epi の十年千冊。

アクセスカウンタ

zoom RSS 『暗い旅』 倉橋由美子

<<   作成日時 : 2008/12/11 00:00   >>

ナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 1 / コメント 2

「あなた」の二人称で書かれ、断片によって成っている実験的要素の濃い長編小説。

「あなた」は東京のある大学院の学生だ。「あなた」の婚約者である「かれ」はある日突然、謎の失踪を遂げる。「かれ」を失った「あなた」は、かつて彼と訪れた土地を一人でめぐり、「かれ」の愛と、「かれ」へのあなたの愛を再確認する暗い旅に出る。東京から鎌倉、そして二人の「愛の聖地」である京都へと。

真冬の二月。「あなた」は鎌倉の海の前にいる。冬の浜辺で不在の「かれ」との思い出を反芻したのち、「あなた」は東京のアパートへ戻る。このとき、「あなた」は突然、、一人で京都まで旅することを思いつく。翌日の朝、「あなた」は東京駅にいる。ホームへ滑り込んでくる《第一つばめ》を待っている。
京都までの車中、「あなた」はまた「かれ」と過ごした日々を脈絡もなく回想する。古い旅行パンフレットをめくるように。二人の関係は仲の良い兄妹のようなものだった、二人は互いを愛しても占有することは望まず、したいと思えば別の異性と関係する自由を約束し合った。「あなた」たちは放恣に愛を堪能した。しかしそこに嫉妬はあったのだ、「あなた」から「かれ」への。「かれ」は? 「かれ」もまた同じように「あなた」と関係した男たちに嫉妬を感じていただろうか?

京都に到着した「あなた」は車中で偶然の再会を果たした年上の男と同じ部屋に泊まることになる。「あなた」は愛した「かれ」との思い出をたどる旅のさなかに別の男と関係することを何とも思わない。愛に冷淡なようにも見える「あなた」だが、やはり「あなた」は苦しんでいる。「かれ」の面影が不意に思い出され、当初は訪れる予定でいた場所場所に行くことができないのだ。かつては「あなた」と「かれ」の愛の舞台装置であった京都、しかし今の「あなた」にとっては同じ場所が、遺棄され埃にまみれた残骸に過ぎない。「あなた」の今回の暗い旅は、その残骸の群れから新たな意味を見出す憂鬱な巡礼の意味をもつ。

期待を裏切られる大仙院の訪問を終えたあと、「あなた」を待っているのは年上の男との情事だ。「あなた」は何の感動も感情もなく、男の手馴れた愛撫に身を任せるだろう。そして翌朝は一人きりで目を覚ますだろう。だが「あなた」はもう昨日までの「あなた」ではない。「かれ」との思い出をたどるこの旅の途次で、ある着想が天啓のように「あなた」に閃いたから。それは、
書くこと。書くことによって自身の愛を確認することだった。
なにを書くのか? それを考えてもあなたは小説に新しいものを加えはしないだろう、あなたのスティルの創造は《なに》を超えている、さしあたりあなたがとりあげるのはかれであり、かれの愛であり、かれの愛を通してもう一度解読されるあなたの愛だ。



本書は一人の少女が書くことに目覚めるまでのお話とも読める。ロレンス・ダレルの『アレクサンドリア四重奏』のヒロインは次のように述べている。女に対してすることは三つしかない、女を愛するか、女のために苦しむか、女を文学に変えてしまうか、それだけだと。「あなた」はこの言葉の「女」を「男」に置き換え、すべての過程を順々にたどっていたのだ。そう、「あなた」は幾冊もの大学ノートに日記と称した模作を書き溜めていたのではなかったか。そのなかにはこんな一節もあった。
《わたしのstyleを確立すること》

このstyleという語を文芸的に「文体」とばかり呼ぶ必要はなくて、もっと人口に膾炙している意味の生活様式としてもよいはずで、とするならば本書は愛を失うことによって自身の自立した未来を選択することになる一人の若い女の物語ともなって、その意味でこれは作者自身による解説を待つまでもなく「少女小説(for girlsな)」と呼称できる。

小説の構成は一方に時間軸に沿って旅する現在があり、一方に時間軸を無視した回想の過去がある。形式として連想されるのは福永武彦の『死の島』だ。ただし本書は福永の長編ほどの手法のこだわりは見えず、愛らしく美しい箱庭のごとき小説となっている。文学少女という人種が実在するのか否か知らないけれども、そういった人種の読者にとってはバイブルとなっても不思議ではない輝きをもっている。ただ、作中にちりばめられたモダンジャズの曲名や喫茶店の名、小物の名などの固有名詞はフェティシズム的な面白さはあるものの少々鼻につくし、何よりも1961年に書かれた本書にとってはまだいくぶんは「廃都」と呼べる風情があったのかもしれない京都も今では整備された巨大な国際観光都市になっており、作中のロマネスクな叙述には少々滑稽味を感じないでもない。ダレルのアレクサンドリアはアレクサンドリアという地名を借りただけのどこでもない幻想の場所であって、そこを舞台にしてこその見事な恋愛叙事詩だった。本書の京都も同じように地名を利用しただけの架空の土地とすれば時代の制約を超えた小説となりえたかもしれないが、頻出する固有名詞が幻想の場所を生み出すのを邪魔しており、リアリズムの作風となっているのが惜しい気もする。が、逆にいえば60年代当時の雰囲気を残しているともいえるので、この点に関しては一長一短なのだろう。


4309409237暗い旅 (河出文庫)
倉橋 由美子
河出書房新社 2008-09-04

by G-Tools




テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
ナイス

トラックバック(1件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
倉橋由美子『暗い旅』
『暗い旅』は倉橋由美子の初期の作品。倉橋ファンにとってみれば、愛すべき傑作がほかにもっとあると思われるが、二人称で語られる異色の物語として、あるいは「少女小説」の嚆矢として、作家の名声を保つ小説の一つと言える。 ...続きを見る
Proust+ プルースト・プラス
2009/03/07 21:38

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
こんにちは、ブログいつも拝見しております。
この小説は、二人称の要素だけでなく主人公が旅に向かうという設定にも、ビュトールの『心変わり』の影響を強く受けているのでしょうか。また、「書くこと」を重要なテーマに挙げている点にも近似があるようですね。

『暗い旅』は以前から気になっていた作品ですが、epiさんに触発され、読んでみようかと思います。
proust+
URL
2008/12/11 21:21
>proust+さん

コメントありがとうございます。
作者はあとがきでビュトールのこの小説からヒントを得たと述べています。二人称で小説を書く試みは大胆ですが、読者を小説の世界へ誘い、参加させる装置として興味深く、読んでいて魅了されました。『心変わり』も断章形式で書かれているようで、proust+さんご指摘の二点のほかこの点も共通といえそうです。

ヌーヴォー・ロマンで括られる作家たちの小説はどれも読んだことがなかったのですがproust+さんのエントリを拝読して興味がわきました。わたしも偏見をもっています。「言葉に引きずられて、勝手な評価をするべきでは」ありませんね。

epi
2008/12/13 11:32

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
『暗い旅』 倉橋由美子 epi の十年千冊。/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる