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zoom RSS 『物語の役割』 小川洋子

<<   作成日時 : 2007/11/11 00:00   >>

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人生そのものが虚構なのだ――ぼくたちはみな、自分の才能と性質に応じて人生を理解し、それぞれのやり方で叙述しているのだ。

ロレンス・ダレル 『アレクサンドリア四重奏


人生は虚構であり、物語(フィクション)であること。そして物語とは空想による現実のバリエーションであること。そのことを、『アレクサンドリア四重奏』とイアン・マキューアンの『贖罪』から学んだ。
小川洋子さんもまた、本書のなかで同じようことを述べている。
最近思うのは、物語は本を開いたときに、その本の中だけにあるのではなく、日常生活の中、人生の中にいくらでもあるんじゃないかということです。
たとえば、非常に受け入れがたい困難な現実にぶつかったとき、人間はほとんど無意識のうちに自分の心の形に合うようにその現実をいろいろ変形させ、どうにかしてその現実を受け入れようとする。もうそこで一つの物語を作っているわけです。
あるいは現実を記憶していくときでも、ありのままに記憶するわけでは決してなく、やはり自分にとって嬉しいことはうんと膨らませて、悲しいことはうんと小さくしてというふうに、自分の記憶の形に合うようなものに変えて、現実を物語にして自分のなかに積み重ねていく。そういう意味でいえば、誰でも生きている限りは物語を必要としており、物語に助けられながら、どうにか現実との折り合いをつけているのです。


嬉しいことは小さく、悲しいことは大きくして物語をつくる人もいるだろう。それは性格の問題だろう、ということは以前書いた。グラスの中に半分残ったウイスキーを見て、「まだ半分も残っている」と思うか「もう半分しか残っていない」と思うか。


本書は三部構成になっている。第一部はタイトルのとおり物語が現実の人生において果たす役割、そして「物語とは何か」について述べる。第二部は自身の経験から創作の現場について、第三部では著者が幼い頃に愛読した物語の思い出を語りつつ、それらが人間の成長とどう関わっているかについて述べる。小川洋子さんの著書を読むのはこれがはじめて。

もっとも読み応えがあったのは第一部「物語の役割」。そもそも『贖罪』の読了間もないころ本屋でタイトルに惹かれて立ち読みして「自分と同じことを考えている人がいた(べつに珍しくもないことだが)!」と興奮して購入した本なのだ。

タイトルにある「物語の役割」とは何か。ホロコースト文学に強い関心をもつ著者は、エリ・ヴィーゼルという作家がアウシュビッツで体験した残酷なある事件を引用しつつこう述べる。
とうてい現実をそのまま受け入れることはできない。そのとき現実を、どうにかして受け入れられる形に転換していく。その働きが、私は物語であると思うのです。

だから「誰もが物語を作り出している」のであり、それは「人間にしかできない心の働き」なのだ。
物語はそこかしこにあるのです。人間すべての心の中にある。記憶のなかにある。誰でも生きている限り、かたわらに自ら作った物語を携えている、というふうに私は思います。

架空の世界に想像力という翼をはばたかせて遊ぶこと。この逃避的ともいえる読書という営みから人間は生きる力を得ているのだと知れる。小川洋子さんは『アレクサンドリア四重奏』をお読みだろうか。もしお読みならどういうご意見をお持ちか、ぜひ知りたく思った。



いい機会だから自分の本との付き合いかたについても少しだけ書いておく。
「結局書物は実生活ではない」とは『マルテの手記』のなかの言葉だ。そうなのだけれど、たとえばそれにこういう反論もできるわけで。
読書のない生活は危険だ。人生だけで満足しなくてはならなくなる。

ミシェル・ウエルベック 『プラットフォーム


さいきん本棚の整理をした際、もう読まないだろう小説本は処分しようとして『プラットフォーム』もそのうちの一冊で、でもその前に付箋の貼ってある箇所だけ拾い読みしてみたらこんな言葉にぶつかり、これはまだ捨てられないと棚に戻した。読書ノートがとれるならそれに越したことはないけれど、面倒でそれができなくてもマーキングなり付箋なりはしておくとあとあと本の内容を情報として整理するとき便利だ。とくにわたしのような記憶力の乏しい人間は。本を汚したくなければマーキングではなく付箋がいいが、このとき「自分が同感したところ」「反論したくなったところ」「よくわからないけれど気になったところ」、文芸なら「きれいな叙述だと思ったところ」などざっといくつかの項目ごとに付箋の色も変えると情報の整理に役立つ。三色ボールペンならぬ付箋による多色マーキング法というわけ。

もうひとつ、最近知ってこれはおもしろいと思ったのが松岡正剛さん流の読書ノート(松岡正剛 『ちょっと本気な千夜千冊 虎の巻』より)。これは本の感想だけでなく、そのときの自分のコンディションや食べたものもメモしておく、というもの。松岡さんはそれを本に書きこんでしまうそうで「本をノートにしてしまう」のだと述べている。いまのわたしは書き込みには否定的なのだが(ずっと前にはしていたが、再読のとき邪魔だったり、とんちんかんなことが書いてあって恥ずかしくなったりしたので)体調や食べたものについてメモしておくというのはおもしろいし、あとで読み返したとき何か参考になりそうな気はする(松岡さんは「それをあとから見ると、とても参考になる」と述べている)。これはちょっとやってみたい。


448068753X物語の役割 (ちくまプリマー新書 53)
小川 洋子
筑摩書房 2007-02

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4763007211ちょっと本気な千夜千冊虎の巻―読書術免許皆伝
松岡 正剛
求龍堂 2007-06

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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
稚拙なコメントを許してください。
やはり、物語と現実を同じ視点で見ることができません。
現実は、血が流れていて、取り返しがきかないもの。
物語はいつでもページを閉じることができます。
私たちは瞬間の中を全身で生きています。
物語はその抜け殻のようなもの、ではないでしょうか?
。。。
2008/01/30 21:10
>。。。さん。

物語を絵空事とする見方があります。一方で「物語を現実のバリエーション」と見ることもできると思うのです。人間は自分の身に起こったことをそれぞれに解釈します(冒頭のダレルの言葉のように)。オプティミストは楽観的に、ペシミストは悲観的に。彼が彼なりに解釈した時点で、それはひとつの物語ではないかと思うのでそう書いたのです。ここに超越的な視点はきっとありません。すべてを肯定的に捉えるのとも違います。「肯定する」という解釈の偏りがあるからです。だから人生もひとつの物語(=虚構)と書きました。

>現実は、血が流れていて、取り返しがきかないもの。
はい。同感です。空想と現実を同列に置くのは間違いかもしれません。しかし一方で、物語として書かれたことではじめて人間に「こういう現実もあるかもしれない」と思わせるようなものもあると思うのです。ドストエフスキーにしろ、プルーストにしろ。書かれたものを読むことではじめて意識されるようになった現実というものが。

epi
2008/01/31 05:03
>。。。さん(続きです)

それに、たとえばある人がある読み物を読んで、そこから生きる力を得ることができたとしたら、それは現実に影響を及ぼしているので絵空事と切り捨てることはできないとも思います。そういってよければ、この世にあるものすべてが現実なのではないでしょうか。

このことについてはいくらでも考えることができそうです。
epi
2008/01/31 05:03

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