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zoom RSS 『小児病棟の四季』 細谷亮太

<<   作成日時 : 2007/10/05 00:00   >>

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小児がんの治療を専門とする小児科医によるエッセイ集。白血病や小児がんの治療の過程で、完治することなく旅立っていった多くの子どもたちについて、優しい人柄を感じさせる平明で丁寧な文体で綴る。

本書ではターミナルケアのケースが扱われる。ターミナルケアとは、もう病気の根治が不可能な患者に無理な負担を強いる治療は止め、薬物等によって痛みを取り除き、最後の瞬間まで充実した人生を送れるようサポートしていく終末期のケアのこと。

あと何週間、何ヶ月しか生きられない。
ある日突然、そんなふうに宣告されたら自分ならどう思うだろう。パニックになってしまうだろう。わがことの場合に限らない。親しい人の場合であっても、わがことのように感じるだろう。わたしには子どもはないので想像するしかないのだが、もし自分に子どもがいて、その子があと何ヶ月かしか生きられないなどと突然いわれたらどれほど動揺し、また必死になるだろう。なんでもするから助けてくれときっと叫ぶだろう。

S君という男の子が登場するエピソードがある。
体中の骨にがんが転移し、肺に水がたまって呼吸するのも苦しい。残された時間を家族と一緒に自宅で過ごしたいという本人の希望があって、在宅ケアを受けていた。著者が往診に行くと、お母さんが夕食を準備してくださる。病院での勤務を終えたあとの往診なので著者も空腹でおり、遠慮しつつもついいつもいただいてしまう。
ある日の往診のあと。餃子が出され、それをいただきながら著者は「S君、おいしいよ」と勧めてみるのだが、食欲のないS君は「みんな食べちゃっていいよ」と答える。しかし著者が帰ったあとでS君は夜中に起き出し、「あんまり先生がおいしそうに食べていたから僕も食べたい」とお母さんに餃子をリクエストする。中に入れる具は残っていたものの、皮は使い切ってしまってもうなく、近くのコンビニに行こうにもちょうど都合悪くお父さんが仕事で車を使っていたためにそれもできず、お母さんは真夜中の台所で小麦粉を練って、数枚の餃子の皮を作って焼き上げる。
「せわしく作ったから、あんまりうまくできていないかもしれない。ごめんね」とお母さんがいうとS君はニッコリ笑って、「今までのお母さんの餃子の中でいちばんおいしかった」と答える。それから間もなく、S君は亡くなったという。著者はS君のお参りに寄った際にこの話を聞かされる。

こういった哀しく、やさしいエピソードが綴られる。登場する子どもたちの名前はイニシャルであることもあり、愛称のこともあり、名前(仮名?)のこともある。読んでいて、一生懸命生きようとする本書の子どもたち一人ひとりがいとおしくなる。そしてまた、こんなに可愛い子どもたちの命が失われることにやりきれなくなる。本書中の著者の言葉そのままに、「どうしてこんなおチビさんが、早々と天国へ行かなければならないのか。神様もしっかりしてくれよ、ホントに――」と嘆きたくなる。

しかし本書に登場する子どもたちの全員が亡くなったわけではもちろんない。病気に打ち克ち、成長し、やがて親となった子どもたちもいる。本書の最後の章は、そんな子どもたちのエピソードになる。著者と同じ名前の子の死のエピソードから始まる本書が、最後は生のエピソードで終るのは感慨深い。


ところで、わたしたちは(わたしは、と書くべきか)死を疎ましいものとして、タブー視しているところがありはしないか。けれど少し考えてみれば死あってこその生であり、死がなければ生はありえない。こんな当然のことを見過ごして日々を生きることが果たして真に生きることといえるのかどうか。もちろん四六時中「メメント・モリ」と唱えているわけにはいかないし、それはそれで鬱陶しいが、安易な感動を得るためではなく、「より良き生」を生きるために、積極的に死について考えてみるのは悪くないのではないか。

死を<背後>にするとき
生ははじめて私にはじまる

石原吉郎 「死」

まさにそうだろう。失うことを意識するとき、いまあるものの真価が明瞭になる。


とくべつ死について考えたくなるような出来事が身辺で起きたわけではないのだけれど、いま、死に関心がある。十月はたそがれの国…じゃなくてたそがれの季節。凋落の季節。そんな気分的な理由からになるが、今月は少し死について考えてみたい。しばらくは死にまつわる読書が主となるだろう(それ以外の本も読むと思いますが)。
よろしければ、どうぞお付き合いください。


死が照らし出してこそ、己たちは生の実態を知ることが出来るのだろう。窓の外にある空が虚無にすぎなくても、その虚無に照らされた自分の心が他人の虚無を思い出し映し出すことの出来る鏡であるならば、初めて己たちは虚無と虚無とをつなぐ関係を、結びつきを、連帯を、そして愛を、持つことが出来るだろう。

福永武彦 『死の島』


いつまでも生きられるものと信じ込んでいる女性たちが、愛らしい女性たちが、歩道にハイヒールの音を残して、通り過ぎて行く。

アルベール・コーエン 『選ばれた女』



4006030630小児病棟の四季 (岩波現代文庫)
細谷 亮太
岩波書店 2002-06

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