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zoom RSS 『誘拐』 本田靖春

<<   作成日時 : 2009/05/22 00:00   >>

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1963年に起きた、幼児誘拐殺人事件「吉展ちゃん事件」に迫ったノンフィクション。

時は高度経済成長のまっただなか。東京オリンピック開幕を翌年に控えたその年に、台東区で当時4歳の吉展ちゃんが行方不明になる。警察が通報を受けて数日後に、犯人と思われる男から被害者宅に、吉展ちゃんと引き換えに現金50万円を要求する脅迫電話がかかってくる。すでに被害者宅には警察が待機しており、身代金引渡しの際には彼らも同行するのだが、初歩的なミスのために犯人を取り逃し、身代金も奪われてしまう。吉展ちゃんは帰ってこなかった。警察の犯したとくに大きなミスは二点。身代金には現金を用いたのだが、紙幣のナンバーを控えるのを忘れていたこと。身代金引渡しに向かった家族が自動車で目的地まで向かったのに、警察は近距離だからと徒歩で向かったため、家族より現場到着が遅れたこと。この拙い初動捜査が後々までたたり、以後二年間にわたって警察は事件を解決できなくなる。

この事件が当時の社会に与えた衝撃は大きく、マスメディアは大々的にこの事件を取り上げた。被害者宅には全国から励ましの手紙や電話が寄せられた。一方で、悪質な悪戯電話や手紙、他人の中傷目的の犯人でっちあげの偽情報なども多数寄せられ、人間の抱える業のようなものにも家族は直面することになる。

事件発生当初から犯人と疑われてきたのは、時計職人の小原保だった。彼は福島の貧しい家庭に生まれ、幼いころにあかぎれがもとで骨髄炎を患い、手術の後遺症で片足が不自由になる。学歴もなく、体が不自由であっては職業の選択肢はおのずと狭まる。座って仕事ができる時計職人ならば勤まるだろうと思って、親は息子をその道へ進ませたのだった。
小原の家には暗い影が落ちていた。一族のなかには、癲癇を患った者や、子を道連れに農薬をあおった者がいた。あの家には悪い血が流れていると近隣の住民たちは陰でこそこそ噂しあった。閉鎖的な村社会の陰険さと悪意には底がみえない。

小原は二度の事情聴取の末にシロと断定されていた。犯人が被害者宅にかけた電話の録音テープの声と彼の声はよく似ていたが、アリバイがあったことと、足の不自由な人間が単独で幼児誘拐ができるはずはない、というのが警察の判断だった。
しかし事件発生から二年が経過し、迷宮入りの雰囲気が濃厚になってくると、どうしても初動捜査の拙さが目立ってくる。マスメディアや国民から非難されることになる。警察は捜査員を入れ替えるという背水の陣を敷いて、最後の賭けに出る。捜査員のなかでも腕利きの刑事平塚は、三たび小原を犯人として捜査線上に戻し、地道な聞き込みのすえに二年前の彼のアリバイを崩すのに成功、ようやく小原を「落とす」。

小原はほうぼうから借金を重ねており、その返済資金に困って幼児誘拐を思いつき、公園で遊んでいた吉展ちゃんに声をかけて連れ出したのだった。警察は知らなかったのだが、吉展ちゃんは誘拐されて間もなく小原によって絞殺されていた。彼の自供のとおり、三ノ輪橋に近い寺の墓地から、被害者の白骨化した遺体が発見される。裁判で小原は死刑を宣告され、弁護側の控訴は棄却され、1971年に死刑が執行された。享年38歳だった。


戦後、驚異的な経済復興を遂げつつあった当時の日本。東京オリンピックは新しい時代の輝かしい象徴のようなものであっただろう。しかしその陰には、都市の最下層で貧困のために暮らす底辺労働者たちの姿もあった。福島から上野駅に降り立った小原も、体にハンディを抱え、学歴も、金もない、その日暮らしを続けていくだけの社会的弱者の一人だった。
幼児誘拐殺人は、もっとも非道な犯罪のひとつであるだろう。鬼畜のなすことだ。けれども著者は、悪漢としてのみ小原を描くことをしない。彼には彼の背負った暗い血があった。暗い過去があった。東京という大都市が、彼の目にはどのように映っていたのだろう。地方に下の子として生まれた者たちが、何のあてがあるわけでもないのに、吹き寄せられるように集まってくる都市、東京。煌々と夜を照らす灯りが明るければ明るいほど、それが闇の深さを隠そうとしているもののようにも思えてくる。


4480421548誘拐 (ちくま文庫)
本田 靖春
筑摩書房 2005-10-05

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