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zoom RSS 『21世紀 ドストエフスキーがやってくる』 大江健三郎ほか

<<   作成日時 : 2007/08/15 06:36   >>

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ドストエフスキーほど、いつの時代にも今日的な意義をもって読まれている19世紀の小説家はほかにいないのではないか。常に新しく、常に驚きをもって読まれている。そういう意味では現代作家と呼べるかもしれない。本書のなかでソローキンは「ドストエフスキーは死んでいましたっけ?」とインタビュアーに答えているが、たしかにドストエフスキーは死んでいないし、また殺せそうにもない。
本書は著名な作家や研究者たちによるドストエフスキー読本。対談や評論、エッセイを収録している。
図書館で見かけてぱらぱらめくったら、ああ、これはパーティーだな、と思った。ドストエフスキーについて語るパーティー。ビールを飲みながら本の中で語られる話に、仰天したり、膝を打ったり、反論したくなったり、大笑いしたり、とても愉快な時間を過ごした。350ページ程度の厚さだが、対談以外は二段組なので厚さ以上に読みでがある。

気に入った箇所のすべてにふれていたらきりがないので止します。いくつか印象的だった箇所についてだけ書いてみる。


■ドストエフスキーが21世紀に残したもの

大江健三郎さんと沼野充義さんの対談。
ドストエフスキーの英訳史についてのやりとりはインテリジェンス溢れていて退屈だったけれど、大江さんがドストエフスキーについて語りだすとだんだん面白くなってくる。大江さんは『悪霊』の「スタヴローギンの告白」や『カラマーゾフ』の「大審問官」など小説中のエピソードをそこだけ取り出して論じる読み方を批判する。そして、『悪霊』のスタヴローギン評価は過大されており、あの小説の真の主役はピョートル・ヴェルホヴェンスキーではないか、と語る。これには膝を叩いた。わたしも『悪霊』を何度か読んだがスタヴローギンのどこが凄いのかどうしてもわからず、それよりもピョートルの「モンスター」振りのほうにはるかに恐怖を覚えてきたので。彼がシャートフを殺したのは組織の結束のためではなくて、気に食わなかったからではなかったか。たしかシャートフ殺しの場面にそういう文章がさり気なく書かれていたように記憶しているのだが。スタヴローギンは最後には「看護婦」になってくれるとかいう女中に向かって「ぼくと一緒にスイスの山奥で暮らそう」なんて、なよなよ頼りないことを口にするような人物でちっとも怖くない。それよりも知事夫人と肉体関係を持ち、遊び半分のように犯罪を犯していくピョートルのほうが不気味でならない。彼は自殺しそうもないし、およそ悔恨とは無縁そうな性格だ。
ただ、大江さんはミーチャ・カラマーゾフに対してはかなり冷淡なので残念だった。「あの程度の人物」なんて言われちゃって、ミーチャかわいそう。


■二つの「ドストエフスキー」の間に

亀山郁夫さんと加賀乙彦さんの対談。このなかで亀山さんが言っているとおり、研究者ではなく作家でなくてはわからないことというのはあるのかもしれない(大江さんもそうだが)。対談は亀山さんが加賀さんから「ご批判を仰ぐ」かたちになっているので、どちらかというと加賀さんのドストエフスキー論がメインになっている印象。加賀さんはキリスト教の洗礼を受けられたそうで、キリスト教徒になってドストエフスキーがわかるようになった、という趣旨のことを幾度か繰り返している。この流れで江川卓さんの「謎とき」についてふれ、かなり厳しい批判的見解を口にしたのには驚いてしまった。
加賀 (前略)江川さんが信濃追分に別荘を持っていたので、夏のあいだ飲み友達でつきあっていた時期があります。すぐそばに原卓也もいるし、二人のロシア文学者とトルストイやドストエフスキーについて、飲みながらいろいろ話していた。ある日、江川卓に「あなたはキリスト教の信仰はあるの?」と聞いたら、「全然ない」。「関心は?」と聞くと、「関心もない」と言う(笑)。ただ、ドストエフスキーにロシア正教との関わりを持つ言葉の遣い方があるのは認める、と言うんです。それを聞いて、私はこう言ったことがある。「だからなんだね。あなたの書いたのを読むと、非常に面白いけれど、ちっとも神聖な感じがしない」と。
(後略)

べつに書いたものが神聖かどうかなんてどうでもいいことじゃないか、というか神聖ってどういうことなのか、という気にならなくもないけれど、いやしかしこれはかなり辛辣な批判で、ただの読者に過ぎないわたしまで思わず「イタタ…」と呟いてしまった。

