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zoom RSS 『罪と罰』 ドストエフスキー

<<   作成日時 : 2009/07/15 00:00   >>

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亀山郁夫氏による新訳がついに完結した。

あまりに有名なこの長編の内容はいまさら述べるまでもない。
ペテルブルグの暑い夏。貧しい大学生のラスコーリニコフは金貸しの老婆を殺害する計画を立てる。動機は彼独自の犯罪論にあった。それによれば人類はすべて凡人と非凡人とに分けられる。大多数の人間は凡人で、彼らは歴史を維持するちからをもつだけ。対してごく少数の非凡人は、彼が望むままに、凡人たちの作り上げたルールを乗り越える権利をもつ。それが結果として歴史を大きく前進させることになる。有史以来英雄と呼ばれる人びとはみな、この非凡人だった。彼らは平然と戦争犯罪を犯したが、それによって人類の歴史は節目を迎えてきたのだった。
ラスコーリニコフは自らを非凡人であると思い込み、いわば自らを「試す」ために老婆殺害を決意する。強欲なこの老婆を殺害して金品を奪えば、貧しいいまの境遇からぬけられるという現実的な計算もあった。この計画は実行され彼は老婆を苦もなく殺害するのだが、直後に帰宅した老婆の善良な妹まで殺してしまう。このまったく予期しなかった第二の殺人が、ラスコーリニコフのこころに重くのしかかる。
ラスコーリニコフは偶然知り合った娼婦のソーニャと親しくなり、彼女のなかに善性を見出し、長くためらったのち彼女に自分が犯した罪を告白する。証拠も証人も残さず現場を去ったとはいえ、彼は優秀な予審判事によって犯人と目されていたし、家庭的な事情もあって精神的にだいぶ追い詰められていた。ソーニャは彼のまえで聖書の一節を朗読し、彼に自首をすすめる。彼が人の血で汚した大地に接吻し、許しを乞うことを求める。ラスコーリニコフはついに警察署へ出頭し、老婆殺害を自供する。裁判ののち、8年のシベリア流刑の判決が彼に下される。

本作はドストエフスキーの代表作であり、すぐれた思想小説だ。誰しもが一度は抱いたことがあるのではないだろうか、大いなる善のためであるなら、多少の悪はやむをえない、と。たとえば、ここに自らの欲得しか考えない一人の老婆がいたとして、一方に明晰な頭脳をもち、将来性もあるのに、金がないために先の見通しのたたない40人の青年がいたとする。40人を窮状から救い出すためには金が要る。この金を、あくどい老婆から奪うという行為において問われるのはいかなる罪か。問うのはいかなる倫理か。ラスコーリニコフが殺人者でありながら読者に嫌悪感をもたらさないのは、この答えのない問いを体現した存在であるからだろう。

タイトルに罪と罰とある。では何が罪であったのか。ラスコーリニコフは最後まで、自分の犯した犯罪について後悔していない。あげく、老婆を殺したのは自分をそそのかした悪魔であって、自分が殺したのは自分自身だったのだ、とまで述べる。「紙でできた人間(『悪霊』)」の一人である彼だが、しかし彼も自分が母親と妹を苦しませたことにはこころを痛める。自室で最後に妹と対面する際の彼の内面をドストエフスキーはこう述べる。
「そして、相手のまなざしに、自分のせいで生まれたあまりに深く大きな苦しみが浮かんでいるのを見てとり、思わずわれに返った。なんといおうと、ふたりのあわれな女を不幸にしてしまった。やはり自分に原因があった…」。
自分を愛してくれる人たちを不幸にしてしまう。これが彼の罪であったのかもしれない。
この直前に母親を訪ねたラスコーリニコフは、母親に向かって「母さん、たとえどんなことがあっても、ぼくのことでどんな話を耳にしても、ぼくのことで何かうわさを聞かされても、今と同じように、ぼくを愛してくれますか?」と問う。母親はうなずく。彼は続けて母親へ自分の愛を告げ、「ぼくはここから始めなくちゃだめだ」という。ここから。愛から。彼の告白を聞かされたソーニャも彼を愛し、ともにシベリアへとついてくる。ラスコーリニコフは愛によって蘇生することになる。
《それにしても、あいつら、なんだってこうもおれを愛するんだ、おれにそんな値うちなんてないのに! そう、もしおれがひとりきりで、だれもおれを愛してくれなかったら、そして、このおれもだれひとり愛することがなかったら! こういうことは何ひとつ起こらなかっただろうに!》
この良心の苦しみが、懲役以外の罰になる――予審判事は青年にそう予言していた。
『罪と罰』は愛の物語だった。


多くの読者がそうであるように、管理人にとって本書が初めてのドストエフスキー体験となった。工藤精一郎訳の新潮文庫で、三日がかりで読み、エピローグを読み終えたときは明け方で、あまりにも興奮が治まらず、部屋の壁に向かって文庫本を投げつけた。壁に穴があくと思った。けれども、文庫本は壁にぶつかるとそのままぶざまに床に落ちただけだった。今回で4度めか5度めか、それくらいの通読になったが、初読のときの興奮はすでになく、それよりも均等に配分された全体の構成を見て、ドストエフスキーとはこんなにも巧みな小説家だったかと意外の感を覚えた。登場人物たちをいきいきと描き、ダイナミックな物語を展開する彼の語り手としての凄さについてはいまさら多くを述べるまでもない。
ドストエフスキーは20歳までに読め、と一部の人はいう。この20歳というのは(もしあるのなら)精神年齢を指すと思われるが、たしかにこの小説に、とくにラスコーリニコフに同期するためには若さとそれに付随する独善性が必要だろう。人によってはその後まで忘れられない一冊となる、それだけのインパクトを本書はもっている。訳文については『カラマーゾフの兄弟』同様、平易なもの。

4334751687罪と罰〈1〉 (光文社古典新訳文庫)
亀山 郁夫
光文社 2008-10-09

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4334751733罪と罰〈2〉 (光文社古典新訳文庫)
亀山 郁夫
光文社 2009-02

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4334751849罪と罰〈3〉 (光文社古典新訳文庫)
亀山 郁夫
光文社 2009-07-09

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
罪と罰は単なる愛の物語ではない。宗教と哲学と聖書とイエス・キリスト、そして愛を絡めた壮大な物語だ。
神無月
2012/09/01 22:34

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