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zoom RSS 『オリガ・モリソヴナの反語法』 米原万里

<<   作成日時 : 2007/06/25 17:31   >>

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昨年亡くなられた米原万里さんの唯一の小説。自伝的要素を含むらしい。
少女時代、チェコのプラハ・ソビエト学校で学んだ弘世志摩(ひろせしま)はダンサーを志していたが挫折し、いまはロシア語の翻訳で生計を立て、大学生の息子と暮らしている。ソビエト学校にはオリガ・モリソヴナという老女が踊りの教師をしていて、志摩は彼女に憧れてダンサーを志したのだった。反語と罵倒語を駆使して生徒たちを叱責していたオリガ・モリソヴナは天才的なダンサーだったが、謎めいた言動が多かった。
あれから三十数年。ソ連の崩壊から11ヶ月が経った1992年の冬、志摩はロシアを訪れ、オリガ・モリソヴナの過去を調べはじめる。それは、スターリンによる粛清の嵐が吹き荒れた恐怖の時代の記憶を暴くことでもあった。

基本的にミステリー仕立てで、とにかく読ませる。ひとつ謎が解かれると、また新しい謎が生まれる。しかも、この謎解きの場面が実に巧妙で、ちょうどいいところまで来たと思うと中断されたりして、次のページを繰らずにいられない。変わり者だった老教師の過去を調べるうちに、それが過酷なスターリン時代へと繋がっていき、物語が奥行きを増す。

亀山郁夫さんの解説にもあるが、本書は交互に展開する三つの時空間から成り立つ。
スターリン時代のソビエトおよびラーゲリ。
志摩が少女時代を過ごしたプラハ。
そしてソ連崩壊後のモスクワ。
これらの三つの異なる時空間が交互に語られながら、最後にはある反語によって過去が現在に収束するエンディングは見事の一言で、読了してすぐまた最初のページに戻りたくなる。

わたしは本書を読んでいて、ミラン・クンデラの以下の言葉を思い出した。
人間がただ自分自身の魂の怪物と戦うだけでよかった最後の平和な時代、ジョイスとプルーストの時代は過ぎさりました。カフカ、ハシェク、ムージル、ブロッホの小説においては、怪物は外側から来るのであり、それは《歴史》と呼ばれています。[……]それは非個人的なもの、統御できないものであり、計りしれないもの、理解できないものであり――そして誰もそこから逃れられないのです。

講演「セルバンテスの貶められた遺産」(集英社文庫『不滅』解説より引用)


ある国のある時代に生れたがために死なねばならなかった人たちがいて、地獄のような思いをしながらも生き延びた人たちもいた。秘められていた過去を明らかにし、忘れてはいけないこと、風化させてはならないことを守るために語られた小説。これが米原万里という日本人によって書かれたことを思うと、「日本文学」「世界文学」などという分類が馬鹿らしく思えてくる。亀山郁夫さんは本書を「翻訳すべき」と解説に書いていて、たしかに本書が本国ロシアの人たちにどう読まれるか知りたい気になる。膨大な文献を渉猟して書かれたこの「フィクション」はノンフィクションと比較しても遜色ないのではないだろうか。
(集英社文庫)


4087478750オリガ・モリソヴナの反語法
米原 万里
集英社 2005-10-20

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米原万里 『打ちのめされるようなすごい本』 書評
                         2006年(昨年)5月25日に卵巣癌により56歳で亡くなったロシア語通訳者米原万里の遺著、書評集である。文藝春秋社、発行。週刊文春書評が、本書第一部300頁を占める(2001年から2006年5月18日号まで)。本書後半の200頁は、週刊文春以外の新聞雑誌に書いた1995年以後の全書評を収録している。 週刊文春の書評は原稿用紙12枚前後。数冊を書評しているから一冊当たりは2〜3枚であろうか。週刊文春に発表した書評の長さは200文字から数枚までさまざ... ...続きを見る
試稿錯誤
2007/09/02 00:12

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
池澤夏樹がBunkamuraドゥマゴ文学賞(一人の選考委員がひとつの作品を選ぶ文学賞です)を与えた作品、ということで読んだのですが、とても感動的で、心に強く残っています。

>地獄のような思いをしながらも生き延びた人たちもいた。

強制収容所に入れられた女性たちが、劣悪な環境の中でも、夜毎に自分たちが覚えていた小説を朗読しあう場面が忘れられません。「フィクションがなくては、生きていけない」というようなセリフがありましたよね。物語が人の心にもたらすものという事を考えたときに、必ず思い出す場面です。
猫のゆりかご
URL
2007/06/25 20:30
>猫のゆりかごさん

こんばんは。すてきなコメントをありがとうございます^^
猫のゆりかごさんが指摘された場面は素晴らしかったですよね。仲間がする小説の朗読を聴くことを生き甲斐に、強制収容所の過酷な一日を乗り切ろうとする女たち。実際、何も持つことを許されない極限状態で何ができるといったら、「お話をする」しか打つ手はないですもんね。でも、こんなふうにフィクションを役立てるというのは、素晴らしいと思う反面で残酷だなとも思いました。「小説なんて何の役にも立たない」とか言っていられる世の中は、それだけ平和だともいえるわけですから。

重い内容なのだけれど、決して重苦しいだけにしない、明るさやユーモアを忘れない、そういう点に米原さんのお人柄を見た気もしました。傑作だと思います。
epi
2007/06/25 23:14

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