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zoom RSS 『庭の桜、隣の犬』 角田光代

<<   作成日時 : 2008/12/09 00:00   >>

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夫婦となった30代の男女の日常を描く。

房子と宗二は激しい感情を交わすことなく結婚した。子どもはない。宗二は会社勤めをし、房子は専業主婦として家にいる。外に勤めに出るわけでもなく、たびたび実家を訪れては夕食の残りも持って帰り、夫にはそれを食べさせている。夫婦はお互いに不満がないわけではないけれどもありすぎるわけでもなくて、とりあえずは平穏に暮らしている。

この平穏がある日破られる。毎日仕事で帰りが遅くなりがちな宗二が、会社の近くに安いアパートを借りて、帰れない日はそこに泊まることにする、といったのだ。房子は戸惑い、反対もするが結局は夫に押し切られる。そこから綻びが次第に顕在化してくる。宗二はストーカーめいた異常気質の女に付きまとわれ、こんなふうにわざわざ別に暮らすのなら自分たちが夫婦でいる必要性があるのだろうかと房子は疑問を感じはじめる。そもそも彼らは強い絆で結ばれた夫婦ではない。宗二は房子にプロポーズすらしなかった。香山リカ氏は結婚を「家族的関係」と「ビジネスパートナー的関係」と二種類に分類していたが(『結婚がこわい』)彼ら夫婦はそのどちらでもない。彼らの述懐や交わす会話には寒々しさが漂う。
コートのポケットに手をつっこんで立つ宗二を見ていた房子は、自分たちが、三十五年ローン3LDKの家を持つ自分たちが、あの上海旅行からずっと、ふたりきりでさまようように旅をしているような錯覚を抱いた。腹立たしいのは、離婚したとしても、その感覚は変わらないだろうということだった。宗二は宗二で自分は自分で、何も負うことない傲慢さで各自さまよい続けるだけなのだろう、ということだった。


「そうちゃん、私たち、離婚しても何もかわらないね」
橙に染まる自分の手を見て房子は言った。
「はあー? 結婚や離婚で何かかわるとか期待するのがおかしいんじゃないの。女性誌のコピーじゃあるまいし」
「かわるとか期待してるんじゃなくて、ゼロのものにゼロを足してもゼロじゃん? 何か、私たちが何をやってもゼロになる気がするんだよね」
宗二は何も言わない。
「子ども作っても子沢山になっても、ゼロのまんまって気がしない? もちろん離婚してもさ」
言いながら房子は思う。もしゼロに何か積み上げるように言葉を交わせば、とたんに何もかも嘘くさくなる。それが自分たちなのだ。


彼らは白けているだけなのだろうか。しかしこの希薄な現実感覚はなんだろう。当面は経済的な問題はなく妻が働きに出る必要はない。諍いがあるわけでもない。家も購入した。どちらとも浮気をしているわけでもないし、というかそれすら面倒くさがっている。傍から見ればそれなりに幸福そうに見える夫婦だというのに彼らには幸福感はまったくない。

彼らと対照的なのが宗二の母親だ。ろくでもない夫と結婚して今は未亡人の彼女は突然上京してきて「これからは自分の好きなように生きる」と宣言して、高齢者向けのお見合いパーティに参加して相手を見つける。彼女と房子たちとの対比が面白い。若い時にできなかった理想的な夫婦像をたどり直そうとするかのように宗二の母は相手との関係を大切に築いていく。その過程を間近で見ているうちに房子の心境にある変化が訪れる――。

未婚の人間がいうのも僭越ながら、本書にはある種類の人間にとってのリアリティがある。身につまされる。いわゆるリア充的なものに対して斜に構えてしまうヒネた人間には他人事として読めないだろう。こうとはならなくても、こんな感じで夫婦をやっている男女は少なくないのではないかしらん。生きているのが面倒くさくてイヤになったら、たまにはバカになってみるといいのかもしれない、そんな、少しだけ前向きにさせてくれる小説だ。


4062758458庭の桜、隣の犬 (講談社文庫)
角田 光代
講談社 2007-09-14

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