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zoom RSS 『1Q84』 村上春樹

<<   作成日時 : 2009/08/01 00:00   >>

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虚構のなかの虚構の向こうに。

ともに10歳の少年と少女がいた。ある日の放課後に、少女は少年の手を握った。ありったけの好意をこめて。そしていつしか離れ離れになった。二人ともが、家庭に安らぎを見出せないまま大人になった。

それから20年の月日が経ち、時は1984年。30歳になろうというかつての少年と少女は、この間、心の奥底でずっと互いのことを想い続けて生きていた。かたや、小説家志望の予備校教師。こなた、裏の顔をもつスポーツクラブのインストラクター。広い東京のどこかで、二人は1984年の春を生きていた。やがてヤナーチェクの『シンフォニエッタ』が1Q84年への扉を開くだろう。出口のない扉を。

物語は男と女のパートが交互に展開する。まったく別の二人の世界は、怪しげな宗教団体をめぐって次第に接近し、一瞬だけ交差したのち再び別れる。読み取れるのは、本邦が体験したあの宗教団体によるテロルの連想と、歪んでいながらプラトニックな男女の20年越しの恋。

この小説は1984年の春から夏の終わりにかけてまでしか扱っていなくて、だからもしかすると続編があるのかもしれないが(それは単純な続編ではありえないかもしれない)読了して感じたのは物足りなさだった。序盤から中盤にかけて登場するインパクトの強い人物が終盤にかけてほとんど登場しなくなるのは解せない。男と女の恋愛もはっきりとした結末を迎えない。序盤で暴力や悪といった主題を提示し、社会へコミットメントしているのかと思いきや徐々にファンタジー的な展開になっていく(いや、女が首都高の非常階段を降りる冒頭からそうか)。博学な読み手ならあるゆるところに意味を読み取れるのかもしれない細工にも、浅学な管理人は関心が向かない。なぜヤナーチェクなのか。なぜ平家物語なのか。なぜバッハなのか。その必然性がわからないまま、ただなんとなく文学している気になるだけで終わる。衒学的な比喩と、細部への拘泥と、同語反復のダイアローグと。それに小説の舞台が1984年である必要性もこれといってない。

物語は決してつまらなくない。冒頭から中盤にかけては非常に面白く読める。無力感が人間を駄目にしていくという指摘には頷くしかない。しかしヒロインと宗教団体のリーダーが出会い、電波な会話を交わしはじめるあたりから勢いは減速していく。悪や暴力(性的な)は本作の重要な主題のひとつだが、それを超自然的な原因に帰結させてしまってよいのか。善も悪も人間が作り出した共同体のシステムを安定させるための便法に過ぎない。所詮われわれが作り、われわれが維持し、われわれが破っているルールに過ぎない。

構成が『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』によく似ている。男と女のパートはやがて溶け合うのだが溶けきらない。このあたりがどうにもわかりづらい。人によって解釈はわかれるだろう。この読者を置いてけぼりにするところが、世の村上春樹論を生み、村上春樹ファンを生み出している一要因ではないか。管理人はてっきり、女のパートは男の創作物だと思って読んでいた。男がようやく書くことになった自分の小説だと。そうであれば、荒唐無稽な展開も納得がいったから。

小説は中途半端なまま、きれいに終わる。終章の、息子と父親の対面は感動的だ。父親とて一人の未熟な人間に過ぎない。父と子の反目、和解というのは古くて新しい文学的テーマなのかもしれない。あるいは。



それはそうと、読んでいて新海誠監督の『秒速5センチメートル』、庵野秀明監督の『新世紀エヴァンゲリオン』が連想されて仕方なかったのだが。ふかえりは綾波か長門か。「あなたはもう孤独ではない」なんて、新劇場版の副題そのままではないの。

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