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zoom RSS 『ドストエフスキー 共苦する力』 亀山郁夫

<<   作成日時 : 2009/07/04 00:00   >>

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「まだあいかわらずドストエフスキーに夢中なの?」

レオニード・ツィプキン 『バーデン・バーデンの夏


現在、『罪と罰』の新訳を刊行中の亀山氏が、後期ドストエフスキーの四大長編を論じる。NHKのテレビ番組がもとになっており、本書はそれを文章に起こし、大幅に加筆修正したもの。そのせいなのか、内容的にやや散漫に感じられる。著者には後期の五大長編を論じた『ドストエフスキー 謎とちから』がある。あちらをすでに読んでいる読者には、それほど目新しい発見はなかった。

亀山氏は、ドストエフスキーの小説を「象徴層(哲学的な主題を扱う部分)」「歴史層(当時のロシアの歴史状況を反映した部分)」「自伝層(ドストエフスキー本人を投影した部分)」「物語層(読み物、ストーリー展開の部分)」の四層に分けて読み解く。ドストエフスキーの小説をより深く味わうために、登場人物たちの名前の由来や、キリスト教の異端派の各セクトや、当時の歴史状況に関する知識が必要になるのはすでに読者には馴染みとなっている。当時のロシアに異端派はどのくらい存在したのだろう。性を厳しく戒めるセクトの存在などは実に不気味で、こうした存在を意識して執筆していたドストエフスキーの小説が、たとえばオウム真理教事件の際に引用されるのも理解できる。テロルの精神は、狂信の延長線上にあるから。

タイトルに共苦とある。ドストエフスキーほど、自らの小説の登場人物たちに憑依したかのごとくいきいきと彼らを書き分けられる作家はいないだろう。脇役とても存在感をもって読者の前に現れる。そして読者は、あまりにリアルな彼らの言動を実際に見るように、夢中になってページを繰る。そこには悲嘆と絶望があり、カオス的な哄笑があり、信と不信のせめぎあいがあり、おどろおどろしい流血事件の発生がある。極端に縮小化され戯画化された、いわば人間の精神の世界がある。ドストエフスキーがいつの時代も、必要とされ読まれてきた理由はそこにあるだろう。2004年のベスラン学校占拠事件のように、現実はついにドストエフスキー的でしかありえないと思わされることもあった。

しかしこのように巨大すぎる存在には、ときに反撥も感じずにはいられない。多くの若者同様に、かつて管理人も一時期はこの作家に夢中になり新潮社版の緑色の全集が本棚に並んでいた。けれども、この作家には不健康な部分、得体の知れない不気味さ、暗さがあって、それに嫌気がさして離れている時期が長く続いた。いまでも、感心しながらも、やはりどこかで反撥を感じずにはいられない。個人的には、ドストエフスキーを一度も嫌いにならずに長く読んでいられる人間を信用する気にはなれない。いまでもドストエフスキーが好きか、と問われたら返答に戸惑う。ドストエフスキーは圧倒的であるがゆえに、読者に矛盾する感情を引き起こす。似たような気持を抱く読者は多いと思う、とくに一時期に熱中した読者には。


4904575016ドストエフスキー 共苦する力
亀山 郁夫
東京外国語大学出版会 2009-04

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