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zoom RSS 『生きるかなしみ』 山田太一(編)

<<   作成日時 : 2007/12/20 00:00   >>

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タイトルの「生きるかなしみ」とは、どのような感覚をさすのか。本書の編者である山田太一さんの文章から引用する。

「生きるかなしみ」とは特別のことをいうのではない。人が生きていること、それだけでどんな生にもかなしみがつきまとう。「悲しみ」「哀しみ」時によって色合いの差はあるけれど、生きているということは、かなしい。いじらしく哀しい時もいたましく悲しい時も、主調低音は「無力」である。ほんとうに人間に出来ることなどたかが知れている。偶然ひとつで何事もなかったり、不幸のどん底に落ちたりしてしまう。一寸先は闇である。

「断念するということ」


生きている、そのことのうちにかなしみがある。
孤独感。ぼんやりとした不安。ロマンチックなノスタルジー。ありえたかもしれない別の人生の可能性(そんなものはないのに)。あまりにも広大で豊穣な世界と比較したときに感じる、自分という存在の小ささ。不確かさ。
そういった感情を身内に感じて、それでも、誰もが生きているだろう。ときに眠れぬ夜を越えて。

かなしみとは不幸のうちにのみあるものではない。ある晴れた日曜日の午後、公園のベンチに一人腰かけ、自分と同じくらいの年齢の母親と手をつないで散歩をしていた二歳かそれくらいの女の子を見ていたときにわたしの頭に浮かんだのは、かなしいという感覚だった。
深夜にある人と汚い川を渡る橋の上で、冬は寒いからきらいだけれど星がよく見えるようになるからいいねと話していたときも、陽気さは失われていなかったのに、むしょうにかなしくて、弱った。

喜びのなかにもかなしみがあり、かなしみのなかにも喜びはある、ミラン・クンデラはそう書かなかったか。そう、たぶんそのとおりなのだ。人生には幸福も不幸もないのかもしれない。そんなものは存在しなくて、ただ喜びとかなしみ、それだけがあるのかもしれない。最近、感傷的人間のわたしは、そんなふうに考えている。そして、喜びはかなしみを、かなしみは喜びを誘わずにはいないのかもしれない、とも。


本書は、佐藤愛子、柳田國男、ジード、石原吉郎、水上勉など16人の「生きるかなしみ」について述べた文章を集める。
出色と思われたのは、人間の無力さ=かなしみを述べる山田太一「断念するということ」、老いの日々についてユーモラスに闊達に述べる佐藤愛子「覚悟を決める/最後の修行」、死にきれなかった人間の哀しみを綴った柳田國男「山の人生」、30年以上むかしに捨て、死んだと聞かされていたが本当は生きていた息子との再会を透徹した筆致で述べる水上勉「親子の絆についての断想」の四篇。
人によっては容姿に悩む女性の心理を述べる円地文子「めがねの悲しみ」、国籍と言葉の問題を述べる高史明「失われた私の朝鮮を求めて」などが胸を打つかもしれない。

ふだん他人のかなしみにふれる機会など滅多にない。他人の目を意識して「かなしい」だの「さびしい」だのいうのもさもしい。わたしと同類の感傷的な読者は、本書のうちにささやかな慰めをきっと見出せるだろう。かなしみを癒すのはかなしみしかない。そこから共感するこころが生まれ、やがてそれはやさしさを生むとわたしは思う。本当のやさしさとは、無力感また虚無感から生まれるのではないか。


4480029435生きるかなしみ (ちくま文庫)
山田 太一
筑摩書房 1995-01

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