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zoom RSS 『「待つ」ということ』 鷲田清一

<<   作成日時 : 2008/03/08 00:00   >>

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「待つ」といういとなみの諸相を19の章に分けて哲学的に述べていく。携帯電話や移動手段の発達やコンビニなどの登場によって生活の速度は増すばかりで、「待つ」機会はどんどん減っている。メールを受信してもろくに返事をしない人間にはにわかに信じがたい話で本当とは思えないのだが、若い人たちの間では受信したメールに即返事をしないと相手に不快がられるのだとか。そんなにすぐ返事が欲しければまどろっこしいメールなんぞせずに直接電話をすればいいのに。

それはともかく本書の序盤は哲学者である著者による時間論、また人生論になっている。中盤の認知症のケアの問題について述べるあたりから(著者自ら「あとがき」に書いているが)やや話題が散漫になっていくのが惜しい。しかし序盤の記述は実に知的でおもしろく読める。

「待つ」とはつまりどういうことか。たとえば死を、たとえば恋文の返事を、たとえばバスの到着を、たとえば合格発表を、たとえば刑期明けを待つということは。
著者はこう述べる。
<待つ>は偶然を当てにすることではない。何かが訪れるのをただ受け身で待つということでもない。予感とか予兆をたよりに、何かを先に取りにゆくというのではさらさらない。ただし、そこには偶然に期待するものはある。あるからこそ、何の予兆も予感もないところで、それでもみずからを開いたままにしておこうとするのだ。その意味で、<待つ>は、いまここでの解決を断念したひとに残された乏しい行為であるが、そこにこの世への信頼の最後のひとかけらがなければ、きっと、待つことすらできない。いや、待つなかでひとは、おそらくはそれよりさらに追いつめられた場所に立つことになるだろう。何も希望しないことがひととしての最後の希望となる、そういう地点まで。だから、何も希望しないという最後のこの希望がなければ待つことはあたわぬ、とこそ言うべきだろう。

なんとも哲学的な叙述になっていてここだけ取り出したのでは未読の人にはたぶんよくわからない。というかこんな長い引用を読む人がいるとも思えない。

「待ってられない未来がある」というコピーのアニメ映画があったが、そしてこれはとてもよい出来で感動したが、しかしわれわれは未来を「取りにゆく」ことは決してできない。「想像どおりの結果を生み出すものなんて何ひとつない」とはダレルの『アレクサンドリア四重奏(「クレア」)』の一節だが、たぶんそのとおりで、せっかちに未来を「取りにゆく」人が取ろうとしているのは未来ではなくて、「ちょっと前に決めたことの結末」である。未来は到来を待たねばならない。この待つというのは、ナイーヴな言いかたをすれば(これは著者の書いていることではないが)何か人間を越えるおおきな流れに身を委ねるということだ。「人事を尽くして天命を待」てということだ。著者の言いかたを借りれば「偶然の働きに期待」しろということだ。
やれるだけのことをやったらあとはあれこれ空想してうじうじ悲観的に考えたり、焦って闇雲に結果を求めずに、珈琲片手に一服でもしていろ、というふうにわたしは読んだ。


時間論や人生論の面についてはわたしの手に余るので、失恋した者を慰める恋愛論としての面についてちょっとふれたい。いや、本書に直接恋愛に関する記述があるわけではないのだが、そう読める部分が散見されたので。3月の土曜日、いまこの時間にも、好意を寄せていた彼または彼女に振られて頭から布団を被っている人もきっといるだろうし。

その最中にいるときは苦しくてとうてい信じられないことではあるが、外傷が時の経過とともに癒えるように、重傷でないかぎりは心の傷もやがて癒える。それは忘却によってなされる。また意識の量(?)には限度があるから、「気を余所へやる」、つまり仕事なり趣味なりに打ち込むことで傷の原因を一時的に忘れることもできるだろう。もっとも、ひどい失恋のときには食事も喉を通らなかったりするから、それでもなお打ち込める趣味を持っている人なんてほとんどいないだろう。だから仕事というのは有難いので、これはやらなければ上司に怒鳴られるうえに金がもらえないのでやらざるを得ず、忙しい日なら彼または彼女の面影などすっかり忘れられる。ウェルテルが自殺したのは彼が貴族だかなんだか、とにかく働かなくても生活していける身分にいたからだと思っている。

