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zoom RSS 『消え去ったアルベルチーヌ』 プルースト

<<   作成日時 : 2008/06/10 00:00   >>

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フランスの作家プルーストによる未完の長編小説『失われた時を求めて』はぜんぶで七篇から構成されている。

第一篇「スワン家の方へ」
第二篇「花咲く乙女たちのかげに」
第三篇「ゲルマントの方」
第四篇「ソドムとゴモラ」
第五篇「囚われの女」
第六篇「逃げ去る女」
第七篇「見出された時」
と。

作者のノートでは「完」の文字が記されてはいるものの、『失われた時を求めて』は完全には完結していない。第四篇が出版されたところでプルーストは死んでしまったからだ。第五篇以降はプルーストの弟らが遺稿を整理して刊行した。ただ、遺稿の量は膨大にあり、テクストの選択に関しては研究者の間でいまも論争が続いているという。

「逃げ去る女」はプルーストが遺した「自筆ノート」がもとになっている。が、彼は生前に「囚われの女」および「逃げ去る女」のタイプ原稿を作成しており、死の直前に修正を加えていた。長らく埋もれていたこの修正されたタイプ原稿が発見されたのは1986年。これを翻訳したのが本書『消え去ったアルベルチーヌ』である。

「逃げ去る女」と「消え去ったアルベルチーヌ」はどこが異なるのか? 端的にいうと分量だ。第六篇は主として恋人アルベルチーヌに出奔された主人公(語り手)の苦悩が書かれている。「消え去ったアルベルチーヌ」はこの第六篇のかなりの部分が削除されて短くなっているのだ(版が異なるので厳密には比較できないが、集英社文庫『逃げ去る女』が500頁超なのに対して、本書は200頁しかない)。「逃げ去る女」では、出奔したアルベルチーヌはやがて事故死し、語り手は訃報を受けて苦悩するのだが、時の経過とともにあんなにも愛し執着していた女の記憶も次第に薄れていくのを自覚する。「消え去ったアルベルチーヌ」では後半の忘却に関する部分がすべて削除されている。『失われた時を求めて』を全訳した鈴木道彦氏は、「消え去ったアルベルチーヌ」についてこう述べている。
この出版は、プルースト研究家に衝撃をもたらした。題名だけではなく、テクスト自体が大幅に変わっており、とりわけかなりの部分が削除されて、すっかり短くされていたからである。これでは「自筆ノート」でせっかく完成されていた物語も最終稿の『見出された時』につながらず、『失われた時を求めて』という作品全体の形が崩れてしまう。しかしこの修正がプルーストの生前最後のものであったことは確実だった。
プルーストはなぜ死の直前にこのような改変を行ったのか? その意味については日本の研究者も含めて、世界中の専門家がさまざまな説を述べたが、真相は謎に包まれている。

『逃げ去る女』


本書には写真が掲載されているが、プルーストは原稿を読み返すたびに修正せずにはいられない性質だった。校正刷りは作者自身によって大幅に筆を入れられ、削除あるいは修正され、加筆部分があまりに多いときには余白に吹き出しを使わなければならなかった。これはモンテーニュの『エセー』もそうだが、プルーストにとっては読むことがすなわち書くことでもあったのだ。読み返すたびに、以前書いた文章をもっと適切なものに直さずにはいられなかった。多くの方がいうように、『失われた時を求めて』はあらかじめ未完を宿命づけられた小説だった。


テクストの生成については以上。さて肝心の『消え去ったアルベルチーヌ』の中身であるが、はたして『失われた時を求めて』を未読の読者がいきなりこれを読んでどれだけ楽しめるのか疑問だ。本篇はさきに書いたように、最愛の恋人を突然失い、彼女をとり戻す算段をしているうちに女の死によって二度と恋は戻らないことに打ちのめされる男の心理が書かれている。主人公は病的に恋人に執着しており、この気質に同調できるか否かで抱く感想も異なってくるだろう。

