epi の十年千冊。

アクセスカウンタ

zoom RSS 『車輪の下で』 ヘッセ

<<   作成日時 : 2008/02/09 00:00   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

『車輪の下で』は一人の少年の挫折を描いた小説だ。主人公のハンス・ギーベンラートは、シュヴァルツヴァルト地方の小さな田舎町がはじめて生んだ才能に恵まれた子どもだった。当時、シュヴァーベンの裕福でない家庭の子どもに唯一開かれていた出世の道は、難関の州試験に合格して給費生として神学校に入り、そのあとテュービンゲン大学で学んで牧師か教師になる、というものだったそうで、ハンスもこれを目指すことになる。

教師たちから目をかけられ、特別授業まで受ける真面目なハンスは冷汗を流しながらも州試験を無事パスし、神学校での寮生活がはじまる。模範的な優等生のハンスは当初は教師たちの寵愛を享けていたが、反抗的なハイルナーと次第に親しくなり、彼に影響されて管理教育制度に徐々に馴染めなくなり、ハイルナーが放校されたあとは虚脱状態になり、心を病んで、ついには事実上の自主退学を余儀なくされる。

かつて高橋健二訳『車輪の下』を読んだときはここまでの部分の印象が強かった。そのあとハンスは無理解な周囲からの重圧の犠牲者となるわけだが、神学校の退学から彼の死までの間に小説全体の三分の一の分量が割かれていたことはもうすっかり忘れていた。序盤から中盤にかけての部分は、たとえば美しいドイツの田舎町の自然描写や、大事な試験を前にした受験生の不安や、思春期の少年たち特有の荒々しさや素朴さが描かれていて、あまりにもストレートな教養小説となっているのだけれど、終盤に入ると様相は少し変わってくる。そこからは心を病んだハンスの内面の描写により力点が置かれるようになり、ときには幻想的な色合いを帯びる。ハンスが子どものころに遊んだ路地の記憶が夢のなかで蘇り、目が覚めたのち実際のその場所を訪れるも、もはや過ぎ去った時間は取り戻せないのだと悟る場面はその典型的な例だろう。極度に先鋭化されたセンチメント。感傷は厄介で危険な感情だ。感傷は初恋の女の顔をして、背後に斧を隠し持っている。
もう長いこと、ラテン語や歴史、ギリシャ語、試験、神学校と頭痛以外のものに触れることがなかった。しかし当時は、メルヒェンや盗賊の話が載った本があったのだ。庭では自分で作った砕石風車が回っており、夜にはナショルトの門のところでリーゼが聞かせるとびきり風変わりな物語に耳を傾けることができた。(略)
すべては当時彼が気づかないうちに消えてしまい、終ってしまった。最初はリーゼのところで過ごす夜がなくなり、それから日曜の午前中ゴルトファレ(引用者注=雑魚)を捕まえることができなくなり、メルヒェンを読むことがなくなり、一つまた一つと、ついにはホップ摘みや庭の砕石風車まで。こうしたものはみんなどこに行ってしまったのだろう?
そして、この早熟な少年は、病気の日々に架空の第二幼年期を体験したのだった。学校の教師たちによって子ども時代を奪われた彼の精神は、突然ふくらんだ憧れとともに、あの美しく朦朧とした歳月に逃げ込み、魔法にかけられたように思い出の森の中をさまよったが、その思い出の強さや持続性は病気から来るものかもしれなかった。


どうしてよりによって今日、あの夜のことを思い出したのか、ハンスにはわからなかった。この思い出がどうしてこんなに美しく力強いのか、どうしてこの記憶が彼をこんなにも惨めで悲しくさせるのか、ということも。この思い出の姿を借りて幼年期と少年時代が、自分に別れを告げ、かつて存在したが二度と戻ってはこない大きな幸福の棘を残していくためにもう一度楽しげに笑いながら眼前によみがえったのだということを、彼は知らなかった。


後半はまた、死への近接が顕著だ。憂鬱症のような症状に陥ったハンスはたびたび死への甘い夢想に囚われる。
ハンスは植物とともに枯れてしまいたい、眠り込み死んでしまいたい、と願ったが、自分の若さがそれに抗い、静かな粘り強さで生に執着していることに苦しんだ。

なかなか不穏だ。


中学生のころに購入した学校販売の文学シリーズのなかに高橋健二訳『車輪の下』が、ルナールの『にんじん』やポーの『黄金虫』(!)などと一緒にセレクトされていて、ろくに翻訳された外国の小説など読んだことのなかった中学生には難物だったのをおぼろげながら覚えている。その後なんとなく惹かれるものがあったのか『ナルチスとゴルトムント(知と愛)』や『デミアン』なども読み、そのうち代表作の『ガラス玉演戯』も読もうと思っているうちに関心はいつしか別の方向へ移っていき、そのあとではヘッセを中高生向けの青春小説の作家と軽んじるような驕った読者になり下がって、そのまま十年近くが過ぎていた。今回この新訳が出たのを機に読み返し、テキスト内の時間の流れをゆるやかにする細やかな自然描写や、俗物的小市民たちへの侮蔑と愛情、少年たちの生き生きとした、ときにユーモラスな描写、友情や初恋の高揚、幻想的な内面描写などにすっかり魅せられた。よい小説だと思った。有為な少年を破滅させる周囲の大人たちのエゴと無理解、教育システムへの批判といったお説教的な箇所は遠景に退き、ハンス・ギーベンラートという「内気な少女のよう」な少年の愛らしさが強く印象に残った。これを書いたときのヘッセは、まだ二十代の半ばだったという。


本書を読んだら懐かしくなり、復刊していた『ガラス玉演戯』を購入した。かつて読んだ本と新訳で再会するのも楽しいが、読もうと思ったまま忘れていた小説を手にするのもまた楽しいだろう。中学生のころの自分にしか理解できないヘッセがいて、今でなくてはわからないヘッセもきっといる。読書とは蓄積であり、その醍醐味は年月をはさんでの再読にこそあるのかもしれない。


4334751458車輪の下で (光文社古典新訳文庫 Aヘ 3-1)
ヘッセ 松永 美穂
光文社 2007-12-06

by G-Tools


なつかしい高橋健二訳。新訳に比べると訳文はやや生硬か。
4102001034車輪の下
ヘッセ 高橋 健二
新潮社 1951-11

by G-Tools


4835440978ガラス玉演戯
ヘルマン ヘッセ Hermann Hesse 高橋 健二
ブッキング 2003-12

by G-Tools




テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
なるほど(納得、参考になった、ヘー)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
『車輪の下で』 ヘッセ epi の十年千冊。/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる