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zoom RSS 『『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する』 亀山郁夫

<<   作成日時 : 2007/12/30 01:58   >>

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新訳『カラマーゾフの兄弟』の訳者が書かれなかった『カラマーゾフの兄弟』の続編を空想する。『カラマーゾフの兄弟』はその冒頭に「著者より」と題されたけったいな序文があり、このなかでドストエフスキーは小説の主人公は三男アリョーシャであること、小説はこの人物の伝記であることについてふれたのち、こう書いている。
「伝記はひとつなのに小説がふたつある」。そして「肝心なのはふたつ目のほう」とも。『カラマーゾフの兄弟』はアリョーシャ物語というべき小説のいわば「前編」に過ぎない。この小説には、13年後の世界を描く「後編」が続くはずだった(とされている)。しかし作者の死によって、「後編」は書かれなかった。

むろん続編は書かれていないとはいえ『カラマーゾフの兄弟』はそれ自体で一応完結しており、「世界文学の最高峰」と呼ばれるに相応しい傑作であるだろう。小林秀雄が述べたように、続編はなくとも完璧な小説といえるかもしれない。しかし亀山郁夫さんの態度は違う。彼は今回の翻訳の作業を通じて、『カラマーゾフの兄弟』がいかに「後編」を意識して書かれた小説であるかを実感したという。では、どのあたりに「後編」を意識させる箇所があるのか。

亀山さんが注目するのは小説の終盤近くに置かれた第4部第10編「少年たち」の章。この章はコーリャ・クラソートキンを中心に少年たちの言動が描かれるが、ここの部分は『兄弟』の主筋に直接関係するわけでもないのにいやに長ったらしく、作品全体のバランスをいささか崩している。亀山さんいわく「一読して散漫と思える描写が続く」。コーリャ少年と幼い子どもたちとの大砲騒ぎや、スネギリョフ家でのアリョーシャとの奇妙なやりとり…。
アリョーシャ「でも、いいですか、コーリャ、きみは将来、とても不幸な人になります」
コーリャ「わかってます、わかってます。あなたはそう、先々のことがなんでもわかってしまうんです!」
アリョーシャ「でも、全体としては、やっぱり、人生を祝福してくださいね」


先回りしていってしまうと、亀山さんの描く「続編」の大枠は従来の学説通り「皇帝暗殺」、いわば『カラマーゾフの兄弟』が扱った「父(フョードル)殺し」をより大きな形でなぞる第二の「父殺し」が主題になるだろう、というもの。アリョーシャが「続編」では皇帝暗殺を画策するテロリストになる、という説は通説となっており、ドストエフスキーのファンには周知の話。しかしここで矛盾が生じる。作者は「序文」のなかで「彼(アリョーシャ)が決して偉大な人物でな」く、また「どういった人たちにどんなことで知られているのか?」について答えられないと書いている。アリョーシャはいわば無名の人間であると。しかし仮にも皇帝暗殺を実行した人間が無名のまま歴史に埋もれるなどありえない(当時の社会状況を考えれば皇帝の死を扱えるはずはなく、必ず未遂となるはずだが)。となると、皇帝暗殺を主題とした「続編」で暗殺を実行するのはアリョーシャではなく別の人間ではないのか。亀山さんはその「実行犯」としてコーリャ少年を挙げる。またエピローグで名前のあがる何人かの少年たち、活躍の場がないにも関わらずまるで伏線のように名前が告げられるカルタショフ少年なども「続編」では重要な役割を演じるのではないかと空想される。

ドストエフスキーは「続編」のタイトルを『子どもたち』と考えていたらしい(『少年たち』ではない)。『カラマーゾフの子どもたち』。淫蕩と強欲の黒き力、カラマーゾフ力(シチナ)を受けついだ子どもたち。なかでも重要なのがコーリャ少年である。彼は14歳にして「社会主義者」を自称してアリョーシャを驚かせる。また鉄道線路の下に寝て列車の通過をやり過ごすという精神的に過激な面や、拾った犬ペレズヴォンをイリューシャに見せる前にわざわざ芸を仕込むというエゴイスティックな面がすでに『兄弟』に描かれている。こういった部分に亀山さんは「未来の社会主義者の雛形」を見、皇帝暗殺の実行犯は彼だと空想する。エピローグでのコーリャの言葉を思い出そう。
「もちろん……人類全体のために死ねたらな、って願ってますけどね」