『失われた時を求めて』は大長編であるが、訳者の言葉を引用すれば「神は細部に宿るの譬え通り、要約では掬うことのできないところにプルーストを読む愉しさと喜び」はあるし、「何もかしこまって最初のページから読まなくてはならないというものではない」。この『消え去ったアルベルチーヌ』は恋人を失った苦しみを描いており、死ぬほど焦がれた誰かを失った経験のある読者はわがことのように(そして自分で感じる以上に自分の気持を表現してくれる作者に驚嘆しながら)読めるだろうが、肝心の忘却の部分がすべて削除されているために物足りなさが残るのではないか。また、同性愛者らしいアルベルチーヌ(『失われた時を求めて』の大半の登場人物は性倒錯者だ)の素行を、彼女の死後に探偵するというミステリー的な部分もなくなってしまっている。以上の点から考えると、プルーストを未読の読者が最初にふれるなら、本書より鈴木道彦訳の抄訳版のほうがよいと思う(抄訳といっても並の長編小説くらいの分量があるうえに、プルーストは改行が少ないので見た目以上に読むのに時間がかかる。しかし、読書中に感じるこの長い時間こそ、プルーストを読む醍醐味でもあるのだ)。

個人的な話をすれば、プルーストを読んだのは失恋がきっかけだった。あれから数年が過ぎたが、いま思ってもあんなに苦しい恋はあとにも先にもない。年齢や性格を考えると、あんなにも狂おしい想いを他人に抱くことはもう二度となかろうとも思っている。その恋が破れたとき、失恋は病気や怪我と同じく肉体的な症状を示すのだとはじめて知った。駅の階段を上るのにも手すりに掴まらねばならなかったし、路上ですれ違った女の香水が「あの人」と同じだと気づいた瞬間に絶望感に襲われて吐き気を催したこともひとたびではなかった。あのとき、プルーストにどれだけ救われたか。決して読みやすいとはいえない文体だったからこそ夢中になれた。読み耽った。とくに「逃げ去る女」で語り手がアルベルチーヌへの恋から忘却の作用によって少しずつ自由になっていく過程には文字通り救われた。『失われた時を求めて』ほど、主人公と感覚が共有でき、あたかも物語を生きているかのような錯覚を覚えさせてくれる小説をほかに知らない。彼は現実で失恋し、読み耽っている小説のなかでさらに失恋を重ねた。傷の上に傷を負うことで彼の傷は塞がれた。そしてそのあとには、ヴェネツィアの水路を進むゴンドラのように忘却がゆっくりした速度で、しかし確実に、苦しみを後ろへと残していった。その途中でふり返り、名残惜しく澪を見つめた夜がなかったとはいわないけれど。あんな状態からも人間は回復するのか。思い返してみると不思議だ。いまとなっては他人事か、夢だったように感じられる。

記憶の砂漠を歩く駱駝の背に揺られながら、彼は少しずつ女のことを忘れていった。
なるほどこの新しい自我は、昔の自我と、まだ多少の接触を持っていた。あたかも妻を亡くした男の友人が、喪の不幸には冷ややかでも、その場にふさわしく悲しそうな顔でまわりの者と話したり、彼に弔問客の応対を頼んだ当の男がまだしゃくり上げて泣いている部屋に、ときどき引き返して行ったりするようなものだ。私もしばしのあいだ以前のアルベルチーヌの恋人に戻るときは、まだむせび泣きの声を上げることもあった。しかし今や私はそっくり新しい人物になりかかっていた。他人に対する私たちの愛情が衰えるのは、他人が死んだためではない。私たち自身が死んでいくからだ。

