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zoom RSS 『おぱらばん』 堀江敏幸

<<   作成日時 : 2009/03/12 00:00   >>

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肝心なのは文章、それだけなのだと教えてくれる。

著者が在住していたパリを主としてめぐる散文集。エッセイの結構をしているが、どこまでが本当にあったことでどこからが創作であるのか。そういった境界を探す野暮な真似はよして、言葉の流れに、文章に身を委ねればもうそれでいい。出来事と記憶をゆるやかに結んで読む者を意想外の地点に運ぶ著者の筆は、名人の域に達しているといっても過言ではないと思う。

文章を味わってその余韻に浸ればよいので、そういった書物について何を書けばよいのだろう。一編を取り上げてそのあらすじを紹介したところで無意味であるし(各編には筋がないわけではなくてむしろその逆なのだが)、文章を抜粋したところで本書に収録の文章は各編の流れのうちにあってこそ魅力的なので、川の水を掬ってこれが川だと説くような真似はしたくないししないほうがよいと思う。

パリの異邦人である著者が、その土地で出会った人々や遭遇した出来事について綴っていて、ここに創作がどれほど混じっているかについては興味がないとは最初に述べた。虚構ではない部分としては(現代ではマイナーな)作家や小説に関する記述がある。管理人は堀江氏の著作はろくに読んだことがないのだが、以前に読んだ『いつか王子駅で』というよい小説には島村利正の名が出てきた。本書ではラルボーやシムノン、ルルーといったフランスの作家たちの名が出てくる。ラルボーは著者の愛する作家らしく、彼が自らを例えて友人たちへの絵葉書にイラストを添えていたというパリ植物園の河馬をめぐる「留守番電話の詩人」、「音」を鍵言葉に自身の祖父とシムノンの小説を重ねて綴る「音の環」、そしてルルーの同名の小説同様にちょっとした推理小説的(?)な「黄色い部屋の謎」などは、読書が好きな人間としては楽しく読んだ。21世紀の今なお現代的なテクストとして読まれる巨きな作家たちの作品もよいが、時代からいつしか忘れ去られ、埋もれかけ、一部のファンにのみ大事に愛されている小さな作家たち(この表現はもちろん比喩だ)について知りたいという気持は強い。前衛性だの実験だのといった新奇な知的意匠から離れたところで書かれた小説が、いまの管理人には好ましく思える。本書のなかであんまり魅力的に紹介されているから、シムノンの『ビセートルの環』をネットで購入してしまった。

われわれが本当に愛することができるのは小さなものだけだ、と松浦寿輝氏はエッセイで述べていた。むろんこの大きさの概念は各人によって異なり、人によってはカフカやドストエフスキーを胸ポケットに入れてしまう人もいるのだろう。管理人には無理な話だが。現代でも多数の愛読者をもつ巨きな作家たちは仰ぎ見るだけで愛しはできない。『選ばれた女』や『アレクサンドリア四重奏』には腹の底から感服したが、これらの小説にも愛を覚えない。管理人が愛する小説は、たとえばトゥルゲーネフの『初恋』、ネルヴァルの「シルヴィ」、ギッシングの『ヘンリ・ライクロフト』、グレーアムの『たのしい川べ』、小山清の「落穂拾い」だ。控えめに可憐に咲く野辺の花に似た小説をこそ、管理人は深く愛している。推測になるが、堀江氏の感性にもそういう部分があるのではないか。そして、忘れられた小説を忘れられたままにしておけない一部の人間にとって、氏の著作はよきガイドとなってくれるだろう。



4101294747おぱらばん (新潮文庫)
堀江 敏幸
新潮社 2009-02

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
こんにちは。僕も最近、『ビセートルの環』を読みました。乱暴に言ってしまうと、シムノン小説のテーマはどれも同じなのですが、その中でも『ビセートル』は(『猫』と同様)作家の技が最も冴えた作品だなあ、と感じました。

proust+
URL
2009/03/20 21:58
>proust+さん

こんばんは。届きはしたもののまだ読んでいないのでわからないのですが、『ビセートルの環』は回想される人生の物語なのでしょうか。だとしたらとてもわたし好みです。
epi
2009/03/22 00:45

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