では以下に、亀山郁夫版『カラマーゾフの子どもたち』の大筋を紹介する。
『兄弟』から三年後、モスクワの大学で学んでいるアリョーシャのもとに突然身重のリーザが訪れ、アリョーシャは彼女と結婚する。リーザが宿していたのはイワンとのあいだにできた子だった。モスクワの大学を終えた夫婦はオリョール県に引越し、アリョーシャはこの村の教師となる。彼は仕事のかたわら異端とされる鞭身派(肉欲を否定し、アンチ・セックスを宗旨とする)に接近するが、やがて離反する。
アリョーシャはそののちスコトプリゴニエフスク村に帰り、ゾシマ長老の教えをなぞるかのような、自然との直接的接触のなかに神を求める宗旨のセクトを創設する。そこへ社会主義の秘密結社を組織したコーリャやかつての「少年たち」が訪れる。この組織が最終的に目論むのは皇帝の暗殺、そして革命である。彼らはアリョーシャに、自分たちの組織の象徴的存在になってほしいと懇願し、両者のあいだでテロルの是非、ニコライ・フョードロフの復活思想、キリスト教的社会主義などをめぐる議論が展開される。対立のまま終った議論の最後で、アリョーシャはコーリャに無言の接吻を与える。
「鉄道のある町」ノヴゴロドで皇帝の乗った列車を爆破しようとしたコーリャのグループによる暗殺計画は失敗に終わり、ペテルブルグで裁判が開かれる。裁判の模様が詳細に描かれ、最終的には皇帝アレクサンドル二世によって歴史上初めての皇帝暗殺者(未遂)への恩赦が下る。

ミーチャやイワンやグルーシェニカなどは『子どもたち』ではほとんど出番がない。また、亀山さんの空想は『子どもたち』が『兄弟』の筋をなぞるという形式をとる。『兄弟』冒頭のカラマーゾフ家の歴史をたどる場面は『子どもたち』では前作の登場人物たちのその後をたどる場面に置き換えられ、ミーチャの裁判の場面は27歳となったコーリャの皇帝暗殺未遂事件の裁判の場面となってクロスする。アリョーシャは『子どもたち』ではゾシマ的な役割を担うことになるようだ。ちなみに『兄弟』で二十歳のアリョーシャは『子どもたち』では33歳。これはキリストの死んだ歳であり、亀山さんは『子どもたち』ではすでにアリョーシャが死んでいるか(伝記とは死者の物語である)、あるいはイリューシャ埋葬の場面がアリョーシャの埋葬とクロスするのではないか、とも述べている。


ただしこれらはあくまで亀山郁夫さんによる空想である。ドストエフスキーの言葉を信用し、それと矛盾しないようにしたとはいえ空想は空想に過ぎない。史実に即していえばドストエフスキーの死から三ヶ月後に皇帝アレクサンドル二世はテロリストによって爆殺されており、したがってもしドストエフスキーが生きていたとしても『子どもたち』が皇帝暗殺を扱かったかどうか、非常に疑わしい。すでに起きた事件を描くのでは意味がないからだ。そうなればアリョーシャ物語の後編は、現存している草稿や構想ノートのすべてを無化するまったく別の小説となったかもしれない。しかし歴史に「もしも」はない。

本書は2007年の猛暑を新しい『カラマーゾフの兄弟』とともに過ごした読者への訳者からのプレゼントだ。現在、亀山郁夫さんは『罪と罰』の新訳を進行中、また来年はテレビ出演の機会もあるそう。岩波書店からは『作家の日記』全六巻が復刊するなど、ドストエフスキー熱はまだしばらくは日本を静かに覆いそうだ。


ところで、愛・蔵太さんが「ぼくの十大小説」という記事のなかでこんなことをお書きになっている。
もういい加減いい年になると世界が小説なんかで変わったりはしないんだよね。十大小説というより十代小説、という感じのオチですな。

まさにそうなので、先だって読んだアルベール・コーエンの『選ばれた女』はとんでもない傑作で読んでいて吐き気と眩暈がしたが、それでもその余熱が三日と続かなかったのは老化現象なのだろうかと非常に寂しい気がしたものだった。『罪と罰』を初めて読んだときは一週間以上熱に浮かされたように過ごしたというのに。そう考えると、若くしてドストエフスキーにふれられたのは幸運だったと思っている。よくわからなくたっていいのだ、とにかくふれてみることが大事なのだ。自分のなかの大事なもの、自分のなかの「神ちゃま」を殺してくれるもの、「自己の凍結した海を砕く斧(カフカ)」、それこそが文学なのではないだろうか。否定と肯定のスパイラルのなかで、それでもドストエフスキーに組み込まれて生きている、世界を見ていると自覚するとき、自分もまた「カラマーゾフの子ども」の一人なのだと知る。

そして、あなたは、ぼくのきょうだいだ。



4334034209「カラマーゾフの兄弟」続編を空想する (光文社新書 319)
亀山 郁夫
光文社 2007-09

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
初めまして、いきなりの、そして過去の記事へのコメント失礼します。
全文、たいへん興味深く読みました。「そして、あなたは、ぼくのきょうだいだ。」で不意に涙があふれました。ブログを読んで、「ラッキー」と思ったのは久しぶりです。ありがとうございます。また、少しずつ読みに訪れます。
レント
2011/03/15 14:34
>レントさん

はじめまして。お返事が遅くなりすみません。
読んでよかった、そう思っていただけたならこんなに嬉しいことはありません。
epi
2011/03/19 13:26

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