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zoom RSS 『ムーン・パレス』 ポール・オースター

<<   作成日時 : 2007/12/09 00:00   >>

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孤独の発明』に続いて読むのは二冊目になるオースター。『孤独の発明』がすぐれて批評的な難解な作品だったのに対して、こちらは読んで楽しめる直球勝負の物語となっている。「それは人類がはじめて月を歩いた夏だった」とはじまる冒頭からもう虜になった。

裏表紙にもあるとおり、本作はあるアメリカ人の青年が過ごした二十代前半の一時期を後の彼が回想したかたちをとった青春小説だ。とくに前半部分は、有為ではあるが貧しい若者の日常が綴られていて本当に読んでいておもしろい。若いころの貧乏話ってどうしてこうもおもしろいのだろうと不思議になるのは、たぶん裕福さが画一的(に思える)なのに対して貧乏には「それでも生きていかなくてはならないがゆえの創造性」みたいなものが発揮されるからかもしれない。それがいい大人であったなら洒落にならないけれども、若い頃は金なんてなくて当然なのだ。この小説の主人公のマーコ・フォッグも、ある不幸な事件の出来によって大学生活の中途で生活費に困窮し、食費を切り詰め、電気のかわりに蝋燭の灯りを頼り、電話を外し、酒も煙草も断つ。奨学金や学生貸付金の制度を利用しようと思えばできた。しかしその可能性をあれこれ頭のなかで検討しているうちに「なぜかたまらなく嫌な気分」になってくる。この気持が理解できない人は二十歳そこそこだったときの自分をきっと忘れてしまっている。あとから思えばどうしてあんなに依怙地になって無意味に自分を追い詰めたのか首を傾げるようなこと、赤面せずにはいられないようなことを体験せずに大人になってしまった人は、わたしには不幸に思える。マーコは他人の助力をあてにせず、見栄を張って周囲には彼の貧乏生活を悟らせない。わたしも就職したてのころ、下手な給料の使いかたをして給料日前の三日間をほとんど水だけで過ごした懐かしい思い出があって、職場の先輩に金を借りようと思えばできたもののそうできなかったのはやはり若者の特権たる愚かしい見栄があったのだろう。それにしてもあの頃は毎日腹が減っていたし毎日が眠かった。そういうことを思い出しながら読んだ。

中盤から後半にかけて、小説には二人の年長者が登場する。一人は老いた富豪。もう一人は異常に肥満した歴史学者。この二人と深く関わっていくうちに、マーコの人生は思わぬ展開を見せる。なんともご都合主義的な、と一笑するのはたやすいが、小説をお話として楽しむのならこの展開にも寛容になれるのではないか。そこで不思議に思うのだが、わたしたち読者はなぜ小説(映画でも漫画でもよいけれど)のなかの偶然性に対して不寛容なのだろう。ミステリーを読み、「こんなことは現実には起こりえない」と思ってしまうのだろう。現実の世界はどんなに起こりえないように思えることも起こりえる場だというのに。

恋人も、つかの間の大金も、そして肉親も失ったマーコは、ある経緯からユタの砂漠を歩いて旅することになる。実に三ヶ月間の徒歩旅行。親指を立ててヒッチハイクなんかするものか。途中小さな町で一日か二日泊まり、それからまた歩き続け、ときには野原や洞窟や道端の溝で眠る。ブーツを何足も履き潰して。そうして彼は大陸の果てへ、大西洋へと向かう。歩き始めたころ身内に湧いてきた怒りの感情はいつしか鎮まり、得体の知れない幸福感が次第に募ってくる。やがて砂漠を抜けて海に出れば、何か大事な問題が解決するような気がしてくる、それが何なのか彼自身にもわからなかったけれども。
彼は述懐する。「僕はただ歩きつづければよいのだ。歩きつづけることによって、僕自身をあとに残してきたことを知り、もはや自分がかつての自分でないことを知るのだ」。

旅の終りに何があるのか。美しい名をもつ海辺の町で1972年の1月6日午後四時、マーコの旅は終る。それはこの小説の終りでもある。冒頭の部分もすばらしかったが、結末部分の叙述もすばらしい。柴田元幸さんの訳文には嘆息する。小説家の文体ということは注意されても翻訳家の文体ということに関してはまだまだ閑却されていると感じることが多いのはわたしの無知だろうか。翻訳された海外文学は日本文学だと思っている。そして柴田さんの日本語の文章はいい。



4102451048ムーン・パレス (新潮文庫)
ポール・オースター 柴田 元幸 Paul Auster
新潮社 1997-09

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