『逃げ去る女』



小説の終盤で語り手は、幼いころ母親に読んでもらった『フランソワ・ル・シャンピ』を偶然本棚で見つけて「泣きたくなるほどの感動」を覚え、失った時間を取り戻す。同じように、本書を読んでいる最中、深夜の長電話や、カーテンを透かして部屋に差し込む冬の午後の陽射しや、ワインレッドのパンプスが立てる音が不意に想起されて、舌を苦くしなかったといったら嘘になる。しかしプルーストは憂鬱を薔薇色に染める。『失われた時を求めて』はモーツァルトのクラリネット協奏曲と通じる浄福感で読む者を優しく包み込むだろう。二度と帰らない遠い日々の記憶とともに。


4334751563消え去ったアルベルチーヌ (光文社古典新訳文庫 Aフ 4-1)
高遠 弘美
光文社 2008-05-13

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4087610306失われた時を求めて 11 第六篇 完訳版 (11) (集英社文庫 ヘリテージシリーズ P 1-11)
鈴木 道彦
集英社 2007-01

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408760425X抄訳版 失われた時を求めて〈1〉 (集英社文庫)
Marcel Proust 鈴木 道彦
集英社 2002-12

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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
はじめまして。
epiさんのブログいつも拝見しております。

『消え去ったアルベルチーヌ』は、読もうかどうしようか迷っているところです。『消え去る女』とどのあたりが違うのか、この篇をいきなり読んでも面白いものなのか、どんな訳に仕上がっているのか、などなど興味がありました。

文庫一冊くらい買えばいいじゃないか、と思いつつ、『失われた時を求めて』を読みたくなってしまい、結局、第一篇から読み始めてしまいました。

「プルーストにとっては読むことがすなわち書くことでもあったのだ」
一幅の絵を完成させるために絵の具を幾重にも積み重ねる画家、楽譜に何度も校訂を試みる作曲家など、プルーストもそういうタイプの芸術家だったのかもしれませんね。

proust+
URL
2008/06/11 22:17
>proust+さん

お返事が遅くなりましてすみません。
『消え去ったアルベルチーヌ』が出版されるのを知ったときには、なぜいまプルーストなのかと不思議に思ったのですが、テクスト選択の問題でした。一般読者である自分には『逃げ去る女』でじゅうぶんです。

しかし仮にこの『消え去ったアルベルチーヌ』が最終稿になったとしたら、続く『見出された時』はどのような変更がされることになったのか。いまある『失われた時を求めて』の読者としては、興味はありますが、少し怖い気もします。
epi
2008/06/14 10:53
とてもよかった。こんなよいものを書かせる、そのひとを傾けさせる作品や人の素晴らしさにも撃たれます。

「深夜の長電話」と「ワインレッドのパンプスが立てる音」の間にさしはさまれた「カーテンを透かして部屋に差し込む冬の午後の陽射し」がとてもいいですね。そんな冬の午後の陽射しみたいなものをどれだけ持って生きてきたか、生きてゆけるか、それがその人の価値だと思うのです。
M
URL
2008/06/21 10:23
>Mさん

記事を褒めていただきありがとうございます。
失恋を苦しいと思った自分もいまでは他人のようで、他人のことだから恥ずかしい気も起きずついこんなにも私的なことをつらつらと書いてしましました。でも、Mさんのおっしゃるとおり、幸福な経験をしたのかもしれません。そこから何かを得て多少は当時よりいくらかまともな人間になれた気がするので。これは今になって思うことですが。

プルーストという名前を読むとそれだけで胸の奥が少し痛くなる、こればかりは未だに治らない後遺症です。
epi
2008/06/24 00:42
はじめまして 「プルースト・失恋」で検索してたどり着きました。

一年前の失恋を未だにひきずり、時折強烈な悲しみに襲われます。自分以外にも自分と似た苦しみを味わい、そこから不完全であっても逃れられた人がいることを今一度知ることができました。ありがとうございます。
たれぞう
2013/11/22 01:41
>たれぞうさん

愛しい人を失うことは自分の身体の一部をもぎとられるのと同じで、痛く、苦しい。
時間だけが癒しを与えてくれると思います。
だから生き続けなくてはいけません、どんなに辛くても。
epi
2013/11/22 21:15

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