epi の十年千冊。

アクセスカウンタ

zoom RSS 『シベリア抑留とは何だったのか』 畑谷史代

<<   作成日時 : 2009/04/16 00:00   >>

トラックバック 0 / コメント 1

石原吉郎を軸に、シベリア抑留者たちの戦後を追う。

第二次世界大戦終結後、50万人の日本人がソ連各地の強制収容所(ラーゲリ)に送られ、強制労働に従事させられた。ラーゲリでの死亡者は数百万人といわれるが、犠牲者についての正確な統計は存在しない。抑留された人々は粗末な食事で命をつなぎ、つなぎきれなかった者は次々と栄養失調で斃れていった。食うものがなく、自らの大便を食ったり、金歯と黒パンを交換した者もいた。ソ連は、日本人の抑留者をソ連支持者に再教育する「民主運動」を行っており、帰国が早まるからという理由でこれを受け、生き延びたのち帰国した彼らは、東西冷戦下の政治状況ゆえに「アカ」とされ、警察の尾行や監視を受けたという。「シベリア帰り」は敵視され、就職もままならなかった。祖国のために戦った人々を、当時の日本政府は見捨てたのだ。
石原は「戦争犯罪人」として25年の刑を受け、特に厳しいラーゲリへ送られた。そのとき彼の胸中にあったのは、誰かが背負わされる戦争の責任を自分が背負ったのだ、という思いだった。このことを祖国の人たちは理解してくれるだろう、そういう安心感があった。けれど、1953年、スターリンの死による特赦によって帰国した彼を待っていたのは、「シベリア帰り」というレッテルによって就職の門戸を閉ざす祖国だった。

1954年、石原吉郎の投稿した詩が『文章倶楽部』(現在の『現代詩手帖』の前身)に特選として掲載される。1963年に詩集を出版し、翌年第14回H氏賞を受賞。しかし彼が抑留者としての過去を、(肉親に宛てた手紙という微妙なかたちで)世間に公表するのはさらに先の1967年になる。それまで、石原は直接にシベリアについて書かなかった。この手紙が公表されたことが、結果的に、石原がシベリアについて書く、生涯の転換点となった。以降、この問題を深く追求し続け、それは酒浸りになり生活が荒廃するほどの内省を彼に強いる。夫人は精神に変調をきたした。

当事者だった石原がシベリアで見た人間の本性。極限状況で、自らが生き延びるためには平然と他人を蹴落とす浅ましい姿。密告の横行。そう、ラーゲリでは日本人同士で密告が横行していた。生前の石原と親しかったある人によると、彼(石原)の話にはとても筆にできなかったこともあるという。8年間の抑留生活を送った石原自身にも、密告者としての過去があったのか。彼はとうとうそのことだけは書かずに世を去ってしまう。

ベトナム反戦運動が高まり、反戦平和運動が大きなうねりとなっていた1960年代の末、石原はこう発言している。
「私は広島について、どのような発言をする意志ももたない」
「それは、私が広島の目撃者でないというただ一つの理由からである」
その三年後、彼はさらに踏み込んで、広島の平和運動に対する違和感を表明する。
「私は、広島告発の背後に、「一人や二人が死んだのではない。それも一瞬のうちに」という発想があることに、つよい反撥と危惧をもつ。一人や二人ならいいのか。時間をかけて死んだ者はかまわないというのか。戦争が私たちをすこしでも真実へ近づけたのは、このような計量的発想から私たちがかろうじて抜け出したことにおいてではなかったのか」
「私たちがいましなければならないただひとつのこと、それは大量殺戮のなかのひとりの死者を掘りおこすことである」
集団のなかの確認されない死を死んだ数多くの名もなき人々。一万人の死は一人ひとりが一万集合しているという当然の認識を奪い去る計量的発想からの脱却をわれわれに促すすぐれた仕事のひとつに、石内都氏の写真集『ひろしま』がたとえばあるだろう。
死をめぐる石原の発言を呼んでいると、死と隣り合わせの生を生きた者のみが記すことのできる言葉があるのだと知る。

『石原吉郎詩文集』で、1956年以降のノートの一部を読むことができる。ここから聞こえるのは、自らを厳しく律して誠実に生きようともがく人間の痛切な叫び声だ。感動で、付箋を貼る指先が震える。

「死を<背後>にするとき/生ははじめて私にはじまる」と石原吉郎は詩に書いた。数ヶ月に一晩、自分は死ぬのかと考えてその想像のつかなさに慄然とし、眠れなくなる。「太陽も死も、見つめ続けることはできない」とあるフランス人は書いたが、見つめていないがために、見たときに恐怖を感じるのだろう。そういう夜に脳裏に浮ぶ石原の詩がある。不思議と心が落ち着く一編だ。

世界がほろびる日に
かぜをひくな
ビールスに気をつけろ
ベランダに
ふとんを干しておけ
ガスの元栓を忘れるな
電気釜は
八時に仕掛けておけ

「世界がほろびる日に」


西脇順三郎、萩原朔太郎の二人と並んで、石原吉郎も好きな詩人の一人である。


4005006183シベリア抑留とは何だったのか―詩人・石原吉郎のみちのり (岩波ジュニア新書)
畑谷 史代
岩波書店 2009-03

by G-Tools


石原のノートの凄みは、マルクス・アウレリウスの『自省録』と通じるものがある。
4061984098石原吉郎詩文集 (講談社文芸文庫)
石原 吉郎
講談社 2005-06

by G-Tools

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
私の父は抑留者です。85才になります。小学校しかでていない農村の若者が当時、どのように抑留生活をしのいで帰国したのか。この年になって、興味を持つようになりました。思想教育の影響をまったく受けないで帰国したのは、どうしてなのか。いずれ、まとめて調べてみたいと思っています。
記事は大変参考になりました。
k.s.s.a
URL
2009/07/04 03:40

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
『シベリア抑留とは何だったのか』 畑谷史代 epi の十年千冊。/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる