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zoom RSS 『グロテスク』 桐野夏生

<<   作成日時 : 2007/06/06 21:19   >>

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1997年に渋谷区で起きた東電OL殺人事件をもとに書かれた小説。あくまで創作であって事件と結びつけるのはあまり意味がないと思うし、またそういう背景を無視してもじゅうぶん読ませるすぐれた小説だった。

小説は<わたし>という女性が物語る形式になっている。
<わたし>には一歳年下の妹がいた。ユリコといって、信じられないような美貌を持ち、すべての人間をその美しさで屈服させてしまう規格外の存在で、不器量な<わたし>は子どものころから、この美しすぎる妹と比較されては屈辱を感じていた。
自己のアイデンティティを勉強に見出そうと必死に励み、名門Q女子高に入学した<わたし>は、そこが信じられないような階級社会であるのを知って愕然とする。Qは、初等科、中等科、高等科の順にヒエラルキーが形成されており、外部から入学してきた<わたし>のような人間は、大企業の家に生まれ、大学卒業後も就職などせず(就職したら「恥だと思っている」)一生、食事の皿を洗うこともないような初等科から在籍している「主流」から見れば「傍流」なのだと知る。いくら努力してもどうにもならない世界で、<わたし>はある女生徒を知る。同じく、涙ぐましい努力をしてQに入学した和恵。頑張りさえすれば何事も叶うと信じる彼女の言動は、主流の人間たちから失笑を買う。

時が過ぎ、中年となったユリコと和恵はともに娼婦となり、ともに殺害される。ユリコはともかく、和恵は業界最大手企業の研究所で副室長の肩書きをもつキャリアウーマンになっているが、結局は男社会である職場で先への希望をもてず、私生活でも友人や恋人をもてず、挫折感に苛まれている。彼女がなぜ娼婦になったのかについては200頁に渡って日記の形式で本編に挿入されていて、おそらく、ここがこの小説の白眉だろう。そこで綿々と綴られるのは、頑張りさえすればなんとかなると盲信して生きてきた女性が、どうにも壊しようのない「現実」という壁にぶつかって正気を失っていく過程であり、読んでいてやりきれなくなる。バリバリ仕事をして認められようと思っても、基本的に男のルールで成り立っている会社という世界では女であるというだけで一段下に見られ、仕事で成果をあげたところで煙たがられるだけ。容姿がよければ男たちの愛玩物としてちやほやされるが、そうでない女は冷淡に扱われる。女である以上は和恵がどんなに努力してもどうにもならない世界、決して動かせない世界、それが現実だった。

和恵は娼婦になることで、この現実、この世界、そして自分に対して復讐する。この心理的な過程は省略することは不可能だし無意味だと思うので、どうぞ読んでご確認ください。ここで語られるのは一人の女の圧倒的孤独。恋人もいない、友人もいない、父親が亡くなっているので一家の家計を支えねばならない、しかし仕事は限界に来ている、家庭は崩壊している、とどん詰まりに追い詰められた女の壮絶な告白で、大袈裟でなく、読んでいて本をもつ手が震えた。そして、以下の引用部分ではあまりにつらくて涙がこぼれた。
自分以上に仕事のできる、山本という同期の女性社員のデートの夜、彼女ほどの女が付き合っているのはどんな男かと興味を抱いた和恵は山本を尾行し、意外なほど凡庸な相手に失望したあとで「しかし」と独白する。

あたしが求めても得られないものを山本は持っているのだ。いや、山本だけじゃない。仕事ができないとあたしが馬鹿にしている女子アシスタントも、無礼極まりない同期の男も、樺野のような傍流のオヤジも、至極当然のように持っているのに、あたしだけが持てないものがある。それは人間関係だった。友達とか、恋人。心ときめく誰か。あるいは楽しく話せる人。退社後にぜひ会いたい、と思わせる人物。会社の外に絶対あるはずの自由を感じさせてくれる人々の存在。
(中略)
男たちには秘密を持つ楽しみがある。仲間もいる。飲みに行ったり、女に現を抜かしたり、陰謀を張り巡らせたり。でも、あたしには仕事以外、何もない。その仕事も一番ではないのだ。山本に敵わない。人間関係も持っていない。高校時代から友達と呼べる人もいなかった。ないないづくしに虫がわんわんと共鳴する。あたしは虚しさと寂しさのあまり、銀座通りの真ん中で大声で泣きたいほどだった。(中略)
誰か声をかけて。あたしを誘ってください。お願いだから、あたしに優しい言葉をかけてください。
綺麗だって言って、可愛いって言って。
お茶でも飲まないかって囁いて。
今度、二人きりで会いませんかって誘って。

