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zoom RSS 『ブライヅヘッドふたたび』 イーヴリン・ウォー

<<   作成日時 : 2007/06/03 19:42   >>

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副題「チャールス・ライダー大尉の信仰と俗世間の両面に亘る思い出」。
プルースト的な回想の手法を用いて、甘美な青春時代と、ある貴族一家の衰退を抒情豊かに描いたウォーの名作がブッキングから復刊。
一人の中年の男が、かつて愛した人たちと過ごした思い出の地ブライヅヘッドを偶然訪れたとき、幸福だった若い日の記憶が彼の内部で突如はばたき、静かに舞い上がる。ある男との友情と、ある女との恋愛。そのどちらも、今は永遠に失われた。

主人公のチャールス・ライダーは入学したオックスフォードの大学で、貴族の次男セバスチアン・フライトと出会う。熊のぬいぐるみを連れ歩き、奇矯な振る舞いをする非常な美男子で、チャールスは彼に惹かれていく。二人は親しくなり、やがてチャールスはフライト家が所有する豪壮なブライヅヘッドの屋敷(かつては城だった)を訪れ、セバスチアンの家族たちとも親交を深めていく。しかし、繊細なセバスチアンは浮世に居場所がなく、やがて身を持ち崩し、大学を中退し、チャールスの前から姿を消す。
チャールスも後を追うように大学を去る。彼は画家として生きる道を選び、やがて成功する。しかし世俗的な成功は彼を少しも幸福にはしなかった。外国帰りの船上でたまたまセバスチアンの妹ジュリアと再会したチャールスは、ともに家庭をもつ身でありながら恋に落ちる。何もかもを捨てて一緒になろうとする二人だったが、運命に翻弄され、関係は意外な結末を迎える。そして世界大戦が始まり、人々はばらばらに離散してしまう…。

小説はチャールスの一人称で進行する。前半はセバスチアンと過ごす大学生活、後半はジュリアとの恋愛が主に描かれる。どちらもとても浪漫的で美しく、読んでいて溜息が出るが、とりわけ同性愛的なまでに濃密な、青年二人の友情を描く前半が素晴らしい。こんな青春時代を過ごしたかったと心底思わされる。下の引用部分は、二人が一緒にブライヅヘッドで過ごした夏の場面。セバスチアンは怪我をして車椅子に乗っている。

私達は連れ立って魅せられた宮殿の中をさ迷って行き、刈り込んだ黄楊(つげ)の生垣で区切られた果樹園をセバスチアンは車付きの椅子を進めながら冷たい苺や温かい無花果を探して廻り、或は温室から温室へ、一つの匂いから又別な匂いへ、一つの季節から違った季節へと、麝香葡萄の房を切ったり、私たちの上衣の襟に挿す蘭の花を選んだりして移って行き、又、わざとひどくまだ歩き難そうな振りをして階段を登って行って、昔の子供部屋の、擦り切れた花模様の絨毯の上に私と腰を降して、私たちの廻りには空になった玩具箱が並び、部屋の隅ではホーキンスばあやが縫いものをしていて、「貴方達ってのは何てまあ、しようがない人達なんでしょう。子供と同じじゃありませんか。大学で一体、何をしているんです、」と言ったりするのだった。

読んでいて情景が目に浮ぶ。

著者ウォーはカトリック信者で、この小説でも宗教の問題が非常に重要な主題となっている。セバスチアンには兄と二人の妹がいて、彼らはそれぞれ宗教(カトリック)に対して距離が違う。熱心なカトリックもいれば、冷めた態度をとる者もいる。チャールスとジュリアの恋愛には宗教の問題が絡んでくるのだが、このあたりを理解するのは知識の乏しいわたしには難しかった。ついでにいえばセバスチアンの堕落の原因も判然としない。こういうとき、海外小説のもつ(翻訳の問題とは別の)壁を感じる。

チャールスもセバスチアンも、彼の兄ブライディーも、妹のジュリアとコーデリアも、小説に初めて登場したときには予想もつかなかったような人生を歩む。よくなるにせよ悪くなるにせよ、人生は決して本人が思うようにはならない。にも関わらず、その意外な人生が、このうえなく彼ら一人一人に相応しいものに思えてくるところに、生きることの不思議さがあるという気がしてならない。誰が幸福になり、誰が不幸になったのか。そんなことは無意味な問いなのだろう。チャールスが回想に慰めを見出したように(「今日は貴方はいやに元気のようですね」)セバスチアンやジュリアもそうだったのかもしれない。そして、かつてアルカディアで過ごした記憶があるかぎり、人はいかなる状況に陥ったとしても、完全に不幸になるということはないと、この小説を読んで、わたしは信じたくなった。

翻訳は吉田健一。一種の名訳とのことだが、どうなのだろう、決して読みやすくはなかった。というより読み難い。そういえば吉田訳『木曜の男』も読み難かった。ごつごつしていて文章の流れが悪い気がするので、わたしはヨシケンの翻訳と相性が悪いのかもしれない。登場人物の台詞などはいかにもこのひとらしい箇所があって可笑しかったが、読んでいて思いのほかはかがいかず、もどかしかった。岩波文庫から小野寺健さんによる新訳(『回想のブライズヘッド』)が刊行予定らしいので、そちらもチェックしたい。しかし、訳に不満があっても読み耽ってしまうのだから大した小説だと思う。

4835442687ブライヅヘッドふたたび
イーヴリン ウォー Evelyn Waugh 吉田 健一
ブッキング 2006-11

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
こんばんは。私も少し前、この小説を読みました(感想はすっとぼけてしまいました 汗)
宗教が絡んでくると、理解の範囲を超えてお手上げです。ジュリアとチャールズの愛も、結局は宗教観の違いから破局してしまうんですよね・・。福永武彦の『草の花』で千枝子が汐見を見限ってほかの男に嫁ぐのも、同じような理由でしたよね。どうして目の前にいる、目に見え手に触れられる肉体を持った愛する人間より、神なんていう実体のないものを選ぶのか、異教徒の私たちには知る由もないんですが。。どうも納得できなくて、う〜ん、なんだかなぁ、という読後感でした。
吉田健一の文章は読み難かったけれど、学生時代にセバスチャンとすごしたブライヅヘッドでの思い出が美しくて、、なるほど読み応えのある名作だとは思いました。
猫のゆりかご
URL
2007/06/04 21:06
>猫のゆりかごさん

こんばんは。
たしかに『草の花』とよく似ていますよね。はじめに兄と親しくなり、そのあとで妹と恋に落ちるところ、そこにキリスト教が絡み、破綻せざるを得ないところ。ふと、汐見の言葉が思い出されます。「ぼくたちが愛することも憎むことも、神とは関係がないと思うよ」でしたっけ。副題から察すると、チャールスは最後、信仰へと導かれたのでしょうか。よくわかりません…(^^;)

>吉田健一の文章

最初の軍隊の場面がめちゃくちゃ読みづらくて…。あそこがもっと長かったら読むのをやめていたかも。回想に入ると途端にのめりこみました。こういう「後ろ向き」な小説が大好きな性質なので(笑)
初版は1963年だそうで、翻訳はちょっと古い気がします。「魂消た」、「総罷業」なんて、今は使いませんよねえ。
岩波文庫の新訳に期待です。

epi
2007/06/05 00:06

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