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zoom RSS 『独学の精神』 前田英樹

<<   作成日時 : 2009/02/12 00:00   >>

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今まで生きてきてわかったのは、真に自分の身になるのは実地で学んだ経験だけだということだ。

学ぶことをめぐるエッセイ。そもそも学ぶこと=学問はなんのためにするのか。自分のためだ。「この一身をよく生きさせるため」だ。出世や金儲けや、インテリ風を吹かせて他人を見下すためにするのではない。知識の総量は問題にならない。広さよりも深さを。浅薄で皮相な知識をいくらもっていても、それが事物や問題の本質に達していないのならその知識はむしろ邪魔になるだろう。狭い範囲でもいい、自ら覚えた経験が知識として体に沁みこんでいるものをこそ学問というべきだし、そういう自発的に問う/答えるという文脈でしか人は学ぶことはできない。そしてそうすることで「より良き生」へいたる道へ入ることができるだろう。きっとそうだろうと信じたい。しかし本質へと通じる道は長く、おそらくは命と同じくらいに長く、険しいものになるに違いない。

大学教員である著者は、昨今の大学教育のありかたに疑問を呈している。学力とは何であるのか。それは生きる力となるもの、学ぼうとする意思の強さにこそあるのではないか。しかしお上は各大学のカリキュラムが学生の卒業時にいかなる就職に有利になるかについて知りたがり、学力テストで大学間の優劣を競争させ、評価の範囲は今や国内に留まらず世界水準と比較されランク付けされる。受験勉強はほとんど暗号のようなものだから、社会人になって数年たてば学生時代に学んだことの大半はきれいに忘れている。学生のころは難しげな本を読んでいた人間が、30になるころには新聞と週刊誌しか読まなくなるとはよく聞く話だ。これでは学んだとはいえない。学ぶとは人が一生を通じてしつづける類のものであるから。彼がしたのは暗号の解読であって学問ではない。
近年、学生の「学力低下」がよくいわれるが、そもそも学力は測れるものではない。いや、測れるのは学力のごく一部だけだ、といったほうがより適切か。学問はスポーツではないのだから学力は数値化できるものではない。学ぼうという意思、己が学ぶものへの尊敬の念、そして課題を自ら発見し、問うことのできる目。これらをどうして測るのか。ある人にとってはある問いは一生をかけて答えを探求すべきものになるかもしれない。一生をかけても答えは出ないかもしれない。それでも問いを一身に背負って、留保のままで生きていける頑強で執拗な精神。これを測るテストなどあるのか。そこを勘違いすると、勉強は学生のときまででいいと思う人間になる。社会人になってから、本当の勉強がはじまるというのに。

本書の構成だが、前半は古典に学んだ古人たちの学ぶ姿勢から学ぶことの意味とあり方について考察し、後半は手仕事と農業に従事する人々の知恵に学びの本質を見出す。職人という語には敬意の響きが聞こえるが、テクノロジーの進歩によってそういった人たちの数はいよいよ少なくなってゆくのだろう。彼らや農業従事者が自然とともに生き、たえず変化する環境のなかで知恵を絞って生計を立てていることには同意するが、著者の礼賛のしかたはやや純真に過ぎるような気がしないでもない。親戚に農家がいるが、朝は暗いうちに起き、夜は遅くまで起きている。休日もない。そういう暮らしが心から余裕をなくしているように見えなくもない。外部の人の知見と思える。ルーチンワークのうちにも学ぶべきことはいくらでもあるし、都市生活者の生活が貧相だというのはあまりに安直ではないだろうか。ロマン主義的に過ぎる。

タイトルに独学とある。思うに学問とはすべからく独学になるのだ。独りで学ぶ。わたしにとっての問題を、誰かと共有して考えるということはできない。その逆もまた。一人ひとりが各々の問題を抱えて、それに答えを見出すべく問い続け、工夫し、どうにかこうにか日々を送っていく。送っていくうちに経験と知識が増し、環境も変化し、別の視点から観察できるようになれば、課題を新しいやり方で解決しようと試みる。その繰り返しのうちに、人の命はいつか尽きるだろう。けれどもこの独学とは、決して孤独であることを意味しない。古典にふれる者は今はいない著者と会話をしているのだ。プラトンやイエスや孔子といった最高の叡智と対話しながら人生を生きるのだ(読むことは学問の基礎だ)。人は独りで、しかし孤独ではなしに学ぶことができる。手軽な答えは手軽な解決しかもたらさない。手軽に解決できるような問題だけの人生なら、生きていてもつまらなそうだ。難儀なことは、ときに楽しい。

ほんとうに大事なことは、何ひとつ教えることができない。この自覚のないところに教育があるだろうか。学ぶということが成り立つだろうか。学ぶのは、この自分が学ぶのである。生まれてから死ぬまで、身ひとつで生きる自分が学ぶ。この身を通さないことは、何ひとつ、それこそ箸の持ち方ひとつからして覚えられない。体を使わない勉強だって、それとまったく同じである。この身がたったひとつであるように、私の心も、気持ちもただひとつのものだ。


4480064699独学の精神 (ちくま新書 769)
前田 英樹
筑摩書房 2009-02

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