらくわずか十行の立派な詩が書けるだろう。詩は人の考えるように感情ではない。(略)詩はほんとうは経験なのだ。

大詩人ですらこんなに厳しい戒律を身に課しているのなら(逆に、厳しい戒律を身に課しているから大詩人になったのだとも考えられるけれど)、感情と想念を下手くそな文章で垂れ流しているわたしのような人間は、もう何も書けなくなってしまうではありませんか…。豊かな沈黙、「言葉が生れる原基としての沈黙」について書いてあるものを読むたびに、自分がこうしてだらだら思いつくままに駄文を綴っていることが恐ろしくなる。


「手記」のタイトルのとおり、断片が並べられた非常に自由な形式で書かれている小説。全体を通してどうこう言えないのは、断片それぞれを味わう読み方しかできなかったから。それにしても苦しい読書だった。ずいぶんと重くのしかかってくるものがあった。
引用ばかりになってしまうけれど、最後にもっとも胸に届いたくだりを以下に引いて終りにします。

僕たちはすべてのディレッタントと同じく、軽はずみな享受によってそこなわれているのだ。ただ名まえだけがひとかどの者として通っても、なんにもならぬ。僕たちは一度僕たちのかち得た地位を捨ててしまったらどうだろう。いつも受身にばかり立っていた「愛」の仕事を、本当の最初から自分の手で始めたらどうだろう。何もかも変わってしまう時代なのだから、まず振出しまで戻ってずぶの一年生から始めるのだ。

大山定一訳(新潮文庫)

4102175032マルテの手記
リルケ 大山 定一
新潮社 1953-06

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
リルケが好きです。
むかし、なにかに出てたリルケの言葉に感動して以来ずっと。
「詩はいつまでも根気よく待たねばならぬのだ。〜」の一節。またも心の奥底にずんと届きました。

リルケの何が好きなのだろう?と思うことがたまにあります。
きっと、あの生真面目さ、真摯さというかそのあたりが好きなのかな?と最近は思います。
k-suke
URL
2008/09/21 00:19
>k-sukeさん

コメントありがとうございます。
リルケは静謐ですね。そうして透き通っています。『ドゥイノの悲歌』はお読みでしょうか。『マルテ』よりも崇高で、意味がつかめない者にもつかめないなりに理解できる内容になっていました。手塚富雄氏の訳が素晴らしかったからでしょう。
epi
2008/09/22 23:50

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