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zoom RSS 『パリの憂愁』 ボードレール

<<   作成日時 : 2009/07/08 00:00   >>

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『悪の華』の詩人が、「蟻のように人の群れる」19世紀のパリをうたう。

ボードレールが『悪の華』で提示した倒錯的な美の感覚は管理人にはどうしても理解できず、それはいまでも変わりない。本書は詩人が、彼の霊感の源泉であったパリの風物をスケッチした散文詩集。パリは華やかなイメージを抱かせる都市であるが、詩人が好んでとりあげるのはきらびやかな紳士淑女ではなく、都市の片隅にうずくまるようにしてその日その日を生きる、貧しき者、年老いた者、弱き者たちの姿だ。詩人は彼らに同情を寄せ、好意的に彼らを描いている。ボードレールがこんなにも人間的ないたわりの感情をもっていることに意外の感すら覚える。ある高級レストランで愛する女と食事をしていた語り手がふと目を上げると、貧しいなりをした父子が窓の外から羨望のまなざしでこちらを覗いていた。その視線を見た途端、語り手はいいようのない恥ずかしさを覚える。自分が愛する女もきっと同様の気持になっているのだろうと思いきや、彼女の口をついたのは、あの汚らしい連中を追っ払ってほしい、という冷淡な言葉だった。それを聞いて語り手は、愛し合う者同士でさえこれほどまでに共感し合えないのかと落胆する。「貧乏人の眼」と題されたこの一編は、本書のモチーフを端的に示している。愛し合う者たちの間に横たわる感情の溝は、人間の抱えるしかない孤独も言外に語る。孤独さは、自分にとって大切な感情を自分にとって大切な相手と共感し合えないときにもっとも強く意識されるから。

「最も救い難い悪徳は、無知によって悪をなすことである」(「にせ金」)
「人生とは、病人の一人一人が寝台を変えたいという欲望に取り憑かれている、一個の病院である。或る者はどうせのことなら暖炉の前で苦しみたいものだと望んでいるし、また或る者は窓の側へ行けば良くなるだろうと信じ込んでいる」(「この世の外へなら何処へでも」)
等の一節は一読忘れがたい。
かつて愛したのであろう女の面影を捨てられずに生きている男を描いている「何れが真の彼女なのか」は苦い思いを抱かずには読めない。生きていくために、人は古い恋の呪縛から解放されなければいけない。

韻律から自由になった詩人は『悪の華』より気軽に自在に筆を運んだかと思いきや、本書の成立には長い時間と苦心があったことを訳者である福永武彦は巻末の解説で述べる。ボードレールは生涯一編しか小説を書かなかったが、本書のなかにはポー的な短編小説を思わせるものがいくつか見られる。


4003253728パリの憂愁 (岩波文庫)
Charles Baudelaire 福永 武彦
岩波書店 1966-01

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