ああ、なんて孤独なんだろう。
可哀相に、可哀相に。そう思ったら涙が止まらなかった。まさかこの小説で泣くことになるとはつゆ思わず、「女たちの悪意が書かれた小説」という触れ込みを真に受け、珍しい昆虫の生態を観察するような冷めた視線で読み、舌なめずりしながらその悪意を堪能しようと思っていたのだが、こんなに痛切な孤独の叫びを聞いては感情を抑えられない。どうしてこんなに和恵は可哀相なのか。すでに中年になり、過剰なダイエットにのめり込み、ホテトルのクラブはクビになり、109のトイレでお化けのようなメイクをし、立ちんぼになってホームレスを相手にわずか数千円で身を売る彼女に嫌悪感など微塵も起きず、ただ彼女の抱えた底なしの孤独感に打ちのめされた。

「愛されたい」
「誰かに必要とされたい」
和恵が求めていたのは、人が生きるうえで抱く当たり前の欲求で、にも関わらず彼女はそれを得られないで苦しみ、もがいている。こんなにも深い絶望を力業で書き切った著者に感服する。

ニンフォマニアで絶世の美女のユリコ。
ユリコへのコンプレックスに憑かれた<わたし>。
キャリアウーマンにして娼婦の和恵。
彼女たちを殺した中国人のチャン。
主要な登場人物はこの四人。彼らを指して「グロテスク」と呼ぶのはたやすいが、著者の真意はそこにはないような気がする。解説で斎藤美奈子さんも書いているが、このような人物たちを生んだ社会システムこそ「グロテスク」なのではないか。絶対的な階級社会の名門女子高、実力があっても女であるという理由で軽視される会社組織、貧しい土地に縛りつけられ食うものもろくにない中国内陸部、こうした社会こそが(それが小説としてデフォルメされていたとしても)「グロテスク」なのではないか。といって、もちろん彼らはその被害者に過ぎないとまでいう気はしないけれども。
また、彼女たちの中にある絶望や嫉妬や怒りや悪意についても、それを怪物たちだけがもつ特殊なものと見過ごしてしまうのではなく、自分の中にも棲んでいる魔物として自覚することで、この残酷な小説を消化できるという気がするのだが、どうだろうか。

こういう人間の暗部を書いた小説を読むと、落ち込むどころか逆に爽快な、解放された気分になるのはどうしてなのか。上辺はどうあれ、人間はみんなひとりぼっちで、寂しいのだ。それを意識していると、意識していないとの違いこそあれ。そう思うことで身体が少しだけ軽くなる気がする。これがカタルシスだろう。見事な小説だった。


なお、東電OL殺人事件の詳細については以下のサイトが参考になりました。
東電OL殺人事件[無限回廊]

4167602091グロテスク〈上〉
桐野 夏生
文藝春秋 2006-09

by G-Tools


4167602105グロテスク〈下〉
桐野 夏生
文藝春秋 2006-09

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
はじめまして。
桐野夏生「グロテスク」は昨年文庫化された時に、衝動買いしました。
桐野さんの小説はこの本が初めてだったのですが、たいへん面白く、
あっという間に読み終えました。特に最後の和恵が転落していく日記
は一気読みでした。ドストエフスキーの「二重人格」を思い出したり
しましたが、それ以上の救いようのなさを感じました。
アルトゥール
URL
2007/06/09 11:38
>アルトゥールさん

はじめまして。コメントありがとうございます。
やはり白眉は和恵の日記ですね。これだけ鬱屈した心理をよくここまで掘り下げたなあと著者に感服しました。
この小説を読んだあとで佐野眞一さんのルポ『東電OL殺人事件』も読んでみたのですが、和恵の行動はかなりこの事件の被害者の方に似せて書かれていたので驚きました。
これはもちろん創作ですし、実際の事件の被害者の方の行動の原因は謎なのですけれど、ひとつの仮定としてこういう心理状態で生きていた女性の内面を想像するとその孤独感と絶望感には背筋が寒くなります。
epi
2007/06/09 16:31

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