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zoom RSS 『蛍・納屋を焼く・その他の短編』 村上春樹

<<   作成日時 : 2009/03/16 00:00   >>

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ぜんぶで7編の短編を収録。

表題作のひとつである「蛍」はいかにも村上春樹的な(ろくに読んでいないのだが)、愛と孤独、喪失感とその先に見える微かな希望といったモチーフが主旋律の、ドライでありながら感傷的な一編。万人受けはするだろうけれども感心はしない。それよりも、もうひとつの表題作である「納屋を焼く」のほうがはるかに完成度は高いだろう。

ときどきそういう気分になると納屋を焼きに行く、という男が登場する。もちろん他人の納屋だ。ただし農機具がたくさん入っている、所有者が利用しているような納屋は狙わない。もはや見捨てられ、あってもなくても誰も気にしない納屋だけを狙っているのだという。そんなものが燃えたところで誰も何とも思わないだろうから、というわけだ。語り手はこの男の話を聞いているうちに、納屋を燃やそうと思っているのは彼ではなくて自分ではないのかという不安に襲われる。ここで用いられている納屋を焼くという行為は悪や暴力の問題であって、いてもいなくてもどうでもよい存在であるのなら殺しても構わないだろうと述べているように、管理人には思える。そう主張する男の狂気というか意識が語り手に伝染して(悪や暴力の空気は容易に伝染する)彼は自らのうちにある暴力的な欲求に気づくことになる。

うろ覚えなので間違っているかもしれないが、以前に読売新聞の文芸欄で、村上氏が『ねじまき鳥クロニクル』で読売文学賞を受賞した際、会場にいた小島信夫が、村上春樹氏はこの世界の暴力を一身に背負おうとしていると呟いた、という記事を読んだ記憶がある。悪や暴力の問題は、性や自意識よりもはるかに切実な、現代の文学が扱わねばならない喫緊の問題ではないだろうか。そしてその問題は弱い側、搾取される側に寄り添ったかたちで書かれねばならない。最近の氏の発言を借りれば「卵の側」にあくまで立って。強い側は弱くなれるが弱い側は強くなれないからだ。代表作のひとつである『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』では搾取される第三世界の問題が扱われていたのを思い出す。

村上氏の特徴は、全編を通じて乾いていながらときどき叙情に濡れるところにあると勝手に思っている。


4101001332螢・納屋を焼く・その他の短編 (新潮文庫)
村上 春樹
新潮社 1987-09

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