また加賀さんは、ドストエフスキーのてんかんはシベリア流刑中に得たものだという見解を示す。これには聞き手の亀山さん同様、衝撃を受けた。一般的にはドストエフスキーのてんかんは彼が学生のころ、父親が領地で農民に殺されたのがきっかけとされてきたのではなかったか。現代の医学に基づくと、てんかんはそうした心理的な原因から起こるのではないという。もし本当なら仰天。

しかしこの対談は亀山さんが受身なので物足りない。ちょっと加賀さんをヨイショしすぎでは…と思うようなところもあるし(「加賀さんの『宣告』には『罪と罰』も及ばない部分があります」…云々)。米原さんの『オリガ・モリソヴナの反語法』の解説では作者を「女ドストエフスキー」と言ったりして、亀山さんは煽りの才能がある方なのかもしれない。高揚感あふれるブログ記事もそう。もっとも、陰ではペロッと舌を出してアッカンベーしているのかもしれないが。


■メタテクストとしてのドストエフスキー
■文学という劇薬 ドストエフスキーをゴム手袋をはめて読む?

アクーニン、ソローキンへのドストエフスキーについてのインタビュー。
彼らはともにドストエフスキーのパロディ小説を書いていて、とくにアクーニンの『F.M.』という小説は、『罪と罰』はもともとは当時金に困っていたドストエフスキーが生活のために書いた探偵小説で、その原稿が見つかった、という設定のミステリーらしい。あらすじを読んだだけでわくわくしてくる。なんと、スパイダーマンや犬夜叉も登場するという。いったいどういう小説なんだ…。

この二人の話を聞いているとドストエフスキーの小説がいかに全世界を射程に含んでいるとはいえ、結局彼はロシア人なんだろうなあという気がしてくる。アクーニンはこう言う。
(ドストエフスキーは)論理的にはではなく、感情的、印象主義風に説明し、この国がどういうものかという見取り図を示してくれている。細かいところにこだわってこの見取り図を見ると、「こんなの違う!」「こうじゃない!」「賛成できない!」と思うのですが、少し離れて見直すと、「いやはや、これがロシアだ」と思えてくる。

また彼はドストエフスキーの「悪文」についてこんな笑えるエピソードを紹介してくれる。
(ドストエフスキーの文章は)たしかに正しい文でないところがありますし、同語反復(トートロジー)が多いですね。有名な話ですが、ある人がドストエフスキーにこう言った。「フョードル・ミハイロヴィチ、『罪と罰』にこう書いてありますよ。<丸い形をした楕円のテーブル>ってね。いったいどっちなんです、楕円形なんですか、それとも円形なんですか?」。そうしたら、ドストエフスキーがこう答えたんです。「ああ、それはよくない。そうですねえ……でも、まあ、そのままにしておきましょう。そのとおりなんですから。丸い形をした楕円のテーブルなんですよ」。

ブラヴォー!! ドストエフスキー!!


わたしにとってドストエフスキーの魅力は、なんといってもそのデカさにある。作家本人もかなり矛盾した人物だったようだが、矛盾した考えを同時に持ちえるというのはそれだけその人の頭脳の容量が大きいことを示している、と夏目漱石は書簡かなにかに書いていた。その通りだと思う。人類への愛を大真面目に語ったかと思うと、次のページではこせこせした悪について語られる。この清濁が併せて存在する世界には圧倒される。また、後期の小説に顕著だが哲学的、思想的な内容も盛り込まれており、それによって世界観を新しくする、という読者はつねにいるだろう。「ドストエフスキーの頭の中では様々な観念が人間のかたちをして歩き回っていたのではないか」と書いたのは小林秀雄だったか。
この人は約200年前の生まれだということが、考えてみると不思議になる。

最後に、読んで思わず吹き出してしまったアクーニンの言葉を引用してこの記事を終ります。
若い読者たちよ! ドストエフスキーを読むなかれ。ドストエフスキーを読むには、君たちはまだ愚かすぎる! せめて30歳になるまで待ちたまえ

(集英社)


以下は目次です。(!)マークは、個人的におもしろく読めた記事です。

◆第1部
多重人格としてのドストエフスキー 島田雅彦×金原ひとみ
『罪と罰』に呼ばれて 袋正
トルストイとドストエフスキー 加賀乙彦
さまざまな声のカーニバル ドストエフスキー研究と批評の流れを瞥見する 沼野充義(!)
ドストエフスキイの時代 小森陽一
笑えなかったドストエフスキー 浦雅春
黒澤明の『白痴』 四方田犬彦
『カラキョウ』超局所的読み比べ 斎藤美奈子(!)

