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zoom RSS 『カラマーゾフの兄弟 4』 ドストエフスキー

<<   作成日時 : 2007/07/18 22:44   >>

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いよいよ物語は終盤へ。
父親殺害の容疑で連行されたミーチャの裁判を明日に控えた11月の初め。アリョーシャは瀕死のイリューシャ少年を見舞い、コーリャと親しくなる。そのあと、彼はグルーシェニカ、ミーチャ(刑務所内)、カテリーナ、イワンといった主要な人物のもとを訪問する。
フョードル殺害の知らせを受け、イワンはモスクワからスコトプリゴニエフスク村に戻ってきている。彼とスメルジャコフとの三度の対面。ここで謎めいたフョードル殺害事件の真相が明らかになる。犯人はミーチャではなくてスメルジャコフだった。スメルジャコフのイワンへの歪んだ愛情。スメルジャコフはイワンと「父親殺し」の黙契を結んだものと思い込んでおり、それを実行したのだった。主人の隠された願望をかなえてやるために。「あなたが主犯で自分は手先に過ぎない」とスメルジャコフは言う。精神的に追い詰められるイワン。すでに幻覚症状に苦しんでいた彼は自己の分身である悪魔と対話して精神が崩壊する。ときを同じくして、スメルジャコフは真相を隠したまま自殺する。
そしてミーチャの公判が始まる。弁護士と検事は一歩も譲らぬ論戦を展開する。次々に召喚される証人たちの証言によって戦局は一進一退を繰り返し、やがて裁判は「父親殺し」という事件の枠を超え、ロシア、いや全人類の未来に向けられた壮大な予言となっていく。
裁判は深夜まで続けられる。そして評決。無罪の色が濃かったにもかかわらず、陪審員たちがミーチャに下したのは有罪判決だった…。


この有罪判決はドストエフスキーが『罪と罰』や『悪霊』で扱った「大地との断絶」というテーマの延長線上にあるものだろう。ラスコーリニコフはシベリアの刑務所内で庶民階級の収容者たちに「おめえは旦那だよ! 斧を持って歩き回るって柄かよ!」と揶揄され、彼らから無視される。「知識人たちよ、民衆の前にひざまずけ」とは晩年のドストエフスキーが『作家の日記』だかに書いた言葉だったはずで、彼はロシアの民衆の可能性を信じながら、同時に自身の投獄体験から庶民階級との間にある埋めようのない溝を感じていた。ラスコーリニコフの件はその体験から生まれたものだろう。
しかし、『カラマーゾフ』で民衆によって裁かれるミーチャの場合は少し違う。ミーチャが下宿している家の家主は、彼を「身内同然とみなし」「プライドの高い旦那などとはまったく思」わず「彼を愛していた」とある(3巻138ページ)。地主階級に生まれはしたが下男によって育てられたミーチャを指して、検事イッポリートは言う。彼こそ「母なるロシア」の象徴なのだ、と(イワンは「ヨーロッパ主義」、アリョーシャは「民衆原理」の象徴だとも言う)。
ミーチャはエピローグで奇妙なことを口走る。「おれはロシアの神を愛しているんだ」。アリョーシャとイエズス会について話したあと、なぜわざわざ「ロシアの神」などと言うのか。ここに、『悪霊』のモティーフのひとつだった「ヨーロッパ伝来のキリスト教とロシア土着の信仰の対立」を見ることも可能ではないのか。「母なるロシア」の象徴であるミーチャが「ロシアの神」と口走るのは自然で、彼がラスコーリニコフのように完全には民衆と断絶していないのも頷ける。ここで彼が口にしているのは、だから、キリスト教の神ではないのではないか、とわたしは疑っている。

『悪霊』と絡ませると、ドストエフスキーがスメルジャコフに託したものも見えてくる。彼は、イワンに象徴される「ヨーロッパ主義」のインテリたちに乗せられて「母なるロシア」を見捨て(彼はミーチャの無罪を晴らさずに自殺する)、唯物論的なヨーロッパ文明に憧れ、自分自身の思想はもたず、というかもてず、ある強烈な観念に出会うと一生涯それに圧倒されてしまうような、中途半端な知識人の象徴(「精神の下男」)として描かれている。
スメルジャコフはなぜイワンに憧れたのか。それはイワンが「ヨーロッパ主義」だからだ。彼は大地を見捨て、立派な服や、こざっぱりしたシャツや、ぴかぴかの靴の中に文明を見るようになる。「完全無欠なフランス共和国」に憧れ、鼻めがねをかけ、大好きなおフランスで暮らす準備としてフランス語の勉強をはじめる。しかし悲しいかな、彼はまだ文明が分かっていないのだ。フョードルに貸してもらったゴーゴリやスマラグドフの本は退屈で、モスクワで芝居に行っても「不満足そうな顔をして帰って」きてしまう。ポマードや香水をつけ、お洒落な身なりをして文明人らしい外見をすることなら真似できる。しかし本や芝居となると理解できない。なぜなら彼は下男であって旦那ではないから。作者はこの人物をさりげなく、だが実に念を入れて残酷に扱っている。

思想の肥大化した農民はスメルジャコフ以前に『悪霊』のシャートフがいた。農奴解放によって半インテリの道を歩みだしたこの百姓の子はロシア・メシアニズムを熱烈に信奉している。「シャートフ」とは「ぐらついた者」という意味があるそうで、これは大地から根こそぎされた農民を表している、と中村健之介氏は述べる。西欧化によって母なる大地を捨てた百姓の子が西欧かぶれの革命家グループに加わるも離反し、彼らに殺される。ドストエフスキーはそのような現実を嘆いていたのではないか。だから、「ロシアの大地」を信仰するマリヤ・レビャートキナはシャートフの髪を梳いてやりながら泣いたのだ。大地もまた、百姓がいなければ命が涸れてしまうから。
しかし『悪霊』では殺されてしまう半インテリは、『カラマーゾフ』では旦那を殺す側に回り、教唆したイワンを破滅させる。この構図にドストエフスキーは何をこめたのか。未来か。もしかすると「知識人たちよ、民衆の前にひざまずけ」とは恐怖の叫びだったのだろうか。

「ヨーロッパ主義」に教唆された「精神の下男」が「父」を殺し、無実の「母なるロシア」が裁判にかけられ、有罪を宣告される。作者は第12編のタイトルをあからさまに「誤審」としている。書かれなかった「第二の小説」が、亀山郁夫さんの言うとおり、より象徴的な「父殺し」を扱うものだったとしたら、この「第一の小説」の裁判はどういう意味をもつものになったのだろう。

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