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zoom RSS 『死をポケットに入れて』 チャールズ・ブコウスキー

<<   作成日時 : 2007/10/31 00:00   >>

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なぜ急に死に惹かれはじめたのか、考えると『パルプ』を読んだのがきっかけだったのかもしれない。その『パルプ』の著者が晩年に綴った日記が本書。いや、訳者も巻末で述べているとおり日記というよりはエッセイと呼んだほうが適切に思える。

その内容は非常に多岐にわたる。死についての省察はもちろん、書くことについて(「書くことの目的はまず第一に、愚かな自分自身の救済だ」)、詩と詩人について、競馬について…などなど。『パルプ』のほうが直截な表現は多かった気がするけれど、これだけ烈しい内容を書いたのが72歳の老人だとはとても信じられない。ちっとも枯れていない。この烈しさにはぞくぞくする。
ちなみに本書のタイトルは原書のそれとは異なる。本書のタイトルは著者が綴った一節からとられたもの。
ほとんどの人たちは死に対する用意ができていない。自分たち自身の死だろうが、誰か他人の死だろうが。死に誰もがショックを受け、恐怖を覚える。まるで不意打ちだ。何だって、そんなこと絶対にありえないよ。わたしは死を左のポケットに入れて持ち歩いている。そいつを取り出して、話しかけてみる。「やあ、ベイビー、どうしてる? いつわたしのもとにやってきてくれるのかな? ちゃんと心構えしておくからね」


格好よくてぐっとくる文言の宝庫なのでたくさん引用したい誘惑にかられるが、きりがないのでそのなかからとくに死にまつわるものをいくつか。
我々はみんな死ぬのだ、誰だろうと一人残らず。何たるばか騒ぎ! そのことだけでわたしたちはお互いに愛し合うようになっても当然なのに、そうはならない。わたしたちはつまらないことに脅かされたり、意気消沈させられたりし、どうでもいいようなことに簡単にやっつけられてしまう。


いつまでも生き続けるのは間違いだ。くそっ、死というのは、いずれにしてもタンクの中のガソリンなのだ。人には死が必要だ。わたしにも必要だし、きみにも必要だ。もしもわたしたちが必要以上に生き続けたりしたら、世の中をだめにしてしまうことになる。


わたしたちは紙切れのように薄っぺらい存在だ。わたしたちは何割かの確率で訪れる運に頼って一時的に生きているにすぎない。このかりそめだという要素こそ、最良の部分でもあり、最悪の部分でもある。そしてこのことに対して、我々は何ら手出しができない。山の頂上に座って何十年間も瞑想に耽ることはできても、それで何かが変わることにはならない。すべてを受け入れられるように自分を変えることもできるが、それもまた間違ったことなのかもしれない。たぶんわたしたちはあれこれ考えすぎている。もっと考えないようにして、もっと感じるのだ。


わたしは死ぬことに不安を抱いてはいないし、死ぬことが残念だとも思っていない。ちょうどろくでもない仕事のようなものに思える。いつ? 来週の水曜日の夜? それともわたしが眠っている間に? あるいは今度ひどい二日酔いになった時に乗じて? 交通事故? ずっと背負っている重荷のようなもので、いつかはけりをつけなければならないのだ。そしてわたしは神への信仰なしに永眠しようとしている。それはきっといいことだろう、わたしは死にまともに立ち向かうことができるからだ。死ぬということは、ちょうど朝起きたら靴を履くように、人がしなければならないことのひとつにしかすぎない。


これを書いたブコウスキーはもはやいない。十年以上も前に死んでいる。しかしここに書かれた言葉は死んだ言葉だろうか(そもそも言葉は死ぬのだろうか。というか言葉にいのちはあるのだろうか)。優れた音楽や美術がもつ「いのちの息づかい」のようなものを、これらの言葉に感じないか。
ブコウスキーは愚劣な大衆というか世間のすべての人間たちを批判し、彼らの死を「何も残らない死」と書く。なるほどブコウスキーは素晴らしい言葉を残して死んだだろう。わたし自身も何かを残す、ということをいのちの終わりに際しての願いのように捉えていた。しかし、いまふと思うのは、そういう「何も残らない死」ははたしてネガティヴなものだろうかという疑問だ。生まれて、生きて、死ぬ。地球に足跡の一つも残さずに。それは否定的に捉えるべき生だろうか。いっそすがすがしくはないか。美しくはないか。何日か前に思ったことと矛盾すること、対立することをもう書いている自分の移り気に苦笑してしまうけれど、何かを残す生が貴いのはいうまでもなく、しかし何ひとつ残さず誰からも顧みられることもなくひっそりと過ぎた生というものもまた同じように貴いのではないだろうか。いや、こんな問いはまだ(からくも)二十代の若造であるわたしの手には余る。何もわかってやしないのに。


わたしは、とおり雨がやむように、死にたい。

4309462189死をポケットに入れて
チャールズ・ブコウスキー 中川 五郎
河出書房新社 2002-01

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