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zoom RSS 『告別』 福永武彦

<<   作成日時 : 2009/03/03 00:00   >>

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福永武彦の特徴。紋切型のロマンチシズムとセンチメンタリズム。
だがそれがいい。

小説は、主人公の音楽評論家、上條慎吾の告別式の場面からはじまる。語り手の「私」はこの式に参列し、遺影を見上げ、亡くなった人を心中で偲ぶ。上條は大学教授でもあり、ヨーロッパの思想書の翻訳も手がけ、自らピアノを弾いて作曲家の真似事までする多才な人物だったが、彼自身はどれも中途半端な自分の才能に半ば絶望していた。
満たされない思いに囚われていた彼は、単身留学したドイツでマチルダという女性と知り合う。妻子ある身だと承知のうえで、マチルダは彼と恋人のような関係を結ぶ(この二人がどれほど親密であったのか、小説中では必ずしも明確には述べられない)。上條が帰国したのち、マチルダも彼を追って日本にやって来る。二人の関係は妻子の知るところとなり、彼らは別れを決意するが、この出来事にショックを受けた長女は自殺してしまう。愛する娘の死が上條に与えた打撃は大きかった。人生の抜け殻のようになってしまった彼は、体調不良をおして猛烈に仕事をしたすえに病に斃れる。

上條の行動はある意味ではエゴイスティックで、いい気なものにも見える。外国で出会ったマチルダはひたむきに彼を愛する女として描かれ、対照的に彼の妻はおとなしい(言葉を変えれば従順)、何を考えているのかわからない無表情な女として描かれる。上條は妻とのあいだにコミュニケーションをとることができず、それが孤独感を強め、家庭を息苦しくさせていた。外国を訪れた彼は解放感を感じただろうし、そこで魅力的な女に出会えば恋に落ちるだろうことは想像に難くない。福永武彦の扱う主題は固定化されており、愛、死、孤独、芸術と人生の問題というものだが、それにしてもしかし、夫婦の不和、コミュニケーションの不足が死に通じる孤独を招いてしまうという展開は、いかにもこの作家らしい。埴谷雄高は福永を「傍らに死がつきそっている芸術家」と評した。生涯を病とともに送ったことが、多く死を扱う彼の文学に濃く影を落としているのだろう。

ただ彼の扱う死は、それが自殺であれ、生からの逃避および人生に対する絶望といった陳腐なものではなく、遠い古里への帰還という意味合いを含んでいるように思われる。作家自身の言葉を借りると、
海は遠いもの、遥かなもの、懐かしいもの、そして神秘なものの一つの象徴的な形である。私は海を思うたびに妣(はは)の国という言葉を思い出す。妣という難しい字は死んだ母を意味するが、その言葉の指すところは母国というのとはいささか違う。妣の国はここにはない国であり、しかも我々の魂のなかに生き続けている懐かしい古里である。

生から離脱して、魂は原初の古里へ還る。福永にとっての死とはこのイメージで捉えられるものだったのではないか。小説の最後で、死にゆく上條は先に死んだ娘が彼を呼ぶ声を聞く。死後の世界で愛する者と再び会える。この観念が彼の文学の重要な主題だったのではないか。それはなんとやさしい夢であるだろう。

本書には記憶喪失の男と、彼と暮らす女の短篇「形見分け」を併収。


4061960849告別 (講談社文芸文庫)
福永 武彦
講談社 1990-06

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