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骨の髄まで打ちのめされた。紛れもない傑作。 フロリダの開拓地で貧しく厳しい暮らしを送っているバクスター家の一人息子である12歳のジョディは父親とともに狩猟や開墾をして日を送っていた。遊びたい盛りゆえときどき労働を怠けてしまうことがあり、そのたびにいつも不機嫌な母親に叱られたりもするけれど、優しくて頼もしい父親はいつでもジョディの味方だった。 自然のなかで生きるのはたやすくない。狩猟にせよ、畑仕事にせよ、水汲みにせよ、薪割りにせよ。それら労働のすべてがそのまま暮らしに直結しているのだ。しかも自然は気まぐれで情け容赦ない。飢えた獣が家畜を襲うこともある。ハリケーンで土地を滅茶苦茶にされることもある。猟に出ても獲物に会わないこともある。それでも一家は生きていかなくてはならない。 娯楽などと無縁の暮らしを送っているジョディはまた、心の奥に漠とした寂しさを感じている。隣家に一人だけの友人がいるにはいるが、奥地で暮らしているバクスター家とその家とは6キロも離れている。隣家というのに躊躇われる距離だ。その友人も病気であっけなく死んでしまう。寂しさを抱えたジョディはある日、森のなかで生まれて間もない仔鹿と出会う。人間が食っていくのもやっとの状況ではあるが、父親はジョディに仔鹿を飼ってもよいと許可する。有頂天になって、少年はありったけの愛情を注いでフラッグと名づけた仔鹿を育てる。餌を与え、散歩に連れ出し、駆け回って遊び、寝るときは一緒のベッドで。 だが幸福な日々は長くは続かない。ジョディが成長すればフラッグも成長し、仔鹿だったころには大人しかったのが、だんだんと野性を取り戻していく。次第に可愛いだけのペットではなくなっていく。家のなかに入ってきて食べものを盛った皿をひっくり返す。父親とジョディが一所懸命に作物を植えた畑を荒らしてしまう。 ジョディにとってフラッグは家族の一員だ。しかし両親にとっては違う。優しい父親は知恵を絞り、なんとかフラッグの悪戯を回避できるように手を打つものの効果はない。そして苦渋の末、ついに過酷な決断をジョディに迫る…。 バクスター一家は厳しい土地で、自然を相手に戦い、生活を送ってきた。それは文字通り戦いだった。家畜を襲う狼の群れや、獰猛で老獪な巨熊が相手の。思い通りにならない天候が相手の。一家の貴重な食料である作物を荒らすフラッグはもはや排除せねばならない存在になってしまった。だから父親はジョディに命じたのだ。フラッグを殺せ、と。 自分のなかにある寂しさを埋めてくれるこの上なくいとしい存在、限りない愛情を注いできた存在を自らの手で殺すことなどできるわけがない。ジョディは拒む。だが、最後には銃の引き金を引かねばならなかった。誰よりも愛していたのに。フラッグは「なぜ?」と問うような目をして死んでいく。フラッグが悪いわけではなかった。野性の鹿は畑にトウモロコシの芽があれば食べるに決まっている、それがバクスター家のものであるとないとに関わらず。けれどその理屈は通らない。そういう世界ではないのだ。 ジョディがフラッグの息の根を止めるために引き金を引いた手、その手は、一年前に、まだ生まれたばかりだったフラッグを抱き上げたのと同じ手だった。 いのちはいのちを喰らって生きている。すべてのいのちは食うものがなければ飢え死ぬ。そのことのうちにあるかなしみ。ローリングズは実に見事に、この生きるかなしみを描く。このかなしみを描いているから、こんなにも読んだ者の胸を熱くするのだ。 ジョディは父親にこういったことがある。 「殺さずに肉がとれたらいいのに」。どんな獰猛な獣が相手でも、殺されるのを見ると憐みの感情が湧いてくる。畑を荒らす憎い敵であったとしても、銃で撃たれて倒れたところを猟犬にのどぶえを食いちぎられ、人間のように断末魔の声を出して死んでいくのを見るのは気分のいいものではない。 しかし息子の言葉に父親ははっきりとこう答えるだろう。 「だが、おれたちも食わにゃならん」。 これがすべてだ。世界はやさしくはない。ジョディがフラッグを殺さねばならなくなるのも、結局は人間が食うためなのだ。そしてこの過酷さにふれて、少年は少年でなくなる。 父親は小説の最後で、もはや少年ではなくなった息子にこう語る。 「だれだって、人生がいいものであってほしいと思うし、楽に生きたいと思う。たしかに、人生はいいものだ。すごくいいものだ。だが、楽ではない。人生は人間をぶちのめす。立ち上がると、またぶちのめす(後略)」 本作は本邦でながらく『仔鹿(小鹿)物語』として親しまれてきた。が、これは誤訳というか意訳というか正しい翻訳ではなくて、原題The Yearlingは訳者によると「動物の満一歳を過ぎたものをさす言葉」であるという。つまりこのタイトルの言葉は子どもから大人への移行という意味も含んでいる。原題は、小説の主人公である「少年」と「鹿」が一年をともに過ごし、それぞれ成長していく過程を描いたこの小説にぴったりの言葉が用いられていたのだ。児童文学として受容されてきた本作だが、実際に読むと児童文学の枠に収まりきらないスケールに圧倒される。個人的には、これまでに読んだ古典新訳文庫のシリーズ中で最大の衝撃を受けた。訳者もまた「あとがき」で「読後しばらく物語の世界に心を奪われたような呆然とした時期を過ごした」と書いている。頷ける。 言葉が紡ぐ物語というやつに圧倒されるのが好きな人は読んだらいいと思う。 巻末の解説はこの小説を理解するうえで必須の内容となっている(ただし読了後少し落ち着いてから読むことをおすすめします)。 それにしても翻訳は素晴らしい。なんというリーダビリティの高さ。なんという声に出して読みたくなる翻訳文。28章の傷ついた狼の挿話や、本編最後の一節などは溜め息をつかずには読めない。土屋京子氏の翻訳で『鹿と少年』が読めた幸運に感謝したい。
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鹿と少年
7/19に東京で行われる“ジョディと子鹿のフラッグと”の初の生演奏公演を控えて人形劇団むすび座とともに一昨日からまた名古屋にいる。 正確&... ...続きを見る |
セロ弾きのゴーシュ,どんぐりと山猫,注文... 2008/07/16 10:16 |
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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初めまして。 |
白石准 URL 2008/07/16 10:21 |
>白石准さま |
epi 2008/07/19 19:12 |
epiさん、ひさしぶりにコメントさせていただきます。 |
Mr.マクベ 2008/07/20 22:55 |
>Mr.マクベさん |
epi 2008/07/26 13:39 |
私が子供の頃、小鹿物語と言う児童向けの本がありましたが,何故か内容が想像できて、読まずに過ごしてきました。そして大人になって、昔の映画グレゴリーペック主演の「小鹿物語」を見た時感動で涙が止まりませんでした。 |
のんびり猫 2008/08/30 18:10 |
>のんびり猫さん |
epi 2008/08/30 18:49 |
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