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zoom RSS 『考える人』 坪内祐三

<<   作成日時 : 2009/02/06 00:00   >>

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16人の作家、評論家の著作をひもとき、彼らの考えかたを読みとく評論集。

紹介されるのは、小林秀雄、田中小実昌、中野重治、武田百合子、唐木順三、神谷美恵子、長谷川四郎、森有正、深代惇郎、幸田文、植草甚一、吉田健一、色川武大、吉行淳之介、須賀敦子、福田恆存の16人。一言で考えるというが、考えるとはこうも多様で独特の営みであるのかと気づかされる。一人ひとりの考えかたを追いながら、著者自身も考えるかたちになる。そしてそれを読む読者も何かを考えるだろう。

たとえば小林秀雄の考えかたは。
小林秀雄は、実は、常に一つのことしか語りません。逆に言えば、その一つのことを執拗に、最晩年の大著『本居宣長』に至るまで、繰り返し語り続けて行きます。
つまり、賢しらを捨てて、物それ自身を見よ、事それ自身に出会え、言葉それ自身を識れ、そしてそれを体感しろということです。

このあとで「美を求める心」の有名な一節が引用される。
言葉は眼の邪魔になるものです。例へば、諸君が野原を歩いてゐて一輪の花の咲いてゐるのを見たとする。見ると、それは菫の花だとわかる。何だ、菫の花か、と思つた瞬間に、諸君はもう花の形も色も見るのを止めるでせう。諸君は心の中でお喋りをしたのです。菫の花といふ言葉が、諸君の心のうちに這入つて来れば、諸君は、もう眼を閉ぢるのです。

とはいえ、先行する知識や情報の一切を捨てて身ひとつで物それ自身を見ることなど、もはや「現代の賢しら」を身につけたわれわれにはできるはずもない。だから著者は上の一節を引用したあとこう述べる。
賢しらを捩伏せるためには、逆に、いや、賢しらを捩伏せるためにこそ、私たちには「知識」が必要なのです。

無垢と無知は違う。小林秀雄が述べているのは無垢であって(あるいは無心であるか)無知ではない。無垢になるために、無垢を知るために、捨て去るべき「知識」を集積し、それをわがものとして血肉化すること。小林秀雄の考えかたを通して学んだ著者の考えかたを通して読者はそれを学ぶだろう。

小林秀雄と吉田健一を除いては恥ずかしながらろくに著作を読んでいない人物ばかりだったから、著者の紹介を通じて彼らの考えかた、そして人となりを知り興味を喚起された人物は少なくない。とくに神谷美恵子。わたしにとっては大切な『自省録』の訳者である以上の人物ではなかったが、彼女の日記を通じて紹介されるその人柄の烈しさを知り、がぜん彼女について知りたくなった。『若き日の日記』のなかの、敗戦の日の記述をみよう。
正午、安田講堂に学生、職員集合、ラジオにて大詔を拝す。満堂ただ、すすり泣きあるのみ。一日中呆然とし、夕方に至り仕事にかかる。当直。昂奮のためか二時頃漸く就寝。久しぶりで十時過ぎても窓を開け放って勉強ができた。十二時頃、学生らしき者昂奮して、耳鼻科と整形外科の窓硝子四枚ぶち割る。諸所で暴動めいたことが起っているだろう。ニーチェ読了。

最後の一節に注目したい。著者も述べているが、敗戦の日にニーチェを読んでいた日本人は彼女一人ではなかっただろうか。引用しきれないが、彼女のなかにある猛烈な向上心と文学への憧れは、わたしがこれまでもっていたイメージの優等生的なものではなかった。もっと野蛮で、もっと荒々しく、遥かに眩しかった。読んでいて勇気が出てくるくらいに。

また武田百合子の凄さも知った。『富士日記』のなかの、愛犬ポコの死についてふれた箇所をみよう。
いつもより暑かったのだ。一時間ごとにトランクから出してやる休み時間までが待てなかったのだ。ポコは籠の蓋を頭で押しあけて首を出した。車が揺れるたびに、無理に押しあけられた蓋はバネのようにポコの首を締めつけた。ひっこめることが出来なかったんだねえ。小さな犬だからすぐ死んだんだ。薄赤い舌をほんのちょっと出して。水を一杯湛えたような黒いビー玉のような眼をあけたまま。よだれも流していない。不思議そうにものを視つめて首を傾げるときの顔つきをしていた。トランクを開けて犬を見たとき、私の頭の上の空が真青で。私はずっと忘れないだろうなあ。犬が死んでいるのをみつけたとき、空が真青で。

この引用部分を読んでいたら不意に涙がこみ上げてきて、読み終えてこうして文章をタイプしていたらまた目頭が熱くなってくる。こんなにも正確に感覚的な文章には滅多に出会えない。少なくとも泰淳の『富士』のなかにこんな凄みはなかった。

ほかにも、神谷美恵子の語学力は、兄でパスカル研究の世界的権威であった前田陽一以上であったこと(美恵子は英仏独語のほか古典ギリシア語も読めた)、吉田健一は小林秀雄に「はんちく」といわれていたこと(しかし晩年の『時間』の考察は小林の『本居宣長』のそれと重なる部分があるという)、そして須賀敦子のなかにある寂しみについての記述も忘れがたい。コンパクトな本で、一人ひとりに割かれるスペースは短いものの、そこからいくらでも広げていくことができる。いわゆるガイド的な本のよさはそこにある。


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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
こんにちは。小林秀雄氏の菫の花の話は知りませんでした。「美しい花がある。花の美しさというものは無い。」といったのは青山氏だと思い込んでいましたが小林氏であったのでしょうか。しかしこの心境になるにはかなりの鍛錬が必要な気がします。白洲正子さんを知り、最近話題の白洲次郎の生き方を知り、河上徹太郎、小林秀雄、青山氏、と偉大な方々を知ることとなりました。
こうして考えが広がっていく事はありがたいことだと思います。
又気づかせてください。では。
sato
2009/03/22 21:08

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