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zoom RSS 『<かなしみ>と日本人』 竹内整一

<<   作成日時 : 2007/12/23 00:00   >>

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前回の記事で「かなしみ」ということに少しふれた。山田太一さんは「かなしみ」を、無力感を鍵に定義していた。本書でもそれと同じことが述べられている。

<かなし>とは、「……しかねる」のカネと同根とされる言葉で、力が及ばず、どうしようもない切なさを表す言葉です。すなわち<かなしみ>とは、みずからの有限さ・無力さを深く感じとる感情ですが、しかし、そうしたことを感じることにおいて、そこに、ある種の倫理性、あるいは無限(超越)性を獲得できる感情としても働いています。

<かなしみ>とはただ個人的な切ない気持をさすだけでなく、そこから倫理感情や宗教的感情へもつながっていくことを著者は順を追って述べていく。それについて書く前にもうひとつ、かなしみをあらわす漢字の「悲」「哀」という語のもつ意味についてもふれておきたい。『漢字源』という本によると、これらの漢字には以下のような意味があるという。
<悲>非は、羽が左右に反対に開いたさま。両方に割れる意を含む。悲は「心+非」で、心が調和統一を失って裂けること。胸が裂けるようなせつない感じのこと。

<哀>衣は、かぶせて隠す意を含む。哀は「口+衣」で、思いを胸中におさえ、口を隠してむせぶこと。

まさに<かなしい>感情に適当な漢字だったわけで、こういうものを発明した人は天才としかいいようがないだろう。

本書はNHKのラジオ番組を書籍化したものらしい。内容は、まず「かなしみ」という語の意味と成立の過程を述べ、そのあとで「倫理感情としての<かなしみ>」「宗教感情としての<かなしみ>」「無常感としての<かなしみ>」「『あきらめ』と<かなしみ>」など<かなしみ>という感情のもつ可能性を、主として日本の古典文学や、文学者、哲学者の言説から説いていく。そして後半は日本人の死生観についての内容になる。

<かなしみ>を説明するのに本書のなかでたびたび引用される文学者に国木田独歩がいる。彼の書いている<かなしみ>についての文章はまさにいまの自分の心情そのもので、読んでいて非常な浄化を覚えた。長くなるけれども見事な文章なので引用する。「忘れえぬ人々」という本のなかで、身内でも友人でもなく、忘れても何の恩義も義理も欠かない人たちなのにも関わらず、どうしても忘れられなかった人たちについて語ったあとで、独歩はこう述べている(らしい。孫引き)。
そこで僕は今夜(こよい)のやうな晩に独り夜更て灯に向つてゐると此(この)生の孤立を感じて堪え難いほどの哀情を催ふして来る。その時僕の主我の角がぼきりと折れて了つて、何んだか人懐かしくなつて来る。色々の古い事や友の上を考へだす。其時油然(ゆぜん)として僕の心に浮かむで来るのは則ち此等の人々である。さうでない、此等の人々を見た時の周囲の光景の裡に立つ此等の人々である。我れと他(ひと)と何の相違があるか、皆な是れ此生を天の一方地の一角に享けて悠々たる行路を辿り、相携へて無窮の天に帰る者ではないか、といふやうな感が心の底から起つて来て我知らず涙が頬をつたうことがある。其時は実に我もなければ他もない、ただ誰れも彼れも懐かしくつて、忍ばれてくる、
僕は其時ほど心の平穏を感ずることはない、其時ほど自由を感ずることはない、其時ほど名利(めいり)競争の俗念消えて総ての物に対する同情の念の深い時はない。

この文章にこれ以上、何もつけ加えることはない。わたしがぼんやりと感じ、下手くそに綴った<かなしみ>はこの独歩の文章に表白され尽くしている。


以前に「死ぬことの自覚が他者への愛情を生むのではないか」「かなしみからやさしさは生まれるのではないか」というようなことをたしか書いたかと思う。そのことについても九鬼周造を通じて本書はふれている。

万物は、有限な他者であって、かつまた有限な自己である。それがいわゆる「もののあはれ」である。「もののあはれ」とは、万物の有限性からおのずから湧いてくる自己内奥の哀調にほかならない。客観的感情の「憐み」と、主観的感情の「哀れ」とは、互に相制約している。「あはれ」の「あ」も「はれ」も共に感動詞であるが、自己が他者の有限性に向かって、また他者を通して自己自身の有限性に向かって、「あ」と呼びかけ、「はれ」と呼びかけるのである。

九鬼周造 「情緒の系図」


人間という有限なもの同士が、「あ」と呼びかけ、呼びかけられる。それによって「あはれ」はまた「あはれみ」にもなる。<かなしみ>からやさしさが生まれるというのも、あながちとんちんかんな言説でもあるまい。


本書はやわらかく優しい話し言葉で書かれているが、内容は決して易しくはない。しかし楽しめる。本には出合うべきときがあり、本書はまさにいまの自分の気分にぴったりと合っていたので食事も忘れて読み耽った。日本人の感性と、それを万葉集のむかしから表現してきた本邦の文学への愛着が増す。たとえば、自らも野ざらしの身なれば、捨てられている赤子も置き去る芭蕉の<かなしみ>の深さを想像するだけでも戦慄を禁じえない。

猿を聞人(きくひと)捨子に秋の風いかに



さいきん、やめたはずの煙草にまた手を出すようになった。


4149106193<かなしみ>と日本人 (NHKシリーズ NHKこころをよむ)
竹内 整一
日本放送出版協会 2007-03

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