epi の十年千冊。

アクセスカウンタ

zoom RSS 『なんじ自身のために泣け』 関岡英之

<<   作成日時 : 2009/01/01 00:00   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

20年の歳月をまたぎ、非欧米文化圏の国々を旅してきたもとエリート銀行マンの見たものは。

1979年。当時高校生だった著者が訪れた中国では人々はみな人民服を着ていた。1999年に再訪したかの国はグローバリゼーションへの適応に狂奔していた。この20年のあいだに著者は、ベトナム、カンボジア、インド、イラン、サウジアラビアといった非欧米文化圏の国々を旅する。この20年間は同時に日本を含め多くの国々が、経済合理性に至上の価値をおくアメリカ主導の市場経済万能主義の流れに身を投じてきた年月でもあった。

二部構成になっており、前半部は各国独自の政治および経済状況を、後半部は各国の人々の精神的背景(主として宗教の影響)を述べる。世界は広い。そして豊かだ。われわれの常識など異なる文化の国では通用しない。異文化との邂逅はそれまで自身にとって常識と思われていたものが実際にはある社会システムにおけるルールに過ぎないのだと知らされることだ。たとえばビルマには日本や欧米の感覚とは異なる経済のシステムがある。著者が訪れたある寺院の門前で鳥篭に入った雀が一羽20チャットで売られていた。何のために売っているのかと著者が訝ると、この雀を買った人はすぐに空に放してしまう。20チャットは慈善一回分の値段なのだ。こういった経済システムをもつ国に暮らす人々の精神の背景はいかなるものなのだろう。関心をそそられる。アジアなどとひとくくりにしては見えるものも見えなくなる。こうした国々への旅を通じて著者はまた日本人が直面している歴史との断絶という問題に思いを馳せる。

われわれは、人間は宗教的教義に束縛されて生きるより、物質的豊かさを追求する道を選ぶのが普遍的真理であると思いがちだけれど、そんなものはただの思い込みに過ぎない。厳格な戒律のイスラーム教が現在国境を越えて広がっている。いまや中国のムスリム人口は本家のサウジアラビアの人口を超えるという。グローバリゼーションの道をひた走る超大国で同時に起きているこの矛盾を孕んだ現象から何が見えるだろう。


昨年、アメリカのサブプライムローン問題に端を発した金融危機はリーマン・ブラザーズの破綻によっていよいよ深刻化し世界中に波及した。円高によって輸出産業は大打撃を受け、日本経済はこれから長い冬の時代を迎えるだろうといわれる。これがいよいよ終わりの始まりなのだろう。わたしたちの国は約60年前に大きな犠牲を払ったのち、方向転換をした。過去の一切を否定してリスタートした。その結果、奇跡とまで呼ばれた復興を遂げ、経済的には世界第二位の地位にまで上りつめた。しかしそのあとは。狂騒の果てに奇跡は泡沫と消え、その愚を悟ったはずなのに数年もすればまたマネーゲームに明け暮れ、メディアはそれを煽り、そして今度の金融危機を迎えた。われわれは過去から何も学ばなかったというわけだ。
没落が始まる。


私たちが経済的に没落してゆくとき、私たちを精神的に支えてくれるもの、それは私たち自身の歴史しかないのではないか。しかし私たちは、ヨーロッパやアメリカから受け入れた近代合理主義の価値観によって、父祖たちの歴史から切り離されてしまっている。このことは本来、大の男が肩を震わせ号泣してもおかしくないほど、寄る辺なく、心もとないことなのではないだろうか。
だが、いまさら泣きたいと思ってあたりを見回しても、誰もが魂を揺さぶられるような物語を、私たちはもはや共有してはいない。私たちのあいだには、互いを結びつけてくれるような拠りどころが何もない。
これまで疑うことさえ気づかなかった近代合理主義の向こう側に、切り捨ててきたものの重大さにようやくめざめ、取り返しのつかない喪失感に慄然として、私たちはいま、蒼ざめて立ちすくんでいる。




4309014585なんじ自身のために泣け
関岡 英之
河出書房新社 2002-03

by G-Tools


テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
『なんじ自身のために泣け』 関岡英之 epi の十年千冊。/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる