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zoom RSS 『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』 フィリップ・K・ディック

<<   作成日時 : 2009/05/03 00:00   >>

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虚と実、そして生命についての物語。

最終戦争によって荒廃し、放射能によって汚染された未来の地球では、大多数の人々は火星に移住している。放射能を浴びたために身体機能を損傷したか(彼らを「特殊者」と呼ぶ)、故郷への愛着に縛られた一部の人間だけが、変わらず地球に留まっていた。
いまでは希少となった、生きた動物を飼っていることが地球ではステータスとされている。主人公のデッカードは、かつては生きた羊を飼っていたが亡くしてしまい、いまは人工の電気羊で我慢している。彼の職業は警察所属の賞金稼ぎ。火星から逃亡してくる危険なアンドロイドを狩って生計を立てている。

人間に仕える奴隷的存在として発明されたのち、改良を重ね、いまや人間に匹敵する頭脳と身体能力を備えるようになった新型のネクサス6型アンドロイド。8体のこのアンドロイドを追ううちに、デッカードは真実と虚構、生命とは何かという問題と向き合わざるを得なくなる。

人間とアンドロイドを区別するもの。著者はそれを感情移入の能力に見出す。人間は生命に対して共感する能力を生まれながらに備えている。アンドロイドにはそれがない。しかし、人間そっくりの外見をし、知性を有するアンドロイドを、アンドロイドだからという理由で破壊し続けるという陰惨な展開には皮肉な意図も垣間見える。アンドロイドのうちには人間社会に紛れ込み、すぐれたオペラ歌手として通っている者もいる。機械とはいえ、彼女の歌声は人の心を打たずにおかない。それでも、デッカードは彼女を狩らねばならない。本物の動物を買うために、高額の報奨金が要るのだ。

一部のアンドロイドは、自らがアンドロイドだという事実を知らない。彼らは偽の記憶を植えつけられ、自分を人間だと思っている。われわれ人間は記憶によって自らを定義づけている。過去の蓄積が彼を彼たらしめている。しかしこれらすべてが、プログラムに過ぎないとしたら? 哲学者のラッセルが提出した「世界五分前仮説」というのがある。世界は、いまあるかたちで五分前に作られたのではないかという問いは論理的に否定できない。人間も同じだ。自分が五分前に、いまもっている(と自分が思い込んでいる)すべての記憶を保有して五分前に作られていてもそれはわからない。赤い血をもっている、痛みを感じる、そんな生物としての構造や感覚も、すべてそう見え、そう感じるようプログラムされているだけだとしたら。こんな恐ろしい疑惑があるだろうか。ずっと考え続けていたら発狂してしまうだろう疑惑だ。しかしこの問いは新しいものではない。すでに荘子には胡蝶夢という説話がある。男が蝶の夢を見て、目が覚めたのちに、あれは夢だったのか、それとも蝶の自分が人間となったいまの夢を見ているのか、と問うもので、これも虚と実の問題だ。

小説は実にスリリングに展開する。わけても、デッカードが自らに疑惑を抱くようになる場面は手が込んでいて息を呑む。何が虚構で何が真実なのか。未来の地球で圧倒的勢力を誇る新興宗教、人々が支持するこれすら虚構だった。人工の動物、共感ボックスといった小道具の一切が、小説の主題である虚と実を描くために徹底して効果的に使われる。初読のときは退屈に思えたのに、再読してこんなに豊かな小説だったのかと驚いている。


4150102295アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))
カバーデザイン:土井宏明(ポジトロン) 浅倉久志
早川書房 1977-03-01

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
リドリー・スコットの出世作「ブレード・ランナー」の原作でもありますね。
「ブレード・ランナー」は、私が大好きな映画です。
Lydwine.
2009/05/03 18:52

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