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zoom RSS 『戦争で死ぬ、ということ』 島本慈子

<<   作成日時 : 2007/08/04 01:11   >>

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ここ数年、毎年八月には、一冊でいいから、必ず戦争に関連した本を読むようにしている。わたしは忘れっぽい人間だから、そうしないとあんなにも怖ろしい過去を忘れてしまうのではないかと不安になるのだ。本書は戦後生まれの著者が、同じく戦後生まれの、戦争を知らない人々のために書いた本。大量殺人という実態面から戦争をリアルに考えることを促す。

「戦争による死」をめぐる様々なアプローチによって戦時中の日本の状況を概観することができる。本書の大体の内容がつかめるかと思うので、全八章の目次を挙げる。

■第一章 大阪大空襲――戦争の実体からの出発
■第二章 伏龍特攻隊――少年たちの消耗大作戦
■第三章 戦時のメディア――憎しみの増幅マシーン
■第四章 フィリピンの土――非情の記憶が伝えるもの
■第五章 殺人テクノロジー――レースの果てのヒロシマ
■第六章 おんなと愛国――死のリアリズムが隠されるとき
■第七章 戦争と労働――生きる権利の見えない衝突
■第八章 九月のいのち――同時多発テロ、悲しみから明日へ

個人的には、特攻隊の愚劣な作戦と、そのために死んでいった若者たちについて書かれた第二章と、日本が研究開発していた原子爆弾がもし完成していたら、日本は「原爆を落とされた側」から「原爆を落とした側」になっていただろうかと考えさせられた第五章、「戦力補充」のために産むこと(「産めよ増やせよ」)と、「チアガール」になって男たちを応援することの二つの役割を求められる戦時中の女性について書かれた第六章が興味深かった。わけても第六章。戦地へ向かう息子に、「お国のために死んで来い」と言える母親こそ理想の母親とされた当時の風潮を知って仰天した。当時の女性に影響力をもっていた婦人雑誌には、「愛児二人づつを皇国に捧げた誉れの母の座談会」「母一人子一人の愛児を御国に捧げた誉れの母の座談会」や、「軍国母の手紙集」などといった記事が掲載されていた。

本書には記述の合間に、著者が戦争体験者に行ったインタビューが挿入されている。どれも忘れがたいものばかりだが、そのなかからとくに印象的だったものを二つ引用する。先は特攻志願者の方の、後は広島で被爆した方のもの。

「本当に、あんなことね、あんなこと、思い出したくもない。新憲法が発布されたときにね、そのときにようやく安心したですよ。ああこれで俺は特攻へは連れ出されない。あんな苦しみからは、これで解放されたと。だから安心して沈黙を続けることもできた。けれど、日本は曲がってしまったね。自衛隊のイラク派遣で。あれは自衛じゃない、日本は変わってしまった。戦争っていうのは急にはじまるんじゃないですよ。どんどんマインドコントロールをしていくんです。最近、特攻を美化する風潮がある。ああ、俺たちがやられたことと同じだと思うと、これは話さなければならない、と。
突っ込んでいく、勇ましく、崇高な、と。そんなもんじゃないよ。自分がやってみろ。特攻隊員は出撃のとき、『睡眠防止剤』と称して覚醒剤を渡されたという話を、複数の人から聞いたことがあります。あくまでも伝聞ですから、事実かどうかはわからない。覚醒剤を飲んだか飲まないか、それはわからないけれども、どっちにしたって同じですよ。自分を失って突っ込んでいくんだ。(後略)」


「絵にもあらわせないぐらい、やけどでずるずるになった人たちが、両手を前にして、ふわー、ふわーと幽霊みたいに歩いている。皮がむけているだけじゃない、奥まで焼けているから、触れると痛い。手を前にするのが一番楽なんですよ。内臓が破裂して飛び出して死んでいる人がいるし、破裂した内臓を手で押さえている人がいる。
そういう光景のなかを気が狂って走りまわっている人がいるのよ。気が狂った人、いっぱいいたですね。(後略)」


戦争は人と人が(合法的に)殺しあう場であって、それ以外の何でもないということを改めて認識する。しかも、より効率よく人間を殺すために知力の限りを尽くす場なのだ。

本書の帯に「死を見ずに戦争を語るな」とある。戦争とは死、なのだ。憎しみによる殺戮は報復を招き、それは更なる報復を呼ぶ。憎悪の連鎖。この鎖を断ち切るしか、戦争を根絶するすべはないと著者は書く。
戦争は決して終った過去の問題ではない、とも著者は述べている。いまが戦前でないとはいえない、と。労働問題と戦争を絡めて書かれている第七章はしょうじきにわかには信じがたいというか実感がもてなかったのだが、こうした油断にいつ足元を掬われるか分かったものではない。ことが戦争に関するかぎり、どれだけ用心してもしすぎることはないだろう。

いかなる理由があろうとも、戦争だけは、絶対にごめんだ。


4004310261戦争で死ぬ、ということ (岩波新書)
島本 慈子
岩波書店 2006-07

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
この季節、様々な番組で戦争が取り上げられてて、体験者の声を聞くだけで心がいっぱいになりますね。事実の重みを途端に感じるというか。きっと普段は私はは「歴史」として見つつあるのでしょう。
戦争に関しては色んな意見がありますよね。日本国内でだけでも、一度それをオープンに語り合う必要があるのではないでしょうか。
おはな
2007/08/10 01:42
>おはなさん

コメントありがとうございます。
戦争の体験者はどんどん減っていきます。やがては日本から一人もいなくなります。そのとき、わたしたちの国に何が起こるのか。考えると怖くなります。「戦争はきゅうにはじまるのではない」とは体験者の方の言葉もありますし。

>「歴史」として
ほんと、そうですよね。わたしもそうです。でも実際に戦争を体験した方にいわせればとんでもないことで、たとえ終戦から62年といったって、本当の意味で「終戦」なんてことは体験した方たちの人生には、もはやありえないのではないかと想像します。想像するだけでも、つらくなります。
epi
2007/08/10 08:32

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