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zoom RSS 『未成年』 ドストエフスキー

<<   作成日時 : 2008/07/26 00:00   >>

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米川正夫訳の岩波文庫に続いて、工藤精一郎訳の新潮文庫が復刊した。文字が大きくなり、佐藤優氏による毒にも薬にもならぬ解説がついて。

ドストエフスキーの五大長編といわれる。『罪と罰』、『白痴』、『悪霊』、『未成年』、『カラマーゾフの兄弟』。このなかでもっとも評価が分かれ、わきに追いやられてきた感が強いのが『未成年』だ。『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』のようなダイナミクスに欠け、『悪霊』の毒気もない。全体の構成はいびつで、物語の起伏もほかの四作に比べると乏しい。未成年アルカージイによる手記という形式のためか読んでいて散漫な印象を受け、物語としての展開のおもしろさもさほどではない。後期ドストエフスキーの長編はどれも少なくとも三度以上通読しているがこの『未成年』だけは一度しか読んでいない。
このたび再読して、やはり非常に散漫で、かつ難解な、というよりもよくわからない、なんとも曖昧な小説だと感想を抱いた。

貴族と農奴の私生児として生まれたアルカージイは幼いころから孤独な生活を送ってきた。寄宿学校では教師や同級生から生まれをからかわれ、低く見られ、屈辱を感じて生きてきた彼は自分の出生を呪いつつも、幼いころに一度見た記憶のある貴族の父ヴェルシーロフに強い憧れを抱き、その思い出を大切にこころのなかにしまってきた。
中学校を終えると大学へは進学せず、いつからか彼を虜にしてきた「理想」を実現せんと、そして長く離れ離れに暮らしてきた両親と妹に会うために、モスクワからペテルブルグに出てくる。彼の理想とは「ロスチャイルドのような富豪になって金という力を手に入れる」ことだった。そのために学生のころから倹約につとめてきた。塵も積もれば山となるだ。

ペテルブルグへ出てきたアルカージイは念願の家族との再会を果たす。母ソフィヤは穏やかにやさしくアルカージイを迎えてくれる。しかし憧れていた父ヴェルシーロフは実際に接してみると立派な人物ではなくて薄っぺらい知識人、感情の枯渇した「紙でできた人間」でしかなかった。幻滅するアルカージイ。彼は長い孤独な生活のうちで父を理想化しすぎていたのだ。

アルカージイはペテルブルグで自分のこれからの生きかたをもとめてさまよう。彼をはじめ同世代の若者たちはみな自分たちがどうしてこれから生きていけばよいのかわからず迷っている。しかし父たちの世代は彼らを導くことができない。ドストエフスキーはこの小説をトルストイの『戦争と平和』に対抗して書きはじめた。トルストイが描く歴史小説のなかに登場するノブレス・オブリージュを備えた貴族は現代には存在せず、ただばらばらな人間が寄り集まった「偶然の家族」が現代ロシアの現実なのだと彼は書く(この主題はこのあとに書かれる『カラマーゾフ』でも扱われるだろう)。では道に迷う未成年たちは何をよりどころに生きていけばよいのか。農奴解放によって既成の価値観が転覆し、資本化が急速に進む当時のロシアの若者たちを導く標はあるのか。ここにドストエフスキーは一人の巡礼を登場させる。アルカージイの戸籍上の父マカール老人だ。

マカールは巡礼としてロシア各地を転々としている。もともと彼はヴェルシーロフの下男で、アルカージイの母ソフィヤの夫だったが、主人の懸想によって妻を寝取られ、保証金と引き換えに自由の身となった。『カラマーゾフ』のゾシマほどの学識も教養も、そしてもちろん地位もないただの巡礼だが、彼のうちには民衆の原理ともよぶべき純朴さと誠意と、地に足のついた知恵があった。ひとはみな共同体の一員であるというマカールのことばとその生きかたを見て、アルカージイは彼のうちに救済と可能性を見出す。彼は貴族ヴェルシーロフにではなく、もと農奴のマカールのうちに「善美」あるいは品格ある生きかたを見て感動する。この小説は一人の、世間知らずな田舎者の若者が二人の父と接し、また自身や周囲の恋愛事件や犯罪行為に巻き込まれながら成長していくという教養小説になっている。


