epi の十年千冊。

アクセスカウンタ

zoom RSS 『ドン・キホーテ 後篇』 セルバンテス

<<   作成日時 : 2007/05/29 21:25   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 2

読み始めてから丸一月かけて読了。途中で何度か挫けそうになったが、そのたびに、今回挫折したらまたいつ読むか分からないのだからと気合を入れ直し、なんとか最後まで辿りついた。

→『ドン・キホーテ 前篇』はこちら

ドン・キホーテとサンチョの物語、その後編。
『前篇』が書かれたのは1605年。好評を博した小説を盗作して、1614年にアベリャネーダという人物が『ドン・キホーテ 続編』という贋作を発表する。これに腹を立てたセルバンテスが「こっちが本物だ」と書き始めたのがこの『後篇』である。『前篇』は作品集的な構成だった『ドン・キホーテ』は『後篇』になって驚嘆すべきメタ・フィクションになる。

『後篇』の世界は、『前篇』が本になって出回っているという設定になっている。そのため、会ったこともないのにドン・キホーテとサンチョのことを知っていて、彼らをもてなしてからかう人物たちが登場する。また、『前篇』にあったいくつかの矛盾点についてサンチョが解説をして「それは印刷ミスではないか」などと発言したりする。
『前篇』は騎士道物語のパロディだったのが、『後篇』は騎士道物語+『前篇』+『贋作』のパロディになっており、ドン・キホーテは旅の途中で『贋作』を読んでいる人間と出会うとこの本をやっつけ、『贋作』の舞台がサラゴサになっていると知ると急遽行先を変更してバルセローナに向かう。さらに、『後篇』には『贋作』の登場人物まで出てきて、この人物とドン・キホーテが会話をして『贋作』を批判する場面まである。

構成だけを知るとなかなか面白そうな気がするし、実際この小説がポストモダン小説のはしりと呼ばれるのはこの『後篇』あってこそだと思うのだが、読んでいてどうにも退屈してしまったのは、あまりに展開がワンパターンだから。『前篇』でドン・キホーテは見るものすべてを騎士道物語にあてはめて判断する。『後篇』も同様で、何か不都合が起こっても「これは自分に敵対する魔法使いの仕業だ」で片付けてしまう。ドン・キホーテの狂気は相変わらずなので、このパターンを繰り返されるとだんだん飽きてくる。なんというか…似たようなギャグを連発するお笑い芸人を見るのと同じ感覚といえばよいのか…。たしかにユーモラスな小説ではあるがせいぜいクスクス笑える程度で、ゲラゲラ腹を抱えて笑えるというほどでもない。『エロ事師たち』のほうがずっとおかしいだろう。というか、笑うだけなら小説なんて読まず、テレビでお笑い番組でも見たほうがずっと手っ取り早いと思います。

『前篇』では思ったほど旅をしていなかったドン・キホーテだが、『後篇』では色々と冒険をする。ただ、読んでいて思ったのは、この小説って会話で済ませてしまう箇所が多くないだろうか、ということ。冒険や不思議な体験についてその場面を叙述するのではなく、登場人物が喋ることで読者に伝えられる。たとえば不思議な洞窟の探索など、とてもわくわくできそうなところで、セルバンテスはそこで起きたことを書かずに、あとからドン・キホーテに「こんなことがあった」と語らせる。『前篇』と同じく『後篇』にもわけありのキャラクターが登場するが、彼女たちの体験してきたこともすべて会話によって明らかにされる。日常の出来事がドン・キホーテの狂気にかかって冒険物語となってしまうこの小説は、「語り=騙り」によってなり立っている小説といえるのではないか。

悪口ばかり書くのも嫌なので、面白かったところも。
『後篇』ではサンチョがとうとうインスラを手に入れる。『前篇』であれほど殿様から、やるやると言われながらついに手に入れることのできなかったインスラを手に入れ、サンチョはそこの太守になる。公爵夫人との関係といい、『後篇』ではサンチョの活躍が印象に残る。ドン・キホーテは主人なのに、サンチョのいうままになってしまうことが幾度もあり、この主従の関係の変化も興味深いものがある。サンチョがこんなに頭が切れるとは意外だった。

そして、あの見事なラスト。セルバンテスは贋作がこれ以上生れないようにドン・キホーテを殺してしまう。死ぬ間際のドン・キホーテの台詞を読んだら、この「窶れ顔の騎士」あらため「獅子の騎士」を愛さずにはいられない。ああ、ドン・キホーテっていいヤツだなあ、とちょっと目頭が熱くなった。こんなに高潔な人物はいない。
ドン・キホーテは狂気の人、滑稽な人物の代名詞として用いられもするけれど、セルバンテスはそんな未来を予知していたかのように、公爵夫妻がドン・キホーテ主従の狂気を面白がって、これでもかと悪戯をする場面にこんな恐ろしい言葉をさり気なく書いている。
遊んだ方も遊ばれた方も等しく狂っていた。呆けた二人を弄って遊ぶのにそこまで本気になったとあれば、公爵夫妻も五十歩百歩の呆け、と言わざるをえない。

本当の狂人は誰なのか、考えると怖くなる。


全篇を通してとにかく饒舌な点が、読書の最大の難関だった。

なお、本書には解説および脚注が一切ないので読まれる方はご注意を。この小説の構成についてはwikipediaを参照しました。
→wikipedia「ドン・キホーテ」

荻内勝之 訳(新潮社)

4105044028ドン・キホーテ
セルバンテス 荻内 勝之
新潮社 2005-10-18

by G-Tools


テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
epiさんこんにちわ。こちらでは初めまして。
ブログ1周年ですか。おめでとうございます。どうぞ長く続きますように。
でもって、おぉぉぉ〜ついに現れた荻内訳のドンキを読んだ方がっ!これが出てもうかなり経ちますよねぇ、その時からずーっと欲しい本の筆頭です。手に取ったときの感触など、本としての風合いもすてきですよね。余力がある時にボタンを押そうと思いつつ、そんなものありません、未だ本屋お気に入りリストに入ったままです。これが出る少し前に牛島訳のを読んだばかりで、再読の自信が出ないことには購入は無理でしょう。しかし、あぁ気になる‥。
お話の中身についてはepiさんは今ひとつという感じだったのかしらん。私はとても気に入ったんですけど。身もふたもないぐらいやられまくりのドンキ、我が目を疑いました(笑)。
初めてのコメントなのにあてなく書き連ね済みません。また現れた時はよろしくお願いします。
おはな
2007/07/05 02:23
>おはなさん

ありがとうございます。はい、早いものでもう一年経っていました^^

荻内訳はおはなさんの欲しい本の筆頭でしたか。バラ売りしていないところが、新潮社のうまいところというかずるいところというか(笑)待っていればそのうち文庫になると思うのですが、ならないですねえ。

荻内訳はかなり意訳されていると思います。スペイン語がわからなくてもそう思います。「不動明王」なんて語が出てきて、セルバンテスはそんなこと書いてないだろうとつっこみたくなったり。そういう意味では内容と訳と二重に楽しめる、というか(笑)

>今ひとつという感じだったのかしらん。

うっ…。そ、そうですね…。いや…(どっちだ)
はじめのうちは笑っていたのですけれど、だんだんドン・キホーテが周囲になぶられているのが可哀相になってきてしまって。でも400年前に書かれたことを忘れて違和感なく読めたのはたしかですし、そう考えると凄いなあ、と思います。
あと、これを読むとアベリャネーダ作の『贋作』のほうも読みたくなりません?
epi
2007/07/05 21:48

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
『ドン・キホーテ 後篇』 セルバンテス epi の十年千冊。/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる