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zoom RSS 『業苦 崖の下』 嘉村磯多

<<   作成日時 : 2009/02/04 00:00   >>

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赤裸々に、ときに露悪的に己を語ることを悪趣味と片付けてもよいのかどうか。

嘉村が書くのは私小説だ。私小説は著者の生活を題材とする。むろんこれは虚構であり、すべてをそのままに受け取っては危険だろう。けれども、叙述からいくらか差し引くとしても、嘉村磯多という人はずいぶんと奇特な人物だったようだ。
肌が色黒であるのを気にして、髭が濃くなるとみっともないからと剃らずに毎日毛抜きで一本一本抜く。年上の美人を妻としたが、彼女が処女でなかったと思い込み、「処女か?」とねちねち詮索し、彼女が婚前にある男と醜関係にあったと知るや人生に絶望する。処女を抱きたいという渇望から魔窟をうろつき、乞丐(こじき)の子でも構わない、「レエイプしてまで」でも、と思いつめる。義弟が美人と結婚すると聞くと嫉妬し、結婚式に出ようとしない。人嫌いで自分の妻のために産婆が来ても奥座敷に引きこもっていっかな顔を見せようとしない。子どもが生まれると妻の愛情を奪われたと感じてわが子に嫉妬して妻に呆れられる。そして年下の女との東京への駆け落ち。

本書に収録されているのは、主として山口県の田舎で送った妻との冷え切った夫婦関係を扱ったものと、愛人と出てきた東京での暮らしを扱ったもの。詳細には記されてはいないのではっきりとはわからないものの、著者は幼いころから実母とうまくいっておらず、双方互いに嫌悪し合っていたようで、それが彼のなかで愛情への飢え(甘やかされたいという願望)を培養したのだと思われる。親への情が育めぬま成長してしまった彼が、今度は父親となったときに子を妻もろとも捨ててしまうのは因果というしかない。文士として立つという理想を抱いての上京だったけれども、そして作品発表の機会に恵まれ、宇野浩二に称賛されたりもしたようだけれども、彼の人生は心労多いものだったようだ。自らの恥部をも小説の題材とする私小説の道を愚直に邁進し、37歳の若さで世を去った人間の文芸にふれ、彼の血まみれのユーモアにときに笑いを誘われつつも何か寂しいような気が残った。

表題になっている2作はともに愛人との東京生活を描いたもの。ほかに「父となる日」「孤独」「足相撲」「曇り日」「牡丹雪」「不幸な夫婦」「秋立つまで」「途上」「神前結婚」「冬の午後」を収録。田舎の血縁と身近な人間の愛憎を残酷に描く「父となる日」や己のなかにある醜感情を冷静に見つめた「不幸な夫婦」などは人の心に関心のある読者には面白いのではないだろうか。
しかしわけてもすぐれているのは、晩年の「神前結婚」だろう。関係をもって8年目にして愛人を連れて元日に帰郷した語り手(=著者)が、両親や子どもと彼女を引き合わせ、郷社の神社に詣り、神前で女と両親が(暗黙のではあるが)親子の杯を交わすのを見届ける。子は愛人のことを「かあちゃん」と呼ぶ(妻はすでに実家に戻っていた)。このあと語り手はふたたび女を連れて東京へ戻るのだからこれは気休めにもならぬ、うわべだけの親交であったかもしれないが、その細い幸福感が、冬の陽射しを思わせる佳作であると思う。もしも太宰治なら甘く仕上げただろうこの短篇を、嘉村は己の罪の意識で黒く塗りつぶしてしまう。「罪」と「恥」に自覚的な作家だった。



4061976303業苦・崖の下 (講談社文芸文庫)
嘉村 礒多
講談社 1998-09

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