◆第2部
ドストエフスキーが21世紀に残したもの 大江健三郎×沼野充義(!)
メタテクストとしてのドストエフスキー ボリス・アクーニン(!)
文学という劇薬 ドストエフスキーをゴム手袋をはめて読む? ウラジーミル・ソローキン(!)
現代ロシア版「ドストエフスキーごっこ」 望月哲男(!)
世界のなかのドストエフスキー ラテンアメリカ 野谷文昭
世界のなかのドストエフスキー アメリカ 青山南
世界のなかのドストエフスキー 中国 白井澄世
世界のなかのドストエフスキー ポスト/植民地 中村和恵

◆第3部
二つの「ドストエフスキー」の間に 加賀乙彦×亀山郁夫(!)
二〇〇六年の『罪と罰』 井桁貞義
「赤い蜘蛛」と「子供」 斎藤環
ドストエフスキーと正教 安岡治子
「厚い雑誌」の興亡 一九世紀の雑誌読者 貝澤哉
『罪と罰』メディア・リテラシーの練習問題 番場俊(!)
てんかんと火事 越野剛
『白痴』の愛と性とユートピア 草野慶子
偉大な作家の名もなき日常 同時代人の回想から 粕谷典子(!)
ナボコフのドストエフスキー嫌い 秋草俊一郎
現代用語としてのドストエフスキー 桜井厚二(!)
ドストエフスキー翻訳文献考 榊原貴教
ある日のドストエフスキー 宣教師ニコライに会う 中村健之介(!)

◆私とドストエフスキー
ドストエフスキーからチェーホフへ 井上ひさし
心地よい泥濘の始まり 中村文則
万能の語り手が創り出す物語 安部龍太郎
歴史について 奥泉光
マルメラードフ 酒瓶の底にあるのは悲しみだ 金石範
悪霊という熱病 多和田葉子
Master,Master! 姜英淑
傍線を引いて読んだドストエフスキー 藤田宜永
二十年後のドストエフスキー 角田光代
軽くて巨大な雷おこし 清水義範
色褪せることのないスタヴローギンの告白 木田元
その悲しみの名前は何だろう 若木未生

◆コラム 中村健之介
作中人物になりすます/三島由紀夫とスタヴローギン/反ユダヤ主義
悲しみの聖母子/福沢諭吉とドストエフスキー/熱中、同時に冷静な自己批評


408774861821世紀ドストエフスキーがやってくる
大江 健三郎
集英社 2007-06

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
こんばんは。
「摩訶不思議」改めまして、「Mr.マクベ」です。
ドストエフスキーというのは不思議な作家だと思います。
未だに存命のような気がしたり、登場人物があたかも実在する人間のように語られたり・・・。
epiさんの熱中ぶりは察します。私は、ドストエフスキーに没頭してしまい、頭が観念化してしまうことを恐れて、あえて読みかえしていません。
ところで仕切り直してblogを開設いたしました。良かったらたまに覗いてみてください。
Mr.マクベ
2007/08/18 22:06
>Mr.マクベさん

こんにちは。
おお〜blog再スタートですね。さっそくお邪魔してきました。漱石からスタートとは、さすが!これからもどうぞよろしくお願いします(^^)

ドストエフスキーを読んでいると、ひれ伏したくなったり反発したくなったりと、とても感情を揺さぶられます。そのため、元気なときなら楽しく読めますが、疲れているときには読みたくありません…。

この本のなかで沼野さんがシニャフスキーという人の言葉を引用してこう言っています。
「文学が人間に及ぼす影響を予測することはできない。ドストエフスキーを読みふけって革命家になることもあるし、その逆に革命家を撃ち殺す側の人間になることだってある」と。とても印象的でした。当然の意見なんですけどね。
epi
2007/08/19 09:17
こんばんは。
私はドストエフスキー全く読んだことがないのですが、近いうちに『カラマーゾフの兄弟』に挑戦しようと思っています。ある新聞広告で「カラマーゾフは20歳までに読まないとダメだ」なんて言われたこともあり・・・(猶予はあと2年位なのです) でも30歳まで読むななんて言われるとまた迷いますねえ・・笑 どのみちこちらの勝手ではあるのですが。どんなものでしょうか?!
ポトフ
2007/08/20 23:11
>ポトフさん

こんにちは。
『カラマーゾフの兄弟』に興味がおありですか。亀山郁夫さんによる新訳がちょうど出ましたね。とっても読みやすい文章になっているので未読の方はこちらを読むとよいのでは、と思います(もちろん、ほかのバージョンでも)。

>「カラマーゾフは20歳までに読まないとダメだ」

ふふふ、挑発的ですねえ。どうなんでしょう。幾つで読んでもよいものはよい、と思いますよ。自分を顧みると、19歳で『罪と罰』を読んだのですが、これはとても幸運な出会いだったなあとは思っています。読みたくなったときが旬、なんでしょうね。

ポトフさんが読み終えてどうお感じになるか、とても興味があります(^^)
epi
2007/08/21 11:34

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