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zoom RSS 『放送禁止歌』 森達也

<<   作成日時 : 2008/01/06 00:00   >>

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「放送禁止歌(正しくは要注意歌謡曲)」と呼ばれる歌があるという。歌詞に差別用語や性表現などが用いられている場合、歌の意味いかんを問わず問題があるとして規制の対象となり、ラジオやテレビ等で流せない歌のことだ。岡林信康の『手紙』や赤い鳥の『竹田の子守唄』、また北島三郎さんのデビュー曲『ブンガチャ節』やザ・フォーク・クルセダーズの『イムジン河』などが規制の対象となったという。
テレビディレクターの著者はこの「放送禁止歌」を規制する権力機構を追う、という趣旨のドキュメンタリー番組を企画する。本書はその取材過程をまとめたもの。

著者はテレビ番組の制作現場で幾度か「何々という歌は放送禁止歌らしい」という言葉を耳にしていた。そして規制を決定する機関は民放連だと誰もが思っていた。しかし、実際はそうではないことが取材を続けるうちに明らかになる。たしかに民放連が策定する「要注意歌謡曲指定制度」というシステムは存在した。が、その本質は強制力や拘束力を一切もたない単なるガイドラインでしかなかったのだ。それは「あくまでも各放送局が自主規制をするための一つの目安」に過ぎなかった。しかも、「要注意歌謡曲指定制度」は1983年度版を最後に消滅していた。効力は五年なので1988年にはもはやシステムは機能していなかったことになる。にも関わらず、制作の現場ではその後何年も自主規制を続け、自ら「放送禁止歌」を生産し続けていた。思考停止し、オートマティックな判断を繰り返し。まるでカフカの世界だ。誰かが「何々は放送禁止歌らしい」という。だが、誰に聞いても直接クレームを受けたという話はなく、曖昧な伝聞のかたちでしか話されない「放送禁止歌」。
(歌詞の一部について)誰か一人が「これは部落のことじゃないか?」と声をひそめて思いつきを口にする。それを聞いた誰かが、「どうも部落のことらしいよ」と誰かに告げる。次には、「解放同盟から抗議が来るかもしれないなあ」と誰かが腕を組む。この伝言ゲームが、「抗議が来た」と変質するまで、さほどの時間はかからない。


「規制するのは誰?」
ドキュメンタリー番組「放送禁止歌」のなかで繰り返される問いだ。取材を通して、メディアは権力機構や圧力団体や視聴者からのクレームに屈して放送を自主規制してきたのではなかったことが明白になる。メディアはリスクを避け、トラブルを未然に防ぐために過剰に自己防衛し、結果自ら「放送禁止歌」を生み出していたのだ。強制力をもたないシステムの消滅後も。このことを端的に示す印象的なエピソードを引用する。あるテレビ番組で、ゲスト出演者が「大学が閉塞的だ」という趣旨の比喩として「まるで特殊部落のようだ」と語った際に起きた出来事の顛末をフジテレビの編成局長が語る。
「(略)あわてて番組の最後に司会者に謝罪させたんですが、予想どおり番組終了後に解放同盟から連絡がありました。ところが局に来た彼らに、謝り方が足りないと批判されるのかと覚悟していたら逆でした。<あんな謝り方では何がどう不都合なのかがわからない>と指摘されましてね」
このときの司会者のコメントは、「番組中で不適切な発言がありましたのでお詫びいたします」という例のステレオタイプの謝罪だった。このコメントに対し解放同盟は、どんな言葉がなぜ不適切なのかをきちんと視聴者に説明しないのなら意味がないと主張した。<特殊部落>という言葉それ自体を問題にしているのではない。ネガティブな比喩としての使い方が問題なのだから、それを視聴者に説明して欲しい。そうでなければ過ちは何の教訓にもならない。同じ過ちをいずれまた繰り返すことになる。同盟側はそう主張したという。
「がんがんやられましたよ。でもやられながら、ああ俺はすっかり勘違いしていたと気づきました。単に触れて欲しくないというレベルではないのに、僕らは勝手にそう思いこんでばたばたと店仕舞いをしようとしていた(略)」

そしてこの人物は続ける。
「テレビはマスメディアとして成長する過程で、とにかく毒と見なされるものを少しずつ排除しながら角をどんどん丸くしてきた、僕はそう感じています。娯楽としては間違った方向ではない。しかし表現としては取り返しのつかない道を歩んでしまったのかもしれない。一昔前に比べれば、テレビのタブーは確実に増殖しています。量だけじゃない。質も悪くなっている(略)」


放送禁止歌なんて、はじめからなかったのだ。規制をしてきたのは思考停止し、自ら作ったシステムにいつしか逆に取り込まれて判断することを放棄してしまっていたメディア自身だったのだ。なんと不気味で、なんと滑稽なことか。だがそれで終わりか。メディア批判をして溜飲を下げてあとは知らぬ存ぜぬか。それでまたいつもの日常に帰るのか。
「規制しているのは誰?」
ドキュメンタリー「放送禁止歌」の最後、カメラは鏡を通してわれわれ視聴者を覗き込む。声が聞こえる。小さな声が。
「お前だ」。
思考停止しているという点でわたしも加担者の一人かもしれない。本書の帯にこうある。
「タブーを生み出していたのは僕たち自身だった」
この「僕たち」とは誰のことか。


4334782256放送禁止歌 (知恵の森文庫)
森 達也
知恵の森 2003-06-06

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ドキュメンタリー「放送禁止歌」はYouTubeで視聴できます(6/6で『手紙』を聴くことができます)歌を聴いて、この曲が放送禁止に値するか否か各人が判断するのはよいと思います。




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