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zoom RSS 『ひろしま』 石内都

<<   作成日時 : 2009/01/31 00:00   >>

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その日、その都市は哭いた。

他者の痛みの記憶を分有することの不可能を前回書いた
言葉は不完全で、事実のすべてを語りつくすことなどできない。陳腐な表現しか示せぬ場合だとしても、その背後にどれほどの言い尽くしえぬ思いがあるのか、聞く人はおろか語る人すら理解できてはいないのかもしれない。

記憶の分有を可能にするのに言葉だけでは足りない。ではより直截的な写真や映像といったツールの助けを借りることは有効か。それらも、これまた不完全ではあるが、ときとして雄弁に、痛みの記憶を物語ってはくれるのではないか。

本書に収められているのは、1945年の夏、広島市に投下された原子爆弾によって命を失った人たちが身に着けていた衣服の写真だ。花柄のワンピースや格子柄のスカート。「女學院」のワッペンがついたセーラー服や名札つきの作業着。そのあるものは熱線で焦げ、あるいは引き裂かれ、千切れている。瓦をも溶かす超高熱の爆風がその原因だ。広島平和記念資料館に収蔵されていたこれらの遺品を、写真家の石内都氏がライトボックスにかざして撮影した。これらの衣服を着用していた一人ひとりが紛れもなく実在していたのであり、いってみれば本書は記憶の図鑑だ。それも痛ましい死を死なねばならなかった市民たちの。巻末に所有者のリストが掲載されているが、一部持ち主がわからなかったものもある。ピンク地に草花模様をあしらったかわいらしいワンピース。胸元にファスナーが付いている。これを着ていたあなたは誰ですか。もう永久にわからないのだろうか。しかしその人の名は知れずとも、その人が生きていたこと、被爆の犠牲となったことを、この遺品は言葉に頼らずに語ってくれる。言葉を越えて。

プルーストだったか、古代ケルトの民は物に人の魂が宿ると信仰していたと書いたのは。わたしたちは日々多くの物に触れる。触れるたびに魂は磨り減っていくから老いるのだと。これは美しい信仰だ。そして物にはたしかに、人の思い出が具象化したもののように思えるところがある。愛用していたものならばとくに。万年筆、フィルム・カメラ、椅子…。物それ自体としてではなく、その所有者であった人の面影が付随された物体としてそれを見てしまう。衣服という、もっともからだに密着した物であるならば、そしてそれが愛用の品であったのなら、それはもうその人の一部といって差し支えないだろう。心理学者のジェームスによれば、人とは彼が「わたしのもの」と名づけるものの総和であるという。

痛みの記憶を分有するための手段のひとつとして写真は有効だ。記憶とは記録でもあるのだから。


4087804828ひろしま
石内 都
集英社 2008-04

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広島平和記念資料館に収蔵の写真の一部は以下の書籍でも見ることができる。
4820519409原爆写真 ノーモア ヒロシマ・ナガサキ 【日英2カ国語表記】
黒古 一夫
日本図書センター 2005-03-18

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