『未成年』がほかの四作に比べて人気がなかった理由はいくつか想像できる。さきにも書いたが構成の複雑さ。アルカージイの手記はたえず前後し、筋を見失いやすい。一本道の『罪と罰』とは正反対だ。またドストエフスキーの魅力というべきダイナミックな展開もない。せいぜいが終盤のカテリーナ・アフマーコワという女をめぐるヴェルシーロフの狂気じみた恋愛感情の爆発くらいだ。そして何より、これが最大の理由だと思われるが登場人物たちの魅力がいまひとつなのだ。ヴェルシーロフにせよ、カテリーナにせよ、義姉アンナにせよ、母ソフィヤにせよ、彼らがどういう人物なのかを伝えるアルカージイの筆は拙い。この小説で魅力的に書けているのはマカール老人と「伯母さん」タチヤナ・パーヴロヴナくらいではないだろうか。しかし彼らとて、『罪と罰』の二人の主人公、『白痴』のナスターシャとロゴージン、『悪霊』のピョートル、『カラマーゾフ』のミーチャに比較すればその存在感ははるかに弱い。

この小説を『悪霊』で自身のなかの毒素を出し切ったドストエフスキーが人生賛美の『カラマーゾフ』へといたる橋として読むのは軽視しすぎになるだろうか。しかし『カラマーゾフ』を幾度も読んだ人間は『未成年』のなかに『カラマーゾフ』の種子をじつに多くみる。夢想家で病的な若者ではなく、「命が三つあっても足りない」ほど人生を愛し、一所懸命に貯めてきた金を見も知らぬ赤子のために投げだしてしまうアルカージイはミーチャ・カラマーゾフの先駆といえるだろう。母ソフィヤがわが子アルカージイに深々とお辞儀をするのはゾシマとミーチャの対面を想起させるし、妹リーザが兄にいう台詞はのちのアリョーシャの演説とよく似ている。
「(前略)一つだけ約束があるわ。もしいつかあたしたちがお互いに責め合ったりしても、なにか不満なことがあったり、自分がわるい、よくない人になったりしても、またたといこんなことをすっかり忘れてしまうようなことがあっても、――決してこの日この時を忘れないということよ! こう自分に約束しましょうよ。あたしたちがこうして手をとり合って歩いて、こんなに笑い合って、こんなに楽しかった今日のこの日を、いつも思い出すことを誓いましょうよ……ね? いいでしょ?」

『未成年』はドストエフスキーの小説のなかでも、『悪霊』とは違った意味での難解さと、不明瞭さがある。


ところでこうして新潮文庫で『未成年』が復刊したいま、そろそろ復刊してほしいと熱望しているのがマッカラーズの『心は孤独な狩人』だ。古書店でもネットでもついぞ見かけない。復刊ドットコムではすでに得票数が100を越えている。なんとかならないものか。


あと、こんな愉快な動画を見つけた。原曲とロシア文学の知識が両方あるとにやにやして見入ってしまうだろう。途中の語りの部分の声がすてき。中毒魔法「ビギナーズ・ラック」!



4102010157未成年 上巻 改版 (1) (新潮文庫 ト 1-20)
工藤 精一郎
新潮社 2008-06

by G-Tools



4102010165未成年 下巻 改版 (3) (新潮文庫 ト 1-21)
工藤 精一郎
新潮社 2008-06

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
こんばんは。
たしかに『未成年』の評判は良くないようですね。
しかし私は、アルカージイとヴェルシーロフの人物の造形、
特にアルカージイの心理描写に惹かれるものがあります。
最初の方で彼は自分はロスチャイルドになりたいと告白し、
自らの「理想」を語りますが、あの場面は『地下室の手記』
に通じるものがあり、ドストエフスキー以外の作家には絶対
書けないと思います。
『未成年』は、『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』と比べる
と落ちるとは思いますが、ドストエフスキーならではの佳作
なのではないでしょうか。
アルトゥール
2008/07/26 22:04
>アルトゥールさん

こんばんは。
亀山郁夫さんは『未成年』を「ドストエフスキー文学のひとつの到達点」と何かに書いていましたが当方には微妙なところです。
アルカージイの「理想」は一時期本邦のマスメディアが煽った拝金主義的な風潮と通じなくもなくて興味深いのですけれど、これが中盤からうやむやになってしまったのは惜しい。アルカージイはたしかに自らの出生を呪い、隅っこを居場所としそうで『地下室』の話者と似ていますが、彼と決定的に違うのは他人のためにわが身を犠牲にできる点です。彼はミーチャ・カラマーゾフと同類の、晩年の作者がようやく創造しえた生命力が沸騰している若者です。

作品の評価は人によりさまざまですが、こんなにも読むのに時間がかかるドストエフスキーはほかにありません。容易に咀嚼できないのです。
epi
2008/07/26 23:33
未成年と悪霊・・・・途中でギブアップしました。
やはりなんといっても、カラマーゾフが一番かなー
のんびり猫
2008/09/01 22:37
佐藤優解説の馬鹿さ加減をその難解さのせいに出来たら…
この小説を読んだ直後に解説で読後感をぶっ壊されたことへの怒りがまだ収まらない…
憤怒
2013/08/28 20:28

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