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zoom RSS 『忘却の河』 福永武彦

<<   作成日時 : 2009/06/06 00:00   >>

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孤独と愛、そして死という主題を、ある家族に託して追求する。

ぜんぶで7章から小説は成っている。
若いころ、やむにやまれぬ事情から愛する女を死なせてしまい、以後、自分が生きていることは罪ではないかという思いに縛られ続けている、初老の会社社長の藤代。
冷淡な夫に失望し、愛のない結婚生活を続けたのち、今は寝たきりになっている藤代の妻。
母親の介護に追われて婚期を逃しかけ、妻子ある男にひそかに惹かれている長女。
自らの出生に暗い疑惑を抱き、両親のようにはなりたくないと愛情を求めて得られない次女。
彼らが各章ごとの主人公として入れ替わり、それぞれの内面を読者に提示し、やがてひとつの物語が完成するという構成になっている。

長らく絶版だったが、2年前に復刊、まずは容易にこの作品が入手できるようになったのを寿ぎたい。管理人にとっては、福永武彦という作家が特別な作家となった、思い入れのある一冊でもある。40年前の小説であるから、登場人物たちを取り巻く環境は現在とは大きく異なるし(アプレなんて言葉が出てくるのに時代を感じる)、言葉は悪いが彼らが愛をもとめてさまようさまは青臭く思えなくもない。けれども、真摯に悩み、その果てに各人に救済がもたらされるこの小説は、時代の壁を越えていまなお多くの、とくに人間のこころの問題に関心のある読者の胸を打つのではないだろうか。

全編を通じて、藤代が、かつて愛した女を死なせたという罪悪感から解放される経過が骨格となっている。彼のその罪の意識が彼の生涯に影を落とし、それが妻を不安にさせ、夫婦の冷ややかな関係が二人の娘たちに息苦しい思いをさせていたのだから、彼の魂が息を吹き返すことは藤代家の人びとにとって大きな意味がある。それが遅きに失したとしても。
藤代が死なせた女の呪縛から解放されるのは、タイトルから連想される忘却によってではない。そうではなくて逆に、彼女の思い出を決して忘れないと誓うことで、ようやく、30年間自分を苦しめてきた罪の意識から自由になる。死者の記憶を引き受けることは生き続ける者にとっての義務であるだろう。人は、肉体の死を経たとき一度目の死を迎え、彼について思い出す者がいなくなったとき二度目の、決定的な死を迎える。福永は『草の花』でそう述べている。藤代の「僕は決して忘れない」という誓いは、女を二度は死なせないという強い気持のあらわれだった。
このとき、女の亡霊が現れ、彼に語りかけるだろう。
「みんな不幸なのね。みんな可哀想なのね」と。
人はみな、死すべき運命を背負わされた有限の存在だ。人はみな、かなしみの子だ。ゆえにみなが愛を求める。孤独であるがゆえに愛し、愛するがゆえに孤独に陥る、この自家撞着。けれども、このかなしみの環のなかにあってもがく姿にこそ、人間の高貴さのようなものを、管理人は見出している。

4101115028忘却の河 (新潮文庫)
福永 武彦
新潮社 2007-08

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