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zoom RSS 『多読術』 松岡正剛

<<   作成日時 : 2009/04/24 00:00   >>

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無類の読書家である松岡氏による読書の方法論をインタビュー形式で紹介する。

サイト「千夜千冊」を見ると、とにかくその読書量と該博な知識に圧倒される。松岡氏は、読書は情報の編集だと自らの読書論を端的に述べている。なるほど、「千夜千冊」では一冊の本の紹介にも関連書物がピックアップされている。読者が、本のなかから読んだ情報をべつの書物と、あるいは知識やあるいは記憶と結びつけ、整理して、解釈する。たしかに本を読んでいて連想することはたびたびある。そしてこの連想という人間的な行為は、データベース化したコンピュータには不可能な行為であって、この先どれほど社会のデジタル化が進んだとしても、読書することには人間の知の可能性が変わらず開かれている。

以下に松岡氏の方法論の一部を、管理人の意見も交えつつ、つまり編集して取り上げる。

●読書はどんな本をどんな読み方をしてもいい
わざわざいわれるまでもないことだが。スキルアップのために読むのも、食材のように楽しむのも、ファッションのように着替えるのも、そのどれもが「読書する」ことだ。べつの本のなかで松岡氏は、その日その時の気分によって読みたい本は違ってくるのだからという理由から数冊の併読を勧めていた。肝心なのは、普段から活字に親しんでいること。「寝転がって読む」「風呂場で読む」「煙草を吸いながら読む」など体に馴染んだ読書スタイルがあるのなら、それは大事にする。

●まず目次を読む
目次を読んで書かれているだろう内容をまず想像してみる。本文の前にこうしておくことで、実際に1頁目を読み始めるときには「自分と本とのあいだに柔らかい感触構造のようなものが立ち上がる」。あるいは「知のマップ」のようなものが。目次から想像していたことが実際に読んだときに想像どおりか、違っていたかを計ることで、本と自分との距離感を掴める。なぜ距離感が問題になるのか。それは「読書とは他者との交際」だからだ。これはいわば読書の「前戯」。

●どんどん読む
「いい本」(良書)だの、「自分に合った本」だのを「理解する」「自分のペースで読む」のを勧める一般的な読書論は一見良識的だが、そもそもそれができないから本を読めない人がいる。そうではなくむしろどんどん色々な本を読んで、その過程で自分に合う本や、自分の読書ペースを発見していくようにしたほうがいい。相性の問題は読書の世界にもむろんあって、とくに小説にはその傾向が強い。フォークナーは偉大な作家で、革新的な小説を書いているけれども、管理人は好きではない。読むとストレスが溜まる。読書でストレスが溜まるとどうなるか。『シャイニング』のジャック・ニコルソンのように頭がおかしくなってしまう、とは四方田犬彦氏の言葉。ただし、「嫌いだ」といって対象をシャットダウンしてしまうのは勿体無いと思っていて、人間は生きている限り変わり続けているのだから(食べ物の好悪なんて年齢によっていくらでも変転する)「嫌いだ」という感性は保ちつつも、対象への関心は残しておくよう心がけている。読書は「他者との交際」なのだから、「この作家はもう読まない」と決めてしまうのは「この人とはもう口をきかない」というのと同じで、大人気なく思える。「この作家は嫌いだ」というとき、もしかしたらその作家あるいはその本のほうでもあなたを嫌っているのかもしれないのだ。

●本にマーキングする
本はノートだ。メモするようにマーキングすると、読みに集中できるのと、再読するときスピードが上がる。また、マーキングした当時の記憶を思い出すよすがともなる。べつの本で松岡氏は、読んでいるときの場所や時間、連想したことなどのマーキングも勧めていたが、これなどはまさに情報の記入だろう。ただしこれは蔵書でないと無理だし、本を汚したくない人間にはできないだろう。管理人も以前にしていたが、再読したときにはピンとこない箇所にアンダーラインが引いてあったり、見当違いなことが欄外に書いてあったりして、その読みの甘さに一人赤面したことがあって、そのため再読のスピードは下がる一方だし、買い直そうと思ったら品切れになっていたりで(昨今の出版状況ではありがちな話だ)、以来マーキングはしなくなった。代わりに付箋を使うようになった。当初は「感心した箇所」「そうは思わない箇所」など項目別に付箋の色分けをしていたが、面倒になってすぐに止してしまった。付箋の色をいちいち気にしていては読みに集中できない。

●書物は書棚とワンセット
CDやDVDに再生機があるように、本棚は書物の再生機。本を本棚に並べていくと、自分なりの世界観がわかるだろう。それはその人の「知の配当図」だ。人の本棚を見れば、その人の内面の見取り図になるだろう。

●「いい本」にめぐり合う打率は3割5分くらい
「いい本」の定義は人それぞれだろうけれど。打率を上げるために「駄本」を捨てるようにすべきかというとそれは違って、野球で例えるなら三振したり見送ったりという打席も重要になる。野球に詳しくない人のために付け足すと、3割5分という数字は、首位打者を争えるレベル。


まとめてしまえば読書とは、書いた人間と読む人間とのコラボレーションであって、読書とは自己編集であってかつ相互編集なのだ、と松岡氏は言う。編集は、読者の過去の蓄積を背景にするから各人によって異なる仕上がりになるだろう。『デス博士の島その他の物語』の記事に、小説のテクストはひとつだが物語は読者の数だけある、ということを書いたが、松岡氏と同じようなことを考えていたわけだ。編集は情報量を必要とする。ある著者の本とべつの著者の本を結ぶこと、ある著者の本と同じ著者のべつの本を結ぶこと、その本と自分の体験を結ぶことなどなど、編集方法はいくらでもある。


ところでタイトルの『多読術』に思うのだが、たくさんの本を読みたいと思う人がそんなにいるのだろうか。管理人は子どものころからわりと本を読むほうで、だからこんなブログを3年近くも続けているわけだが、たぶんこのブログをはじめたころからこんにちにいたるまで、たくさんの本を読みたいという欲望はもったことがない。読みたい本はたくさんある。たくさんあって困るほどだ。けれどもたくさんの本を読みたい、と思ったことはない。これは言葉遊びをしているのではなくて、実感としてそうだ。漠然とたくさんの本を読みたいと思っている人は、とにかくまずは手近な1冊を読むことからはじめるしかないだろう。自分なりの読書スタイルがある人は、松岡氏の方法論を参考にしつつ、独自に編集して、よいと思ったところだけ取り入れればよいのではないだろうか。ことがアマチュアのレベルに属する限りは、この程度のゆるさのほうが遊ぶ余地があっていい。

とはいえ結局は好きなように好きなものを読むのがいちばん、という結論になってしまうのだが。


4480688072多読術 (ちくまプリマー新書)
松岡正剛
筑摩書房 2009-04-08

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記事でふれた「べつの本」というのはこれ。
4763007211ちょっと本気な千夜千冊虎の巻―読書術免許皆伝
松岡 正剛
求龍堂 2007-06

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