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zoom RSS 『川の光』 松浦寿輝

<<   作成日時 : 2008/04/22 00:00   >>

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読んでいて感じた。たしかに感じた。小さな鼓動を。

読売新聞夕刊に連載していた、クマネズミの父子の冒険物語。生まれてはじめて新聞小説を読んだのだった。毎日、仕事から帰ってきたあと、一日の疲労を忘れて小さないのちたちの大きな冒険に胸躍らせた日々。あれを幸福な日々と呼ぶことにする。

松浦寿輝氏はこれまで東京を舞台にした現と夢のあわいを漂う幻想的で、ちょっぴりエッチな小説を書いていた。『川の光』はこれまでの松浦作品の読者からすると意外な小説にも思える。しかしエッセイ『散歩の合間にこんなことを考えていた』を読んでいれば、氏がグレーアムの『たのしい川べ』やアダムズの『ウォーターシップ・ダウンのウサギたち』やアーサー・ランサムを愛読しているのが知れて、『川の光』もやはり松浦寿輝的な小説なのだとわかるだろう。


東京だろうある町の川辺にクマネズミの父子三匹が平和に暮らしていた。お父さんと、長男のタータと、次男のチッチ。しかしある日、突然人間たちが現われて暗渠化工事を始める。住む場所を追われた三匹は新たなる定住の地を求めて川の上流へと遡る。しかしその途中には数多の困難と危険が待ちかまえていた。
獰猛なイタチの襲撃、ドブネズミたちの強大な<帝国>、下水道を通る危険な行路、猛禽の襲来、そして大雪。小さきいのちたちは果たして安住の地に無事辿り着けるのか。新聞紙上で一度読んでいたにも関わらず、彼らに寄り添うにようになって夢中で読み耽った。

旅の途中で三匹は多くの友好的な動物たちに出会う。著者の飼い犬がモデルらしいゴールデン・レトリバーのタミー(吉田健一の小説にちなんで本名は「民子」なんだとか)、ドブネズミのグレンと彼の仲間たち、ロシアンブルーのブルー、スズメの親子やモグラ一家。タータたちは幾度も危険な目に遭うが、彼らの助けを得てその局面をどうにかこうにか乗り越えていく。この展開を「都合がよい」と意地悪に見ることも可能だろう。しかし(松浦寿輝の愛読者としての贔屓かもしれないが)この小説にはひとつの主題のようなものがあたかも川のように全編を通して流れていて、それは何かといえば「助け合い」の精神とも呼ぶべきものであり、その観点に立てばこの小説の展開に頷けるのではないか。

お父さんとチッチと別れてしまって一人ぼっちになり、傷を負ったタータを助けてくれたのは天敵ともいうべき猫のブルーだった。ブルーに助けられたタータは、今度は別の場所で死にかけているスズメの子どもを助ける。その場面はこう。
あの妙ちきりんな猫のおばちゃんがいなかったら、家で休ませてくれなかったら、餌を分けてくれなかったら、ぼくは死んでたかもしれない。命を救ってもらったことのお礼は、ブルーに言うだけでは足りないんじゃないのか、とタータは思った。別の誰かの命を救うことで、借りを返す。そうやって貸しと借りが順ぐりに回って、この世は動いてゆく。そうなんじゃないかな。

こうして子どもを助けられたスズメの夫婦は、やがて窮地に陥ったタータたちを救うために大きな働きをすることになる。タミーやグレンたちもタータたちのために力を貸してくれる。そこにはとくべつ深い理由はない。タミーは当り前のようにこう言うだろう。「だって、ぼくら、友だちじゃないか」。それ以外に理由なんていらない、いのちがいのちを助るのに。そういえば地球を動かしているのは愛だと書いたのは誰だったか。
この愛を、動物だけではなく人間ももっている。後半に登場する獣医の田中先生はまさに愛の人だ。
田中先生は、動物のお医者さんが真に必要とする最高の資質を備えている稀な獣医のひとりだった。その資質とは、最新の医学知識でもなく、人当たりのよい営業トークでもない。動物と一瞬のうちに気持ちを通わせる感応能力と、弱いもの、病んだものに対する深い憐憫の心である。先生は治療の際、注射針を刺すような、何か痛いことをするときには、その前に患者の動物に必ず小さな声で「ごめんね」と言った。そんなとき、ごめんねと思う獣医と思わない獣医がいる。その気持ちの有り無しは必ず動物に伝わるものだ。そして、病気や怪我を癒やすいちばん大きな力は、実は抗生物質でも手先の器用さでもなく、動物の心と体に温かく染みこんでゆくその優しみと憐みなのである。

愛というのが強すぎるのなら優しさ、憐み深さといいかえてもいい。この田中先生の「優しみと憐み」に似たことを中井久夫氏も述べている。先日読んだ鷲田清一『『待つ』ということ』から中井氏の「『祈り』を込めない処方は効かない(?)」というエッセイの一部を孫引き。
この題の下敷きは、アメリカの免疫学マニュアルにある「ウサギからよい免疫抗体を得る方法」の一つとして「よい抗体をつくってくれよとウサギに頼む」とよいという記事である。いかにもアメリカ人らしいジョークと思われるだろうが、サルの実験の際に頭をなでて「すまない」と思いつつ注射するのとそうでないのとではサルの反応が違うという友人の話もある。「効きますように。副作用が出ませんように」と心の中でつぶやきながら処方箋を渡す時には何かが受け手に伝わり、ひいては薬の効き目にも影響するのではないかと私は本気で思っている。薬は、その作用に心身が「賛成」するかどうかで効力がちがってくることが少なくないと私は信じている。

中井久夫『時のしずく』


これまでに幾度か、一度きりの人生、と書いてきた。ここにもうひとつ足したくなったのは、ひとつきりのいのち、ということ。天の川銀河の片隅の、地球という名のちっぽけな惑星で、いま、わが世の春を謳歌しているわれわれ人間の足元で、無言で、懸命に、生きているいのちたちがいる。人間の目には汚らわしく、醜く映り、有害ですらあるかもしれないいのちたちがいる。彼らの生きるいとなみを想像してみる。彼らの「柔らかい魂の手触り」を感じたいから。それがナイーブすぎる思いだったとしても。

生きていくためではなく便利さのために、ほかのいのちを潰すことのできる人間の一人だからこそ、そうすべきなんだ、ぼくはきっと。


4120038505川の光
松浦 寿輝
中央公論新社 2007-07

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4001140993たのしい川べ (岩波少年文庫 (099))
ケネス・グレーアム 石井 桃子 Kenneth Grahame
岩波書店 2002-07

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4566015009ウォーターシップ・ダウンのウサギたち〈上〉 (ファンタジー・クラシックス)
リチャード アダムズ Richard Adams 神宮 輝夫
評論社 2006-09

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