さて失恋から立ち直るためにはその原因についてあれこれ考えないようにするのがいちばんで、具体的にはどうすればよいかというと、
たとえば記憶を遠ざけること、思い出を喚起しそうなすべての物を廃棄すること、回想を煽りそうなすべてのシチュエーションを回避すること。どんな些細な変化の徴候をも「予兆」とは受けとめないこと、いやそもそも徴候を探らないこと、いかなる意味ありげなものにも感応しないこと。

彼または彼女と歩いた道を、一緒に行ったレストランを、よく聴いた音楽を、相手を思い出させたり連想させたりする一切のものを避けること。もう彼または彼女からかかってくることなどない(でも、かかってくるかもしれないという希望を捨てきれない)携帯電話も新規で契約し直したりとか。まあ、こんなこと書かずとも、みんな知っていることばかりか。

そして自分が失ったのは愛ではなくて一人の人間なのだと思うこと。他者こそ愛だと思うのは間違いで、また『アレクサンドリア』からの引用になってしまうが、わたしたちは他者を愛するといういとなみを通じて自分を愛するということを学んでいくのだし、もっと辛辣な言いかたをするなら「他者なんてあるものか。自己発見という問題と永遠に直面し続ける自分自身がいるだけ(「クレア」)」なのであって、他者によって喚起された愛情というのは自分自身の問題なのだから何も恐れることはない。福永武彦は『愛の試み』にこう書いていたっけ。
「ここにひとつの愛が終ったとしても、新しい愛はさらに遠い地点で彼を待っているだろう」。
ああ偶然にも「待つ」という語がここにも出てきた。

なぜ本の感想が失恋の慰めになったのかは自分でもぜんぜんわからないのだが、たまにはそういうものを書いてみても悪くないと思ったのでそうした。べつに自分が失恋したわけでも、特定の誰かを想定したわけでもぜんぜんなくて、しかもそのうえあまり恋愛に興味のない人間なのだからこれはおかしいことだと思う。酔ってもいない。


4047033960「待つ」ということ (角川選書)
鷲田 清一
角川学芸出版 2006-09

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4101115060愛の試み (新潮文庫)
福永 武彦
新潮社 1975-05

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080308「待つこと考察」
今日(3月8日)の朝日新聞の土曜版(Be)の「愛の旅人」という記事で、福永武彦さんの「廃市」が取り上げられていましたが、お読みになりましたか?(と問いかける私は、廃市をまだ読んでいないので、この新聞は読まずに保管です) 新聞記事については 僕と安子 福永武彦「廃市」.. ...続きを見る
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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
epiさんこんにちわ。
臨床哲学の鷲田氏ですね。著者のことをよく知らぬまま1冊だけ読んだことがあり(「聴くことの力」)、とにかくすごく分かりやすい言葉とその主張の真っ当さに感動した覚えがあります。そうそう、またどれかその内読もうなんて思ってたのに。「待つこと」のこの本もかなりよさそうですね。
‥ん〜失恋されたんですか?ちがうわい、としっかり書いてありますが、失恋したん?くどい(笑)。
おはな
2008/03/09 00:39
>おはなさん

おひさしぶり、というほどでもないですが。お元気ですか。

『存在の耐えられない軽さ』のなかで、本には昼の読み物と夜の読み物がある、という一節があって、それにならっていうなら、静かな読み物と賑やかな読み物というのがあるという気がして、というより静かな文章と賑やかな文章といったらよいのか、とにかくそう括るとして、鷲田氏の文章は明らかに静かなものでした。頭のなかが透き通っていきます。しょうじき理解の及ばぬ箇所も多々あったのですが、しかしよい本だということはわかります。本書は本屋の棚に並んでいるし新聞に広告も出ているのに、Amazonで品切れ状態になっているのは謎ですが。

それと、本当に失恋していないんですよ。って、しっかりそう書いているじゃないですか。なんですか、そういうオーラが出ていますかね? 困るなあ(笑)
epi
2008/03/09 00:56

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