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zoom RSS 『人間・この劇的なるもの』 福田恆存

<<   作成日時 : 2009/06/19 00:00   >>

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生きることはある役割を演じること。

著者は述べる。
「程度の差こそあれ、だれでもが、なにかの役割を演じたがっている。また演じてもいる。ただそれを意識していないだけだ。そういえば、多くのひとは反撥を感じるであろう。芝居がかった行為に対する反感、そういう感情はたしかに存在する。ひとびとはそこに虚偽を見る。だが、理由はかんたんだ。一口にいえば、芝居がへたなのである」。
人はみなが、何らかの役割をその場その場に応じて演じている。家族の一員、会社の一員、友人、恋人、男性/女性…。他者との関係のうちに自身を置く場を読み、それに応じて演技する場合があり、自らの欲望のままに演技する場合もある。主に前者は公的な場で、後者は私的な場で。取引先に応じて応対は変わるだろうし、性格の異なる友人に応じても応対は変わるだろう。そのときどきに応じてわれわれは自分を作り変えている。すなわち演じている。われわれはついに一生を通して一貫性をもった存在ではありえない。軟体生物のように流動しながら、不安定に自らをかたちづくっている。

著者は述べる。
「個性などというものを信じてはいけない。もしそんなものがあるとすれば、それは自分が演じたい役割ということにすぎぬ。他はいっさい生理的なものだ。右手が長いとか、腰の関節が発達しているとか、鼻がきくとか、そういうことである」。
他人からどう見られたいか、この自我の問題がわれわれの生に大きく関わっている。だれだって、できるならば他人からはよく見られたい。よく見られて快い気分で生きていたい。そのために、そう見られるよう演技する。人は生き、ただ生きるだけではなくそれを味わおうとする。人は二重に生きているのだ。役者が、舞台のうえでそうするように。

著者は述べる。
「真の意味における自由とは、全体のなかにあって、適切な位置を占める能力のことである。全体を否定する個性に自由はない」。
この「適切な位置を占める」ために、われわれは演技をしながら生きている。「空気を読め」的なのとは異なった意味において。現代には「キャラ」という便利な言葉があるわけだが。

上記の内容を体現している人物として、福田氏はハムレットを挙げて論じる。なるほど彼は王位を奪われた後継者であり、復讐者であり、恋人であり、友人であり、悲劇を生きる者だ。彼は場面に応じて異なる相貌を見せる。
本書は、このハムレットをはじめとするシェイクスピア論を内包する人間論。解説で坪内祐三氏は「いまの若者たちにますます必要な人生の書、恋愛の書だと思う」と述べているが、若者ではなくても読めば刺激を受ける。世界は一個の巨大な劇場だと述べた人間がいた。その劇場で生きる役者の一人ひとりがつかの間のともし火に過ぎない。本書の末部では生死の問題について述べられる。


4101216029人間・この劇的なるもの (新潮文庫)
福田 恆存
新潮社 2008-01

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