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zoom RSS 『白夜』 ドストエフスキー

<<   作成日時 : 2009/03/14 00:00   >>

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巨きな作家の手になる小さな物語。

ペテルブルグに住む、空想家の貧しい青年は、散歩の途中に立ち寄った運河のほとりで一人の少女と出会う。彼女の名前はナースチェンカ。一年前にある男に愛を告白したが、事情があって男は当地を離れてしまい、もしお互いの気持が変わっていなければ一年後にここで会おうという約束を信じて、彼の来るのを待っていたのだ。すでに彼はペテルブルグに帰ってきているのに、なぜかここに来てくれないのだと彼女は落胆しきって青年にこぼす。自らのうちに引きこもりがちな性向で、恋人はおろか友人すら一人もいない青年は健気な彼女に惹かれるのを自覚しながら、生来の人のよさを発揮してなんとかナースチェンカの力になろうとする。

小説は四晩にわたる。白夜のペテルブルグの片隅、寒そうな運河のほとりの淡い恋の物語。トゥルゲーネフなら欄干を濡らす月光のように叙情的な小説に仕上げるのだろうが、ドストエフスキーは違う。人生の壮年期まで女で苦労しながら女のことがわかっているのかいないのかよくわからないこの作家が恋を扱うと妙な展開になる。青年の愛は対象である女を超えて、自己犠牲的な人類愛のレベルにまで達してしまい、そのために女は彼が自分に寄せる想いに気付かず、彼を「よいお友達」であると思い込み、思い込んだのみならず当人にそう告げて相手を傷つけてしまう。恋愛感情が嵩じて人類愛にまで達してしまうパターンは『虐げられた人びと』の場合と酷似している。どちらもメロドラマだ。そしてどちらの小説にも、主人公が女に寄せる想いは受け入れられることなく、愛の不可能に直面した相手から「わたしが好きなのがあの人ではなくてあなただったら!」という、優しいようで、実際には残酷な嘆声を浴びせられる羽目になる。

さきに恋の物語と書いた。が、今回再読してみて、青年とナースチェンカとの心の交流よりも、前半部分でえんえんと空想家である自らの内面を吐露する青年の語りが気味悪いほど印象に残った。自身のうちにこもっていた人間が外部の人間と接触をもった際に見せるおぼろげな狂気。はたして本当にこの青年はナースチェンカを愛していたのだろうか。「悲嘆にくれる少女」というイメージを愛したのではなかったか。ハートという語が頻出するが、心臓に通う血の熱さがまるで感じられないのは、白夜のペテルブルグが舞台だからという理由では決してないだろう。

ドストエフスキーの空想家は、キモチワルイ(アスカ・ラングレー風に)。


4042087027白夜 (角川文庫クラシックス)
小沼 文彦
角川書店 1958-04

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