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zoom RSS 『半島』 松浦寿輝

<<   作成日時 : 2007/05/20 22:29   >>

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松浦寿輝さんの長編。
大学教師の職を辞し、瀬戸内海に向かって南に突き出した小さな半島の先にある島で、「余生」とも「休暇」ともつかぬ宙ぶらりんな日々を送る、ある中年男の物語。

キャサリン・マンスフィールドは「and」で小説を書き始めることがあったそうだけれど、この小説は「しかし」から始まる。
「しかし幸いなことに長く続いた夏の陽射しもようやく翳りを見せてうにやひとでややどかりや小魚たちがめいめいひっそり生きている静かな潮溜まりも薄明薄暗の中に沈みこんでゆくようだった。」
松浦寿輝さんの小説はこれでひととおり読んだことになるわけで、そのうちでもこれは「花腐し」と並んでもっとも素晴らしい書き出しではないだろうか。わたしがこのひとに惹かれるいちばんの理由は、ひらがなや畳語を多用したうねるような文章が心地よいから。この長編は作者の短篇ほど見事な出来とは思われなかったけれども、読むことの快感は存分に堪能した。内容より文章を味わう作家という位置づけをすることは作者に対して失礼になるだろうか。

といって内容も決してつまらないわけではなくて退屈せずに読める。不満があるとすれば『巴』と同様に、盛り上がってきたと思うや唐突に断ち切られてしまうところだ。この小説は、世間と隔絶されたかのようにゆるやかに時間の流れる島で過ごす主人公が、次第にこの島の背後にある悪というか暴力というかそういうものの存在に気づいていくというミステリ要素のあるものなのだが、だから詳述は避けるけれども、この謎の解明の部分が弱くて、「あれは結局どういうことだったのか」と読者が自分で考えるしかないようになっている。それはそれでもちろんありだとは思うものの、やはりもう少し「謎とき」の部分を楽しみたいという思いは残る。そこがきっちりしないとどうしてももやもやが募ってしまう。

わたし自身は中年を称するにはまだ間もあるし未熟でもあるけれど、松浦作品にたびたび登場するうらぶれた中年男にはいちいち共感したり、カタルシスを覚えることは多い。図々しいのかもしれない。
(前略)結局、この世にいることが俺には苦痛なのだという思いが案外やわやわとした感触で迫村を優しくいたわった。それは俺が自分の子どもを作らなかったからなのだろうか。俺はどの女ともいわゆる家庭なるものを作れなかったし俺の遺伝子を受け継ぐ者をこの世に残せずに死んでゆく。だからこんな年齢になっても大人になりきれず、退屈している一人っ子みたいにこんなところでボールを投げているのだろうか。生きるというのは思い出すってこと。それはいいとしても迫村にはしかし、このときにはこんなことがあったね、あのときはあんなことがあったねと語りかけることのできる存在がいないのだった。そう望んだわけではないけれど成り行きで結局そんなふうになってしまったのだった。

迫村(さこむら)という主人公は四十代らしいので、自分の子どもをもつことを諦めるには早すぎるし、諦念に自足するには若すぎる気もするのは建前でなく本心からそう思う。
ちなみに、「川の光」には「迫村橋」という橋が出てきた。もうひとつの「榎田橋」は短篇の読者なら馴染みのある名前のはず。さりげなくリンクしていたのだなあ。

自分の影との対話、埃っぽい地下室、トロッコの走る地下道などなど幻想趣味がいっぱいで、夢とも現ともつかぬ不明瞭の境をさまよう感覚がとても気持ちよい。こういう傾向の小説が好きな自分でよかったと思える。
しかし、こんなふうにどことも知れぬ島でひとり、人生のエアポケットのような日々を過ごしたいなどと三十にもならないうちから夢想してしまうわたしは大丈夫だろうか。この先何十年も、生き馬の目を抜く(大袈裟)世の中でちゃんと生きていけるのだろうか。いつかドロップアウトしそうで将来の自分を少し心配していたりする…。
(文藝春秋)

4163231102半島
松浦 寿輝
文藝春秋 2004-07-06

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4167703025半島 (文春文庫 ま 19-2)
松浦 寿輝
文藝春秋 2007-07

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