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zoom RSS 『スクールアタック・シンドローム』 舞城王太郎

<<   作成日時 : 2008/12/07 00:00   >>

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表題作のほか、「我が家のトトロ」と「ソマリア、サッチ・ア・スウィートハート」の三篇を収録。
独特のリズムある文体が心地よい。

表題作は、通う中学校の全生徒全職員の殺人計画をノートに書いていた中学生と、語り手である父親とのかかわりを描く。語り手はすでに妻と離婚しており、息子は彼女とともに暮らしている。仕事を辞め、自宅に引きこもり、酒ばかり飲んでいる彼は息子の顔を少なくとももう二ヶ月以上見ていない。こういった環境が、過敏な年頃の少年になんらかの影響を与え、彼のなかの暴力性を誘発することはありえるのか。子どもが問題を起こした場合、親はどこまで責任を負うのか。

暴力や狂気は伝染する、そういわれる。大きな凶悪事件が発生して報道されたあと、それを模倣する者があとから出てくるのが思い当たる。なぜだろう。「限界が一気に広がるとき、可能性は無限のように思えてしまう」からか。語り手はこう述べる。
暴力は伝染する。それを伝えるのはムードやトーン、つまり空気の色や温度と風の調子だ。でももう一つ暴力を伝達する方法がある。それは一発殴られたら一発殴り返す復讐の原理が人間性に歪められるがゆえの拡散だ。人間が人間らしくある以上、AがBを殴ったってBがAを殴り返すとは限らず、Cを殴ったり、あるいはAとCを殴ったり、あるいはAを殴り過ぎたり、さらにはAとCを殴り過ぎたりする。恐れと怒りだ。

暴力は自分よりも無力なものに向けられる。大人から子どもへ、子どもから動物へ。あるいは上司から部下へ、部下からさらに部下へ。暴力は水が高きから低きへ流れるように流れて、最後にはもっとも弱いものが犠牲になる。また暴力は伝播して、そのエネルギーは消滅することなく社会へ拡散していく。
そして暴力を振るうというのは快いと同時に恐ろしいことでもあるから、振るう側に恐怖がないとはいえない。人を殺しながら殺していることが恐ろしくて、その恐怖感がさらに暴力をエスカレートさせることはありえる。

このような暴力の連鎖から逃れることはできるのか。語り手はその逃げ道を想像力に見出す。中学生の息子は実際に殺す気があるのかどうか自分でもよくわからず殺人リストを作っていたわけだが、実際に猫を一匹殺してもいた。殺したあとで「気持ち悪くてすげー最悪」な気分になったと述懐するのだが、想像力があれば、殺される猫の身を思う気持ちがあれば、ひとつのいのちは奪われずに済んだ。殺したあとでいくら反省したり、後悔したりしたところでいのちは一度きりなのだから戻ってはこない。やり直しはきかないのだ。そのことを知るのにいのちを奪うのは大きすぎる代償だし、なんのために人間には脳があるのか。
語り手は深夜にキッチンの床に転がって、「にゃにゃーんヤメロ!」と殺される瞬間の猫の気持ちを想像しているうちに泣いてしまう。この涙だけが暴力の連鎖を断ち切れる。


併収の二作も含めて、本書に収められた短編はどれも愛の問題を扱っている。圧倒的な暴力や、あるいは自分でももてあますような焦燥感や、不全感。そうしたものに対抗するための手段あるいは武器としての愛。そう、誰もが「戦争のない世界。汚職のない政治。薄れない愛情。いつか必ず叶う恋」といった「馬鹿馬鹿しい」ものを求めている。そうした世界を作り上げる土台は結局は理想でも理論でもなくて、愛なのだ。こんな移ろいやすく、不確かなものを頼りにするしかないのだ。


4101186332スクールアタック・シンドローム (新潮文庫)
舞城 王太郎
新潮社 2007-06

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