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zoom RSS 『ガラスの動物園』 テネシー・ウィリアムズ

<<   作成日時 : 2008/09/28 00:00   >>

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セント・ルイスの裏町を舞台に、現実から逃避した母とその子どもらが演じる悲劇。

ウィングフィールド一家に父はいない。電話会社に勤めていた彼は「長距離に恋をして」しまったのか、妻と姉弟ふたりの子どもを残して行先を告げることなく出奔してしまい、それからもう十年以上が経つ。一家の家計は倉庫で働く息子のトムが担っている。母親は雑誌購読の電話勧誘をしているが成績は芳しくない。娘のローラは片足が不自由で、それもあってか極度に内気なため働けず、まだ24歳だというのにすることといったらガラス細工の動物のコレクションを眺めるか、もはや擦り切れているレコードをかけることだけ。1930年代の不況下のアメリカ社会を覆う閉塞感がこの中産下層階級の一家族に凝縮されている感がある。

ウィングフィールド家の人々はみな夢想家だ。母親は貧しく辛い現在を見つめることの辛さからたびたび幸福だった娘時代を回想しては子どもらに語らずにはいられない。息子は勤めの傍ら詩を書いており、夜ごと映画館に入り浸り、遠いどこかへ旅立つことを夢見ている。娘はガラス細工の動物たちに話かけ、空想の世界に半ば囚われている。

直視するのが辛い状況に陥ったときに、それを冷静に分析して対処する能力をもたない夢想的な人間が示す反応はいくつもあると思うが、大きく分ければ、かつて幸福だったころの思い出に耽るか(その幸福があとから捏造された幻想かもしれないとはつゆ疑わずに)、非現実的な空想に身を委ねるか、何もせず何も考えず嵐が去るのを待つようにじっと動かずにいるか、その3パターンに分類できるのではないか。そしてこの3パターンはそれぞれウィングフィールド家の人物たちが示す反応でもある。

息子は男だし未だ若いのだからどうにでもなる、自分には先がないのだからかまわない、そう思っている母アマンダはあまりに現実に対応する能力のない娘の将来を心配し、職場にいい男性はいないか、いるなら一度家に連れて来てくれないかとトムに頼む。トムは引き受ける。そして彼が連れてきたのはローラがハイスクールに通っていたころにひそかに想いを寄せていた男性だった…。

この劇に明るい結末はない。「人が想像するとおりにいくことなんて何ひとつない」とはロレンス・ダレルの小説の一節だが、まさに世界はそうで、夢想家が都合よく想像するとおりに事が運べば苦労はない。甘美な時間ののちに、物質のように硬い残酷さが母と娘を撃つことになるだろう。そして大切なガラス細工のユニコーンは砕ける。


著者が冒頭で述べているとおりに、これはいたってセンチメンタルな劇だ。登場人物のトムは同時にこの劇の語り手でもある。彼の口からこれは「追憶の劇」だ、と語られる。スクリーンに登場人物たちの心象を映し出すという演出は夢想家たちの内面を表現する方法として行き過ぎに思えるほどだ。巻末の解説によるとウィリアムズは不幸で孤独な葛藤を生涯抱え続けたひとで、家庭内は不和で、とくにローラのモデルになった姉は精神に支障をきたしロボトミーの手術を受けたのちは廃人同然の身となったという。彼はこの姉の面倒を最後まで見続けた。
不幸な人生を送る人間にしかすぐれたものはつくれないとは思わない。けれどもそういう人間のつくるものにはやはり何かしらこちらの胸を打つものがある。このような苦悩礼賛はロマン主義的に過ぎるだろう。だろうけれども、それでも。


4102109072ガラスの動物園 (新潮文庫)
小田島 雄志
新潮社 2000

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