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zoom RSS 『異人たちとの夏』 山田太一

<<   作成日時 : 2007/05/23 19:57   >>

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とてもよかった。感動した。
妻子と別れ、孤独な生活を送る中年シナリオ・ライターが幼い頃に死別した両親そっくりの夫婦と出会うというファンタジックな小説。こういう「死者との再会」ものはそれこそ民話の大昔からあると思うし、小説に限らず映画やテレビドラマでも見かける。その大半はいわゆる「泣ける」ストーリーで、本書もその例に洩れない。といって安易なお涙頂戴ものと違うのは、ホラー的な要素を含んでいる点と、都市生活者の孤独を全編を通して描いている点。現在の孤独が、ノスタルジーの美しさをより際立たせている。

淡々とした「軽い」文章で物語はテンポよく展開する。この軽い文章で都会の孤独と、主人公が身を置くテレビ業界の虚飾が冷静に、あっさりと書かれる。主人公の一人称の語りでありながら、この距離の取りかたは怖い。人生への嫌悪と、死別した両親への愛惜。これも「中年の危機」を扱った小説と読めるかもしれない。仕事ではある程度の結果を残したが感情生活のほうは何も残っていない。妻も息子も失った。いや、仕事だって、自分でなくても代わりが務まる人間はいくらでもいる。では、自分はこれまでの人生で一体何をやってきたのだろう、何もかも徒労だったのだろうか、というような。

ラスト近くでどんでん返しがあるので内容について細かくは触れない。ひとつ言うとしたら、これは「ハートフル・ストーリー」などと安直に括れるような小説ではないということ。自分にとっては何気ない些細な軽い瞬間が、べつの誰かにとっては生死に関わるほど決定的な、重い瞬間になることがありうるという、とても恐ろしいことを書いているのだ。

そのホラー的な要素もさることながら、主人公のネガティヴな感情の叙述も印象に残る。ちょっと気がついただけでもこんなにあった。
「私は不意に深く失望し嗚咽がこみ上げるのを感じた。」
「私は意気地のないいい訳をして、部屋に戻った。」
「いい歳をして誕生日に自分にネクタイを贈るとは、やりきれないことをしたものだった。」
「なんという生活をしているのだろう。」
「非現実をやすやすと受け入れ、タクシーをとばしてこんなところまで来たのは、自分が生きることに投げやりになっているせいではないのか?」
「ひき返しても、たいした人生があるとも思えなかった。」
「二人を捨てて、守らなければならないほどの人生が自分にあるかどうかも分らない。」
「男女の愛に私は多くを託せなくなっていた。」
「彼女のいう通り、嫌な奴だった。そうなってしまうのだ。彼女と話していると、そうなってしまう。」
「重樹に関しては、失望が馴染みの感情だという気がした。」
「無論それは俺が悪い。親としても亭主としても俺が悪い。なにもかも悪い。本気でそう思っているわけではないが、窓から夜景を見て、自分を黒く塗りつぶしていると、小さな快感があった。」
「父と母は、いくら私が否定しても、まるごと私を肯定してくれたが、それを女に求めてはいけなかった。」
こういう中年の疲労感がとても心地よい。中上健次の「十九歳の地図」や大江健三郎の「セヴンティーン」のような「青春小説」は今のわたしにはむさ苦しくてうんざりする。松浦寿輝さんの小説もそうだが、この「うらぶれ感」にとても癒されるというか慰められるのは、わたしもオトナになったということでしょう(そうか?)。

本作は映画になっているそうで、そちらもとてもよい出来らしい。これは見るしかないだろう。
(新潮文庫)

4101018162異人たちとの夏
山田 太一
新潮社 1991-11

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