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zoom RSS 『わが町』 ソーントン・ワイルダー

<<   作成日時 : 2007/10/11 00:00   >>

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ワイルダーの名作戯曲。プロ・アマを合わせてアメリカでもっとも上演回数の多い戯曲らしい。
20世紀初頭、ニューハンプシャー州の小さな町グローヴァーズ・コーナーズで暮らす人々の何の変哲もない日常が、時の流れのなかで淡々と展開する。

主要登場人物にジョージとエミリーという若い男女がいる。子どものころから友人だった二人は成長し、やがて周囲のすべての人々に祝福されて結婚する。しかし幸福な結婚生活は長くは続かず、挙式から九年後にエミリーは難産で亡くなる。彼女は現世を離れ、生者であったときには見えなかった彼岸で亡者たちと再会し、死者の目でグローヴァーズ・コーナーズの人々の生活を眺める。そうすることで、彼女は生きているときには何とも思っていなかった物事――時計の音、ヒワマリの花、料理やコーヒー、アイロンのかけたてのドレス、あたたかいお風呂、夜眠って朝起きることなど――がどれほど貴重な生の本質であったかを知る。矛盾になるが、生きているときには見過ごしてきた、生きて在ることの喜びと尊さを、彼女は死んだいまになって気づくのだった。
「ああ、この地上の世界って、あんまりすばらしすぎて、だれからも理解してもらえないのね。人生というものを理解できる人間はいるんでしょうか――その一刻一刻を生きているそのときに?」
問われた舞台監督(本作の狂言回し)は答える。
「いいや」。

ありふれた日常のなかにあるかけがえのない瞬間。
そんな言葉もすっかり手垢がついてしまったいまとなっては口にするのが恥ずかしい。だからこまごましたことは書かない。わたしたちの一人ひとりがそれぞれ異なる人生を歩む個性的な存在であるとしても、水谷八也さんによる「解題」にあるとおり、「それぞれが個別の幼児体験を経て、思春期に思い悩み、パートナーを見つけたり、見つけられなかったりしながら、いつの間にか老い、死を迎える」という「人間に共通の繰り返しのパターン」の枠内で生きているのは事実であり、だからワイルダーが描いたこの町はグローヴァーズ・コーナーズという名をした<わたしたちの>町といえるし、グローヴァーズ・コーナーズで暮らす人々は<わたしたち>自身の姿といえる、とだけ書いておこう。たとえ舞台が100年前の外国だとしても、これは<わたしたちの物語>なのだ。

いまある瞬間は二度ととり戻しのつかない瞬間であり、人生とはすなわちその連続であること。いまこうしてモニタに向かってキーボードを叩いているわたしが、明日の晩には不慮の事故か事件に巻き込まれるかして路上に冷たく横たわっているかもしれないこと――生きるとはそんなあやうさの上に成り立っているのだということをこの作品は教えてくれる。生きている者たちはみな、崖に張られた綱の上を、そこがどれほどの危険に満ちているかろくに知らずに渡っているようなものなのかもしれない。だとするなら死について考えるとは、その綱の下はどうなっているのかと覗き込むことになるだろうか。

しかしとうてい「死者の目」をもち続けて生きることは不可能だろう。大半の生者たちは結局は人生の時間を浪費し続けるだろうし、それこそが人間存在の限界なのだという気がする。「人生は短い」ということも「だから貴重な一瞬ごとを大切にせねばならない」ということも、わたしを含め多くの人たちが頭では理解していることだと思う。しかし、かなしいかな、人間はできることより知っていることのほうが多いのだ。頭ではわかっていることが実際にできるとは限らない――というより、(わたしを含めた大半の凡人にとっては)ほとんどできないのが実情ではないだろうか。そして何度も過ちを繰り返し、立ち止まり反省し、こころを新たにしながらも愚かさと無駄の末にさしたる成果も残せず死を迎える、それが人間の生の実相ではないだろうか。悲観的になってしまったが、わたしは啓蒙主義者ではないので、ついこう結論したくなる。逆にいえばこの怠惰な生(と名づけよう)との不断の戦いに打ち克ってこそ、「死者の目」は得られるのだろう。生来の怠け者であるわたしは、そうまでして生きるくらいなら、怠惰の末の死で一向に構わないや、と思ってしまうけれど。

なにはともあれ死んだのちにまだ存在が残るのだとしたら、そのときはソームズ夫人の次の台詞をふと口にできるような人生くらいは送りたいとは思っている。
あああ、人生ってまったくひどいものね――そのくせ、すばらしかったわ。



4151400095ソーントン・ワイルダー 1 (1) (ハヤカワ演劇文庫 9)
ソーントン・ワイルダー 鳴海 四郎
早川書房 2007-05

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『わが町』(ソーントン・ワイルダー)
 医師は往診を終えて、家路についていた。主婦は朝食の支度をしていた。少年が新聞を配達していた。夜が明けようとしていた。日付は1901年5月7日だった。場所はニュー・ハンプシャー州グローヴァーズ・コーナーズという町だった。そこからは、有名人は一人も出ていなかった。そしてこれらのことは、すべて舞台監督が観客にむけて説明した事柄なのだった。 ...続きを見る
ノンシャラン逍遥記
2007/11/06 00:46

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