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zoom RSS 『イエメンで鮭釣りを』 ポール・トーディ

<<   作成日時 : 2009/07/02 00:00   >>

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砂漠の国、イエメンの川を遡る鮭を釣ろうという奇想天外な物語。

イエメンの大富豪、シャイフ・ムハンマドは熱心な釣り師で、彼はイギリスの鮭を導入して母国で鮭釣りをできるようにしようと突拍子もないことを思いつく。シャイフの要請を受けた不動産会社の優秀なマネージャー、ハリエットは国立水産研究所の水産学者アルフレッド博士に協力を求める。あまりに現実離れした依頼にアルフレッドは取り合わないが、このプロジェクトが政治的に利用できると判断した政府からの圧力があって、引き受けざるをえなくなる。
乗り越えなければならない難題はいくつもある。イエメンの川の水温の問題、鮭が回遊するルートの確保の問題、雨季が終わったあとに干上がってしまう川の問題、輸出する鮭の確保の問題……山積するこれらの難題を、アルフレッドは粘り強く解決していく。一年をかけてすべての手筈を整え、「イエメン鮭プロジェクト」は完成する。その完成日、イエメンのワディ・アラインには、報道陣に囲まれてシャイフとイギリス首相が釣り竿をもって並んでいた。世間にときに嘲笑され、ときに呆れられたプロジェクトはやがて、予想外であり、予想通りともいえる奇妙な結末を迎えることになる。

小説を支えるのは「イエメン鮭プロジェクト」で、これに関わる各人の人生模様が物語に奥行きを与える。自身のキャリア形成に夢中で、実利的かつ合理的な妻との冷めた結婚生活が20年を経過し、自分の人生はこれでよかったのかと自問する「中年の危機」を迎えているアルフレッド博士。彼は自分より15歳も年下のハリエットに惹かれるのを自覚するが、彼女にはイランの危険地域に発ったまま連絡がとれずにいる海兵隊員の婚約者がいる。戯画化された俗物的な官僚や政治家と、西欧的な物質文明と対極に位置する高い精神性を備えたアラブのメンター、シャイフ・ムハンマド。これらの人々が織り成すこの小説の形式がまた一風変わっていて、手紙、eメール、日記、新聞雑誌の記事、未公刊の自伝、議事録、インタビュー等さまざまな文書のコラージュとなっている。読者は多様な視点から「イエメン鮭プロジェクト」を眺め、またときに登場人物たちの感情生活にふれることになる。時系列になっているので読みづらさはない。

読了して印象に残るのは、プロジェクトの結末もさることながら、アルフレッド博士の内面の変化だろう。プロジェクト開始直後は堅物の科学者だったのが、シャイフやハリエットと交流するうちに「信じる心」について学ぶようになる。人はいくつになっても変われるのだ。彼はやがて物語冒頭と比べると世間的に低い立場に追いやられてしまうのだが、内面の落ち着きを得た彼はもはやその境遇に不満をかこつことなく自足しているように見えなくもない。本書の終盤に、それが不可能であるからこそ信じる、という発言がある。まことに、信じるとは対象が実現不可能に思えるからこそ必要な思いなのだった。それは特定の宗教に帰依する信仰のかたちをとることがあるかもしれないが、そうでないかたちをとることもあるだろう。自身釣り師である著者は、「釣りとは信じることなのだ」と発言しているそうだが、それならば本書は彼のこの言葉の物語化とも読める。

それにしてもバリバリのビジネスマンだった人間が60歳になって書いた処女作とは思えないほどに読み物としておもしろい。やや類型的すぎるきらいがなくもないけれど(とくにシャイフの扱い)それもお約束のコメディとして見れば楽しめる要素になる。29章の、アルフレッドが少年時代の思い出を語る場面および叶わない恋に煩悶する場面には感心した。小竹由美子氏の翻訳もよいのだろう。

4560090025イエメンで鮭釣りを (エクス・リブリス)
Paul Torday 小竹 由美子
白水社 2009-04

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人はいくつになっても変われる。この小説もそのことを書いていた。
4151200428恥辱 (ハヤカワepi文庫)
J.M. Coetzee 鴻巣 友季子
早川書房 2007-07

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
これ面白かったですねえ!
げらげら笑いながら読みましたわ。
博士が真面目なだけに尚のこと可笑しくて。
面白うて、やがて悲しきこともありましたけれども、
どうせ思い通りにならない人生なら
このくらい馬鹿馬鹿しいことをやってみたい。
あ、パトロンがいなくては無理かしらん。

ひとはじぶんらしくあり続けるためには変わり続けなきゃいけないのです。
少なくとも生きて行くためには。
そして、ちょっとでも人生を楽しむために。
ヤヤー
2009/07/02 22:29
>ヤヤーさん

こんばんは。ご無沙汰しております。
ほんとおもしろいお話でしたね。夫婦のすれ違いといい、官僚の醜怪な生態といい、にやにやさせられました。でも、けっこうな苦みもあって、ハリエットの恋人の行方とか、プロジェクト当日の出来事とか、ユーモアと笑うにはいくらか毒が強すぎる気もしました。このひとのほかの小説もいずれ邦訳されるようで楽しみです。ああ凄い釣りがしたくなった!

何歳になってもひとは変われますよね。良くも悪くも。だって、生きているんですから。
epi
2009/07/03 00:38

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